第十五話
ベリーがルイーヌにも言えなかった作戦、それは令嬢たちの婚約者に色仕掛けを行うことだった。
当然許されることではないし、上手くいく保証もない。
それでもベリーは選んだ。
完璧に社交界から追放されるために。
サギーナと接触した翌日、執務をこなしながらベリーは次の相手を誰にするか悩んでいた。
アーダルデシア伯爵家は身分こそ低いものの、ヒューノット公爵家やアグサシオン伯爵家同様歴史のある家であり、城で確実に会える人間であった。
勿論他の令嬢たちの婚約者も貴族ではあるが、あまり城に来ない人物も多い。
熟考した末に、ベリーはカンディエ夫人を呼んだ。
開口一番、夫人は不満を露わにする。
「何ですか突然。私は貴女とは違って忙しいのですよ」
「そうよね、大変よね」
「馬鹿にしているのですか!?」
「まさかとんでもない、いつも疲れているだろうから、たまには一緒に出かけないかなって」
「はあ?私が、貴女と?」
夫人はベリーが思っている以上に怠慢な人間であった。
ベリーのことを相当嫌っているだけではなく、違う理由があって仕事を放棄しているのも知っている。
「そうね例えば…、オペラ鑑賞とかはどう?」
途端にカンディエ夫人の顔色が変わった、ベリーはそれを見逃さなかった。
自然に、けれど恥ずかしそうに夫人を上目遣いで見る。
「実は今度のパーティーで着るドレスをどのようなデザインにするか悩んでて、オペラを見たらいいアイデアが浮かぶかもって」
一緒に来てくれたら頼りになる、そう呟くといつも遠い位置から監視するだけの夫人が近くまで寄ってきた。
「ほ、本当に宜しいんですか…?」
「勿論よ。ああでも忙しいのよね、こんな提案しちゃ迷惑だったかしら」
「とんでもございません!是非ご同行させてください」
嬉々として鼻息を荒くするカンディエ夫人に、ベリーはおかしくて笑ってしまった。
これならば今後も同じ作戦でいけるかもしれないと。
ベリーは数日前にルイーヌと会ったあの劇場に足を踏み入れていた。
「お嬢様、こちらです!」
「夫人待って、早すぎるわ」
余程嬉しかったのだろう、主そっちのけでカンディエ夫人はどんどん先に進んでいく。
それもそのはずだ。
今日はカンディエ夫人が観たくて仕方なかった『桃色の約束』というオペラの最終公演なのだから。
ベリーの噂を元に作られた詩曲『ピンクの違い』をアレンジしたこの作品は、良くも悪くも集客力の高い演劇だった。
しかしベリーが王太子妃候補となったことでついぞ終了することになったのだ。
黒髪のウィッグをつけてカンディエ夫人についていくベリー、彼女は多くの観客の中からある人物を見つけた。
(やっぱり彼も最終公演に来てたのね…)
人混みを避けるように階段の端に立つ青年にベリーはそっと近づいた。
ごきげんよう、こんなところで会うなんて奇遇ですね。
そう声をかけようとした時、人混みに後ろから肩を押され、階段から足を踏み外してしまった。
顔こそぶつけなかったものの醜い体勢で転ぶベリー。
「痛、ぁ…」
ウィッグがズレなくてよかった。
何としてでも観てやるというカンディエ夫人の気合のおかげかもしれないと立ち上がろうとする彼女に、すっと手が差し伸べられた。
「どちらのご令嬢が存じ上げませんが、大丈夫ですか…?」
「お、お恥ずかしいところを…」
凛とした佇まいで登場する予定だったのに、ベリーは心の底から逃げたかった。
彼女の正体に気づいたらしい淡茶色の髪をした青年の顔が歪む。
「ヒューノット公しゃ…」
「わ、し、静かにっ」
慌てて彼の顔を手を押しつける。
口を塞がれたことに、瑠璃のように澄んだ目が睨む。
「ど、どうかご内密にお願いできませんでしょうか」
「…なぜですか。貴女は国の重要人物です、護衛もつけずにこのような所へ。理解ができません」
「お願いいたします、タルネルドフ卿」
ムックュル・タルネルドフ。
タルネルドフ侯爵の次男でありアージェ・ミカンタ侯爵令嬢の婚約者。
十七歳ながら厳格で有名な彼はベリーの噂を鵜呑みにすることはなかったものの、真実を知ったことで却ってベリーを煙たがっていると風の噂で聞いていた。
