第十四話
「殿下、少しよろしいでしょうか」
ある日の午後、学院から帰り、休んでいたスウィルをベリーは訪ねた。
前触れもなく訪ねてきたベリーに傍らに立つ兵がしかめ面をしたのが見える。
「いいですよベリー嬢、何かありましたでしょうか」
ソファに座るスウィル、ベリーは彼の隣に座った。
「先日の昼、パーティーを開きまして」
「そういえばそうでしたね、楽しめましたか」
ベリーはちらりと兵に視線を向けた。
「その…」
意図に気づいたスウィルは兵士に退出するよう促した。
文句を言いたそうにしていた彼は、しかし王太子に逆らうわけにもいかず渋々部屋を出ていった。
「…それでベリー嬢、どうしまし…」
「スウィルっ…」
ベリーは突然その場で顔を覆って泣き出した。
当然嘘泣きなのだが、それを知らないスウィルが慌てふためく姿が嬉しくも悲しくもあった。
「どうして私、王太子妃候補なの!?婚約者だと、そう言ったじゃない!」
「それは…」
「スウィル、貴方も私のことを裏切るのねっ…、酷いわ…」
言ってて恥ずかしくなってくる。
これは牢にいた頃、エリィから送られてきた小説に書かれていた、男を籠絡させる悪女の取った行動である。
過去のトラウマから貴方を信用できない、そう告げると比べられるのを嫌がる男は自分は違う、自分だけは貴女を守ると言うのだ。
勿論小説の話であって、現実の男がそんなことをするとも思えないのだが、やって見る価値はある。
突然スウィルがベリーを抱きしめた。
驚きのあまり身体を硬直させると彼はベリーの頬に口づけた。
「従姉さん、ごめん、嫌な思いをさせて。もしかしてパーティーで何か言われたの…?」
そう言って見つめてくるスウィルは庇護欲を掻き立てられるような上目遣いで、思わず視線を背けた。
「い、言われてはいないわ。皆表向きは優しいもの。…でも分かるのよ、歓迎されていないって」
それは決して嘘ではない。
ある者は目にしたくもないと挨拶したらすぐに離れていき。
また別の者は噂の信憑性を知りたがる。
貴族とは自分勝手な生き物だ。
(まあそういう私も自分の平和のためにルイーヌ嬢を利用しているのだけれど…)
ベリーができることはルイーヌが妃となった後困らないように執務を真面目にこなすことくらいだ。
それくらいしたところでベリーの評価が上がることはない。
カンディエ夫人ならきっと『王太子妃になったつもりでいる』とでも思ってくれるだろう。
「従姉さん、本当にごめん。まだ僕や陛下の信用が低いんだ、だから強く出られなくて、今は彼らの言うとおりにするしかないんだ」
「…彼らは私をどうしたいのかしら」
「…多分、何かしらの理由をつけて島流しにするつもりだと思う」
それならむしろ好都合なのだが、とは言わなかった自分を褒めたい。
スウィルの抱き締める力が強くなる。
姉と慕うベリーが流刑にされるのがそんなに嫌なのかと、頼りないなとため息をついた。
「スウィル、私のことを守ってくれるわよね」
「勿論だよ従姉さん」
「どんなことがあっても?」
「うん」
ベリーは彼の頭を撫でた。
自分よりも背が高いというのに、子どものような王太子。
「頼りにしてるわ」
そう思ってもいない言葉を告げ、ベリーは瞼をそっと閉じた。
その日の翌日、スウィルを学院に見送ったベリーはその足である人物のもとを訪ねていた。
「ごきげんよう、アーダルデシア卿」
名を呼ばれた青年が驚きの表情で立ち上がった。
「ヒューノット公爵令嬢!?こ、こちらにはどういったご用事で…」
「お仕事中に申し訳ございません。書類整理をしているところ、少々困ったことがありまして」
黒い髪と目を持つ彼の名前はサギーナ・アーダルデシア。
伯爵家の長男であり、ユーイとヤーエの兄であり。
公女ナヴィルの婚約者でもある。
王弟は余程子どもたちを王位から遠ざけたかったらしい。
優秀ながらも気の弱そうなサギーナは眼鏡をかけ直すとベリーのもとへ近づいてきた。
「どこについてでしょうか」
「来月着工予定の水路補修についてなんですけれども…」
ベリーはそう言うと持ってきていた紙を差し出した。
ちなみにカンディエ夫人は掃除が忙しいのだという理由で同行を拒否していた。
何とも都合の良い侍女である。
サギーナに見えるよう、一箇所を指差した。
「ここの予算なんですが、私の記憶では一年前の見積もりの二倍近い気がするのです」
「ええそうです、よく覚えていらっしゃいますね」
「発案が父でしたから」
うふふと微笑み、サギーナとの距離を縮める。
「なぜこんなにも上がったのでしょう。石材の数は変わっていないようですし…」
「そちらは問題ないのですよ。値段が上がった原因は…、ああ、この木材が原因です」
「え、こんなに!?一体どうしてですか」
分かっていることだが、敢えて大げさにうそぶく。
そうとは知らないサギーナは困ったように語りだした。
「当初使用する予定だった木材が、着工に時間がかかってしまったせいで駄目になってしまったんですよ」
「なぜ時間が…?」
「それは…」
言いどもるのも無理はないだろう。
アバンが半年もの間メーナと視察に行っていたせいだとは、いくら廃太子されたとはいえ、口が裂けても言えない。
本来仕事を片付けてから行くものだというのに、あろうことかアバンはベリーに頼っていた感覚のまま、城を後にした。
帰ってきてからも結婚式の準備にうきうきで、執務を放置していたという。
(そりゃあ雨季に木材を放置すれば駄目になるわよね…)
結果として再度木材を仕入れる羽目になり、二倍近い値段になってしまったのだ。
「ごめんなさい、機密情報でしたのね」
「そんなことは!…すいません」
優しい青年だと思った。
二十歳の割に落ち着いていて、穏やかで、浮気などしそうもない堅実な男。
ベリーは微笑んだ。
「また分からないことがあればこちらに伺っても宜しいですか?」
「え、ええ、勿論です!」
真面目に執務を行うベリーはサギーナに好印象を与えることができたらしい。
「嬉しい!私、アーダルデシア卿みたいに優しい兄が欲しかったんです」
「兄、ですか…?」
サギーナは首を傾げた。
ベリーにはグレンジというれっきとした義兄がいることを知っているのだ。
ベリーは目を伏せて呟いた。
「グレンジ義兄様は私のことを嫌ってらっしゃるから…」
これみよがしに髪をくるくると弄る。
「この髪、醜いでしょう。幼い頃、義兄様に嫌われてしまって、…そのせいでもう何年も話していないんです」
「そんなことが…」
ベリーはそっと頬に手を添えた。
泣いているように見えたのだろう、サギーナが困惑しながらもハンカチを差し出した。
「ありがとうございます。…ごめんなさい、汚してしまって。近いうちに新しい物を送らせていただきますわね」
「そんな、どうかお気になさらず」
しかし嘘泣きだと気づかない彼は決意したようにはっきり告げた。
「また来てください、兄にはなれませんが、代わりにはなれますので」
ベリーは微笑んだ。
何と愚かな男だろうかと。




