ーーー2話
目の前に聳える立派な王宮に、アナは少し困ったように苦笑を浮かべた。
(完璧に場違いだわ。私なんかが、足を踏み入れていいものなのかしら? やっぱり何かの手違いでは……?)
とても豪華な城の造りと、チラリと見える庭園の美しさと花の香りに、アナは緊張を煽られていた。
マリアはいつも通りのアナに頬を緩める。本来なら、全ての令嬢が心から欲する『招待状』に眉を顰め、嫌な顔をするのはアナくらいだろうと思ったからだ。
(アナお嬢様は少し自分を過小評価しすぎです)
心の中で呟いても、それを書き連ねるわけではない。耳が聞こえないからこそ、弱き者の側に立てるアナは優雅な立ち振る舞いを除けば、いい意味で貴族らしくない。
いまの生活の基盤になっているお菓子のレシピだって始めは売り物にするつもりはなく、
『ねぇ、マリア。高価な砂糖を使っていないこのお菓子なら、貧困に喘ぐ民にも、お菓子を日常の物にできるのではないかしら?』
などと『みんな』が幸せになれる方に進んだ結果だ。売り込んだ商人やマリアの勧めがなければ、売り物にする事なく全世界に普及していただろう。
『アナお嬢様!! これは大変、すごい事なのですよ!! お嬢様には商才があります!!』
と、いくら必死に伝えたところで、アナはいつもニコニコと微笑み、
『マリアはとっても優しいわね。ありがとう。いつも支えてくれて。マリアがそばに居てくれるおかげよ? マリア、大好き!』
などと、まともに取り合ってくれないし、マリア自身、アナに「好き」などと言われるとドキドキして、仕事が手につかなくなってしまうので、それは自重することにしているのだ。
マリアは「ふふっ」と小さく笑みを溢し、ペンを手に取った。
『大丈夫でございますか? アナお嬢様は、ミリタリア家とは絶縁状態にあるとは言え、第一王子からの招待を断るわけには行きません。ですが、アナお嬢様の気が進まないのであれば、いくらでも理由は作れますが……?』
『殿下が何を思っているのかはわからないけど、嘘は失礼でしょ? 私達の国を最前線でお守りして頂いているの。何が出来るかはわからないけど、招待して頂いた以上、顔を出さないのは失礼よ?』
アナはニッコリとマリアに笑みを投げかけ、マリアの手を取り王宮へと足を踏み入れた。
「何者だ? 誰の許しを得て、王宮に足を踏み入れる?!」
守衛に止められるが、アナにはただ少し緊張した面持ちの男性が何かを叫んだようにしか見えなかった。
マリアは少しこめかみをピクリッと動かすと、無理矢理にでも笑顔を作り口を開こうとしたが、その奥から1人の美男子が現れたのを確認し、軽く頭を下げた。
「私の客だ。その者達を無礼に扱う事を禁じる」
守衛は物凄いスピードで跪き、謝罪を述べるが、アナの耳に届く事はない。そんな事よりも、無表情で放たれた言葉と、そのあまりの美貌にドキッと胸が高鳴った。
(まるで物語から出てきたような綺麗な人……)
いつも妄想の中に居たはずの人が目の前に立っているような錯覚を覚えるほどの完璧な造形美。
アナにとって、それは驚愕するに値する物だった。
いつも思い浮かべた金髪金眼の王子様。
それは妄想の中の『音達』が、耳元で鳴っているかのような衝撃だった。ハッとしたアナはすぐに綺麗なお辞儀をし、マリアもそれに倣った。
エリックはアナの様子に「ふっ」と小さく微笑むと一枚の紙を懐から差し出した。
『私がエリック・ローリアだ。急にお呼びだてして申し訳なく思う。構える必要はない。ただ、君と紅茶を飲みたいだけだ。王宮の書物庫に興味はないだろうか? 私はいつもの君の暇が見られればそれで満足なのだが?』
優しく微笑みながら首を傾げるエリックに、アナは一瞬固まりながらも、その非現実的な夢のような申し出に、パァーッと笑顔を浮かべる。
(王宮の書物庫!!?? こんな夢みたいな事があるのかしらッ!!)