なぜ彼がここにいると分かったか。
「…実は私もタルネルドフ卿と同じなのです」
「同じ?」
「私の侍女がオペラ鑑賞が趣味でして、彼女が喜ぶならと一緒に…」
すると彼はため息をつきながらも「そうでしたか」と怒りを鎮めた。
「アージェ嬢はどちらに?」
「好きな役者が原作本にサインしてくれるそうで、そちらの方に」
ムックュルの視線の先を追うと、確かに列の中間地点に見覚えのある少女が立っていた。
というか、カンディエ夫人も並んでいる。
「連れもどうやらあちらのようなので、一緒に待っても良いですか」
「…どうぞ」
ベリーはムックュルの隣に立った。
しばしの沈黙、しかしすぐに彼から話を振られる。
「なぜそのような格好で来られたのか、よく分かりました」
「お気遣い痛み入ります」
当事者が来たとなれば劇場は混乱しかねない。
「嫌ではないのですか。ありもしない事実をこのように見世物にされて」
「…勿論、いい気はしません。私は生きるために出自を隠してきただけで、アバン様の寵愛が欲しかったわけではないので」
けれど、ベリーはアージェとカンディエ夫人の顔を見て微笑んだ。
「恨むも恨まないも自分次第、とうに過ぎ去った過去ならばあんな風に喜んでくれる人がいる方がいいではないですか」
メーナの前でこんなことを言ったら怒られるのだろう。
ふと、元気でいるか、同じ髪色の友人のことが心配になってきた。
エリィのことだ、娘のように可愛がってくれるに違いない、そう分かってもいる。
けれどグリュフは違う。
娘にさえ愛情を注げない男だ、どのような扱いを受けているか。
「…そう思うのであれば、そんな顔をするべきではない」
どんな顔をしていたのであろうか。
ベリーは自分より少し高い彼の顔を見た。
彼は困ったように微笑んだ。
「婚約破棄を計画したり、自殺未遂をしたり、派手に転んだり。可笑しい人ですね」
「わ、忘れてくださいませっ…」
自分の顔はさぞや赤くなっていることだろう、ムキになって怒るベリー、すると突然ムックュルが笑った。
スウィルと似た髪色と目なのに、そこに子どもらしさはなかった。
「あら、ムックュル様?」
「ごきげんようアージェ嬢、デート中失礼しましたわ」
満面の笑顔で駆けてきたアージェにベリーはニコリと微笑んだ。
「ひっ!?妃でん、なっ…!?」
妃殿下と呼びそうなアージェに指で静かにするよう指示する。
「そんなに怯えなさらなくても、別に怒ったりなどしませんわ。私も実は侍女と鑑賞しにきたんです」
「そ、そうでしたか…」
ほっと安堵の息を漏らす彼女はまだ若いだけあってとても愛らしかった。
(そんなに私、恐ろしいかしら…)
しかしあのパーティーを見ていたのであれば無理もないかもしれない。
「アージェ嬢、宜しければ一緒に観ませんか」
「えっ」
「…いいんですか?」
ベリーは頷いた。
どうせムックュルへの初動対応を間違えてしまい、クールな王太子妃候補のイメージは与えられそうもない。
それならば先にアージェと親しくなり、ムックュルと会う機会を増やしておきたい。
「私、アージェ嬢のように素直な子が好きなの。是非お近づきになりたいのだけれど」
歳上の女性から甘えられるのは、大人ぶりたい歳頃の令嬢にとって嬉しいものだ。
「私みたいに瑕疵のある女は嫌…?」
「そ、そんなことないです!」
アージェがベリーの手をぎゅっと握りしめた。
「私、この演劇も好きですけど、妃殿、ベリー様のことも好きなんです!だから嬉しいです!」
ベリーは橙色の瞳を見返した。
(彼女にも赤い色素があるのね)
紫やピンクに比べると差別されることは少ないが、心のどこかで気にしていたのだろう。
自らの自由のために彼女を傷つけるのか。
ベリーは微笑んだ。
「アージェ嬢これからも宜しくね」
「はいっ」
何を今更。
それを分かっていてこの計画を進めているのだろう。
むしろそのような策略に嵌まる愚かな男と結婚しなくていいのだ、これでいい。
これでいいのだ。




