第十一話
その日、空は見事に雲一つない青空だった。
ベリーは恭しく頭を下げる。
「王太子殿下、この度はお忙しい中ご訪問くださりありがとうございます」
「こちらこそ療養中だというのに来てしまってすみません」
胡桃のような柔らかい茶色の髪と今日の空の如く淡い青目の青年は微笑んだ。
二つ歳下のスウィルは髪色こそ違えど、アバンとよく似た風貌をしており、ベリーはなるべく視線を合わせないよう心がけた。
恐ろしかった。
(なぜずっとこちらを見つめてくるのかしら)
その視線からは憎しみを感じない。
怒りでないというのであれば、これは一体何の拷問であろうか。
そして隣に立つグリュフが微笑みながらスウィルに話しかけるのが、演技だと分かっていても気味が悪かった。
「立太子おめでとうございます、王太子殿下」
「ありがとうございますヒューノット公爵、僕のために時間を割いてもらって、アバン従兄さんのせいで忙しいのでしょう?どうか執務にお戻りください」
「そういうわけにはまいりません。殿下と大切な娘の今後を決める、重要な日ですから。それ以上に優先すべきことなどございません」
大切なのは娘ではなく自分と家だろう、そう思っていても口に出すことはできない。
婚約を成立させるためにグリュフはこの場にいるのだから。
スウィルの顔から笑みが消えた。
「僕の言っていることが分からないようですね。婚約者との逢瀬に親がついてくるなど非常識だと、そう申し上げているのですよ」
「なっ…」
怒りで顔を赤くするグリュフを残し、スウィルはベリーの手を取ると場所を変えようと歩きだした。
庭を散策すること数分、ようやくスウィルが息をついた。
「どうやらついてきていないようですね。全く…、公爵には呆れてしまいます」
「そんなこと…」
仮にも実の父親だ。
あるとは言えず困っていると突然、スウィルがベリーの正面に立った。
「久しぶり、ベリー従姉さん。…ううん、ベリー嬢と呼ぶべきだね」
「…そうね」
思い返せばベリーは以前に何度も彼と会っていた。
いずれもアバンの婚約者としてではあるが、義兄であるグレンジと不仲であったベリーにとって弟が出来たようで嬉しかったのを覚えている。
まさかそんな彼の婚約者になるとは思いもしなかった。
「スウィルには迷惑をかけてしまったわ、突然立太子されて、困ったわよね?」
「本当だよ。父宛に国王からなんの手紙かと思ったら、僕か兄さんを王太子にするって言うんだもの。兄さんはもう辺境伯の仕事を一任されてるから無理って逃げてさ、継承権三位の僕が王太子になるなんて思わないじゃない」
「…ごめんなさい」
すると慌てたようにスウィルが首を振った。
「従姉さんは悪くないよ、悪いのは婚約者がいるのに浮気した従兄さんだ」
「それを推奨したのは私だもの、王太子妃になりたくないという自分勝手な願いのために、ね」
ベリーはちらりとスウィルの顔を見上げた。
「…座って話そうか、従姉さん」
どうやら詳しい説明を受けていなかったらしく、スウィルは終始静かにベリーの話を聞いていた。
最初に彼が発したのはため息だった。
「そんなことが…」
ベリーは俯いた。
「私は傷物よ。公爵が娼婦に産ませた娘、貧民街で生まれ育って、母親と同じ赤い色素の髪。ましてや悪女のレッテルを貼られてるんじゃ、王太子の婚約者になんてなれないわ」
そのはずなのに。
「よりにもよって、私がまた王太子妃候補になるなんて…」
「…」
スウィルはベリーの飲む水を眺めた。
「スウィルも迷惑でしょう、断ってくれて構わないわ」
寧ろ、断ってほしい。
グリュフには怒られてしまうだろうが、そもそも瑕疵のある人間であることを理由に拒否されることなど、政略結婚ではよくある話だ。
ましてやなんの落ち度もない伯爵令嬢を蹴落として上に立つ気もない。
「…ベリー嬢」
突如、スウィルの声が低くなった。
聞き慣れない音に顔を上げると、彼はこちらをじっと見つめていた。
しまったと思った時には既に身体が酷く震えていた。
「私は貴女を婚約者にするつもりです」
「…な、ぜ…?」
息が苦しい。
お願いだから見ないでほしい。
すると願いが届いたのか、スウィルが視線を手元に移した。
「貴女は、ご自身が国にとってどれだけ重要な人物であるか、まるでご存知ない」
「重要な人物…?私が…?」
ほっと一息ついたのもつかの間、スウィルの言葉に首を傾げた。
「六年間アバン従兄さんの婚約者だったんです。それだけじゃない、国家予算を管理していたくらい、中枢に大きく関わっていた」
確かに当時のベリーは王家からの信用が厚く、能力の乏しいアバンに代わって王太子の仕事もしていた。
そうでなければあの作戦も計画すらできなかっただろう。
そこで気づいた。
ベリーがスウィル以外の誰かと結婚されたら王家にとって困るのだと。
もし謀反を企てる人物の手に渡れば、それはつまり、国の危機へと繋がってしまう。
確かにそれだけは避けたいだろう。
「で、でも…、ルイーヌ嬢はどうするつもりなのですか」
ベリーは伯爵令嬢の名前を口にした。
いくら親同士の決めた許嫁だとしてもこのように捨てられて黙っている人間はいない。
「ルイーヌには私から話しておきます、彼女も分かってくれるでしょう」
「そんな…」
心のどこかで期待していた。
姉のように慕ってくれたスウィルなら、ベリーの心意を汲み取ってくれるのではないか。
王家からも、公爵家からも、救ってくれるのではないか。
やはり貴族は信用できない。
「ベリー嬢」
彼が手を差し伸べてきた。
その姿はどこか芝居がかっていて、ベリーにはそれが堪らなく憎らしかった。
「本日から一緒に愛を育んでいきましょう」
「…はい」
ベリーはスウィルを、王家を、公爵家を恨んだ。
自分たちのことばかりで、相手の意思を無視し、要らなくなったら捨て駒のように切り捨てる。
それならばこちらとて、考えがある。




