第十六話
それは珍しく一日中静かな雨が振り続ける日だった。
ベリーはため息をつく。
「ベリー様どうされましたか」
一緒にオペラ鑑賞をしたことで少し親しくなれたカンディエ夫人が尋ねてきた。
嫌っているままで良かったのだがと思いながらも彼女に微笑む。
「何でもないのよ、ただ一日中雨だと気分が沈んじゃうでしょう」
「あぁ、そうですねぇ」
そう言いながら空を眺める夫人を余所に、ベリーは自らの計画の進捗が芳しくないことを危惧していた。
一ヶ月後に開かれる王妃の誕生日パーティー。
全ての貴族が集まるこの日までに、少なくとも四人とは接触しておきたい。
それなのに。
(まだ、サギーナとムックュルにしか会えていないっ…)
ヘンリエッティの婚約者は仕方ない、現在帝国に留学しているせいで帰国するのがパーティー当日になると聞いている。
しかしユーイとヤーエの婚約者に会う機会がないのは困る。
どのように接触を図るか。
「そういえばベリー様、お手紙が来ております」
「手紙?」
夫人が思い出したように封筒を一枚差し出してきた。
「っ!」
それはアーダルデシア伯爵家からの招待状だった。
封蝋を外して便箋を取り出す。
『ベリー・ヒューノット公爵令嬢
突然ご連絡いたしましたことお詫び申し上げます。
二週間後の夕方十八時より我が伯爵家にて長女ユーイ・アーダルデシアの誕生日パーティーを開きます。
お会いできるのを心待ちにしております。
サギーナ・アーダルデシア』
(サギーナ…!)
ベリーは思わず心の中で拳を握りしめた。
兄のようだと伝えたのが余程嬉しかったのだろう、予想外の出来事だが、これはチャンスだ。
アーダルデシア家で開かれるパーティーに令嬢の婚約者が来ないはずがない。
「カンディエ夫人、すぐにドレスとアクセサリーを作るわ、連絡してちょうだい!」
「あらベリー様、ドレスは既に注文しておりますよ」
「必要なのは二週間後よ、アーダルデシア家のパーティーに呼ばれたわ」
伯爵家とはいえ、その血筋を遡れば有名貴族の令嬢が数多く嫁いだ家門。
更に今世代ではサギーナは国王の姪ナヴィルと婚約をしており、二人はナヴィルの卒業後結婚する予定になっているのだ。
中途半端なドレスを着ていくわけにはいかない。
「あぁそうだ、プレゼントも考えなければ。ユーイ嬢は今度二十歳になるのよね」
ユーイとサギーナは母親が違う。
第二夫人の子であるユーイはスウィルやムックュルのように茶色味を帯びた髪色だった。
服の好みが分からない人物に贈る場合、大体は相手の髪や目の色に合わせた菓子を持参するのが主流である。
ミルクチョコレートのスイーツを持っていくか。
「ベリー様も大変ですね…」
何を用意するべきか悩んでいたベリーを見て、カンディエ夫人が呟いた。
「大変?どうして」
「だってベリー様はパーティーで何も口にできないでしょう、折角のご馳走や、ワインも召し上がれないなんて…」
酷く落ち込む夫人にベリーは困惑した。
ベリーが味覚障害を持つことを夫人が知ったのは、実はオペラ鑑賞した日なのである。
公演を観終わった後、アージェに食事を誘われたことがきっかけだった。
「アージェ嬢、ごめんなさい、私はお二人と食事を摂れないわ」
「あら、どうしてですか」
思いがけず意気投合したカンディエ夫人はアージェとまだ話し足りなかったらしく、食事に乗り気であった。
「ベリー様はもっと同世代の令嬢方とお話をされてみたらいいんですよ。皆様勘違いされていらっしゃるのですから」
「そうしたいのは山々なのだけれど…」
断るために強く言えないでいるベリーに代わって、そんな状況を打破してくれたのはムックュルだった。
「カンディエ夫人、アージェ。ヒューノット公爵令嬢は私たちと同じ食事を召し上がることができませんよ」
「ムックュル様は何かご存知なのですか?」
アージェの無垢な問いに彼はため息をついた。
