第十話
「新しい婚約者、ですか…?」
メーナと別れ、彼女を侍女にしてもらうためにグリュフの書斎を訪ねたベリー。
ベリーは戸惑いの表情で父親を見つめた。
その顔からは感情が読み取れない。
しかし公爵の性格から察するに、邪魔者であるベリーを屋敷から追い出したいのだろうと考えた。
「公爵様、誠に申し訳ないのですが、その話はお断りさせてください」
ベリーは婚約相手の素性を聞くことなくそう告げ、併せて一つ一つ理由を事細かく説明した。
公爵令嬢でありながら娼婦の母親を持ち、赤い色素を色濃く受け継ぐこと。
大衆の面前で婚約破棄されたうえに国家反逆罪で半年もの月日を罪人として過ごしたこと。
まだ味覚が治っておらず、社交界に立つことはおろか、婚約者だというのに同じ食事を食べることすらできないこと。
そして何より。
「王子から受けたあの歪な愛を思い出すと、…私はまだそのような気分にはなれません」
あの日のアバンの顔は、忘れたくとも忘れられない。
ベリーを見ているようで見ておらず、血走った目は彼女を責めるように見開いていた。
掴まれた腕は今も当時の感覚を忘れておらず、不意にその時の恐怖が襲ってくることだってある。
「それはお前の心の問題だろう、結婚するまでに治せばいいだけの話だ」
「ですがそれまでお相手の方に多大なご迷惑をおかけします。これ以上私のせいで公爵家の品位を傷つけるわけにはいきません」
邪魔ならいっそ、帰ってこれないような地へ追放してくれたらいいのに。
ヒューノット公爵の管轄する領は由緒正しき家門ということもあり広く、遠い場所だと馬車で半月かかるのだ。
そういう地でメーナと二人、静かに暮らせればどれだけ平穏か。
けれどグリュフはそれを許してくれなかった。
否、申し出を断れなかったのだ。
「私としても公爵家の恥となるお前を嫁がせたくはないが、残念だがそれはできない」
「なぜですか?」
「公爵家が断れない相手など、一つしかないだろう」
その言葉を聞いたベリーは言葉を失った。
まさか国王が?
先ほど王妃の許可証をメーナから預かったばかりだというのに?
「全く、どこで媚を売ってきたのか、そういうところまで母親そっくりだな」
そのようなことをした覚えはないし、何より療養中のベリーが会っている人物などメーナ以外いないのだから、完全な言いがかりである。
ベリーは恐る恐る口を開いた。
「公爵様、お相手はもしや…」
「…スウィル・ヘリアズ殿下。先日立太子したばかりの王太子だ」
血の気が引く音がした。
それはベリーにとって何よりも避けたいことだったのだ。
「確か王太子殿下には既に婚約者がいらっしゃいましたよね…?」
王弟である大公殿下の次男であるスウィルは十三歳の時に伯爵家令嬢と婚約をしている。
いくらベリーが公爵令嬢でも、三年間一緒に過ごしてきた由緒正しき家柄の彼女に代わって婚約者になれるはずがない。
しかしグリュフは理由を知っているらしい。
「そのようなことも知らんのか。大公殿下が息子二人にそれぞれ伯爵家の令嬢を充てがったのは、後継者争いを避けるためだ。アバン殿下に『もしものこと』が無ければ一番平和な策だった」
その『もしも』とは、本来アバンが病気や事故、あるいは暗殺で亡くなることを考えていたことだろう。
まさか廃太子されるとは予想していなかったに違いない。
「伯爵家の後ろ盾など、王太子になれば却って足枷になる。だからこそお前が選ばれたのだ」
曲がりなりにも私の娘だからな。
椅子に凭れながら告げるグリュフの視線はとても痛かった。
「私に、婚約者の座を奪い取れと言うのですか…」
「当たり前だろう、それ以外にお前の使い道など無い、何としてでも正妻になれ」
「ですが私は王太子妃になれる器ではありません。後ろ指を指される人間であることは、公爵様もよくご存知でしょう?」
ベリーが国民からどれほど蔑まれているのか、メーナや侍女たちから全て聞いている。
それは一つの童歌、あるいは吟遊詩人が作った詩曲として面白可笑しく語られていた。
貧民街で産まれた鮮やかなピンクの髪を持つ少女。
ある日少女は一人の少年と出会い、彼ともう一度会うために公爵家に入り込み、計画通り婚約者の座を手に入れた。
しかし彼の心を動かしたのは似た髪の別人だったのだ。
地位を奪われた少女は怒りに狂い、少年とその恋人を陥れるために自らの罪を少年に擦りつけた。
少年は国を追われ、恋人と離れ離れ。
恋人もまた辛く険しい道を歩むこととなった。
そして強欲な少女は神の怒りを買い、地獄に落ちる。
『ピンクの違い(たがい)』と名付けられた唄は噂に敏い主婦たちの知るところとなり、モデルとなったベリーを悪女として見ているという。
「そのようなもの勝手に言わせておけ。どうせお前が王太子妃になれば消える」
「ですがっ…」
「くどい、何度も言わせるな!」
グリュフが手の平で机を叩いた。
「大体お前のような日陰者を誰が引き取ってやったと思っている!ろくに読み書きもできないお前を養い、娘として充分に育ててやったというのに、下らない正義感で私の顔に泥を塗りやがって」
その言葉にベリーは口を噤んだ。
グリュフの言っていることは正しい。
彼が娘だと認めてくれなければベリーはこの場にいなかったのだから。
「いいかよく聞け、お前の居場所はここにはない。王太子妃となり、次期王妃となり、跡継ぎを産むまで、この屋敷に帰ることは許さない。もしも婚約が成立しなかったり、また婚約破棄されるようなことがあったら、次こそこの家から出ていってもらう!」
「…はい」
何を言っても無駄だと気づいた。
グリュフはベリーを娘だと言いつつも心から思っているわけではない。
あくまでも政治の道具の一つで、ベリーの気持ちや他者の心情などどうでもいいのだ。
メーナが羨ましいと心から思った。
少なくとも両親から無償の愛を与えられているのだから。
「二日後、王太子が来る。それまでに荷物をまとめておくように」
「え…」
「何を驚いている、明後日から城で暮らすんだ」
そんな、ベリーは立ち上がった。
まだ婚約が確約していないというのに。
「前回はうちから通っていたから、あのようなぽっと出の女に負けたのだ。そのような隙がないよう見張っておけ」
そして話は以上だと、グリュフは書斎から出ていってしまった。
言いそびれてしまったベリーの要件は何とか執事を通して話してもらった。
しかし結局メーナを侍女にすることこそ王妃の許可証があるから了承されたものの、また奪われたらかなわないと、城に連れていくことは許されなかった。
翌日、侍女となったメーナから告げられた言葉にベリーは只々、項垂れるしかなかった。