「味覚に障害があって、味のついた食事が受けつけられないのです。侍女であればご存知かと思ったのですが…」
そこで初めてカンディエ夫人は顔を青ざめた。
「あ、私は…」
「タルネルドフ卿、あまり彼女を責めないでくださいませ」
ベリーは夫人の前に立つと、ムックュルを睨みつけた。
確かに彼女は良い侍女とは言えないだろう、主の仕事を補佐しないだけではなく、休憩時間に軽食や飲み物すら持ってこない。
けれどベリーにはそれが居心地良かった。
「私が内緒にしていたんです、腫れ物のように接してほしくなかったから。私だって本当はお菓子やケーキを食べたいし、紅茶だって好きだったんですもの」
カンディエ夫人が休憩から戻ってきたとき、ふと甘い香りに気づいたことがある。
今日のおやつはチョコレートケーキかな、薔薇の香りがするからローズティーを飲んできたのね。
羨ましいと思った。
けれどそれよりも嬉しいと思った。
「私のせいで侍女が嗜好品を食べなくなってしまったら、私は自分が許せないもの」
ベリーに気兼ねすることなく食べてほしい。
甘いのかどうか教えてほしい。
いつか、味覚が戻った際に「このケーキは美味しいですよ」とそう紹介してほしい。
するとばつが悪くなったのか、ムックュルが顔を逸してカンディエ夫人の名を呼んだ。
「失礼なことを申し上げました」
「いえそんな!私こそタルネルドフ卿が教えてくださらなかったら…」
「わ、私も何も知らずに無茶なお願いをしてしまいました」
気の沈んでしまった三人にベリーはふふっと笑ってしまった。
このような善意に触れるのはいつ以来だろうか。
何と心地いい。
「…アージェ嬢、一緒に食事は出来ませんけど、宜しければついていっても構わないかしら」
「え、でも…」
「私もまだお話したいの、…駄目?」
アージェとムックュルは顔を見合わせた。
「令嬢がそう、仰るのでしたら…」
「私多分無神経に色々頼んでしまいます…」
「あら、むしろ大歓迎だわ。可愛らしいアージェ嬢が観れるのね」
顔を赤くさせる彼女の手を握る。
「夫人もいっぱい食べてちょうだい、私美味しそうに食べてる人の顔を眺めるのが好きなの」
「そ、それは…」
侍女が主を無視し食べることはできないと思っているのかもしれない。
ベリーは口を尖らせた。
「私の命令が聞けないの?」
「ベリー様…」
あの日はそれでどうにかなり、四人で劇場近くのケーキ屋に入った。
しかしカンディエ夫人の心には侍女としての後悔か、まだ蟠りが残っているのかもしれない。
「夫人、何度も言うけれど、私は皆が楽しむことが一番嬉しいの。自分が食べられないことくらい、ちっとも気にしないわ」
「そうは仰いますがっ…」
「それに、貴女また食事抜いたでしょ、匂いでわかるのよ?私を理由に倒れるつもり?」
ベリーはどうやら嗅覚も鋭くなったようで、カンディエ夫人が昼休憩から戻って食物の匂いがしなくなったことに憤りを感じていた。
だから知らないままで良かったのに。
「私は料理を食べられないわけじゃないのよ、味付けされたものが受けつけられないだけ。食事はちゃんと摂っているわ」
「食事だなんてっ!味のしないスープと冷え切ったパンだけではないですか」
「とにかく!毎食必ず口にすること、無理に食べろとは言わないけれど、わざと食べないのは許しませんよ!そんなことを続けるようなら私も今後は何も食さないことにします」
「そんなっ」
「いいですね!?」
落ち込んだまま部屋を出ていく夫人にベリーは本日何度目かのため息を溢した。
彼女は感受性が強すぎる。
最初はベリーという世間的に知られた悪女を懲らしめるために冷酷な態度を取っていた、正義だと信じて。
しかしそれが過ちだと気づいたことで心から悔やみ、自らに罰を与えようとする。
どうしたものか。
ふとベリーはアーダルデシア家からの手紙を見下ろした。
「…二週間後、ね」
それは、賭けとも言える行動だった。