アナは緊張していたが、そんな物は簡単に消え去り、コクコクッと何度も頷いた。エリックはその様子に柔らかい笑みを返すとペンを走らせる。
『案内しよう。ついてきてくれ』
アナはまた1つ、綺麗にお辞儀をすると、マリアの手を取り、屈託のない笑顔を浮かべた。
マリアは弾けるアナの笑顔にドキッとしながらも、内心では雷で打たれたような衝撃を受けていた。
(『この方』はアナお嬢様を知っている!)
さらりと「手紙」を差し出し、口を開く事なくペンを走らせる。普通はあり得ない。反射的に声を上げてしまうのが人間の性だ。
それなのにも関わらず、アナには一切声をかける事なく、スマートにエスコートを開始したエリックに、マリアはとてつもない衝撃を受けたのだ。
(事前に調査し、アナお嬢様は『ここに』呼ばれている。エリック殿下の思惑はわからないが……)
王宮の本を読める事にキラキラと紺碧の瞳を輝かせるアナを見つめながら、マリアはエリックの一挙手一投足に気を配る。
マリアからすれば、『ご主人様』の身を案じなければならない。次期国王だろうが、『ご主人様』に対して無礼を働き、悲しい思いをさせるのであれば、それは決して容認出来ない事なのだ。
グッと警戒心を高めると、こちらなど一切見ることもなく、エリックは口を開いた。
「……優秀なメイドだ。だが、感情を表に出しすぎているぞ? 心配せずとも、君が思っているような事はない。私はただ、アナ嬢とゆっくり茶を飲みたいだけだ……」
この言葉はアナには聞こえない。マリアだけに向けられた言葉である事はマリアには充分すぎるほど伝わってくる。
背中越しにも関わらず、自分の心の機微を見抜くエリックに、その手腕が確かな物である事を知る。
(アナお嬢様は私がお守りしないと……)
掴みどころがなく、あまりに完璧すぎるエリックにマリアは一層警戒を強めるが、
「……本当に他意はないのだがな……」
とエリックは苦笑を浮かべた。
『なんでも好きな物を読むといい。私の事は気にしなくてよい』
アナは綺麗な文字を読みながら、エリックの優しい笑顔を見つめた。「エリック殿下が何を考えているのか?」はアナにとっては重要ではなかった。
無数に広がる本棚とぎっしりと詰め込まれた無限の書物。アナはそれにときめき、
(こんな事は一生に一度。後悔しない本を選ばなきゃ!!)
と意気込んだ。エリックはすでにテーブルや茶器などを準備しており、書物庫で茶会を開こうとしていることは明白だ。
(なんて素敵な空間なの? いくら感謝しても足りないわッ!!)
アナは後ろを歩くエリックに少し緊張しながらも、数冊の本を手に取った。
一冊手が届かない場所にある本を取ろうとしたときに、後ろから何も言わずに取ってくれたエリックの優しさに、アナは少し照れながらも綺麗にお辞儀をする。
エリックは常に笑顔を浮かべており、その美しさには顔が赤らむのは仕方がない。
テーブルに着くとエリックはペンを走らせる。
『好きに読んでくれ。私の事は気にするな』
『本当によろしいのでしょうか?』
『いいんだ。ただ、君と同じ時間を共有したいだけなんだから』
もう何がなんだかわからないし、エリックの雰囲気はとても心地いい。初対面のはずなのに、長年一緒に暮らしているかのような錯覚すら感じる。
(……間違いないわっ!! エリック殿下はエスパーよ! 私の心の中が見えるんだわッ! ふふっ。本当に物語のようなお方……)
アナはこの非現実的な出来事を楽しむ事に決めた。
先程から、マリアはとても緊張しているようだけど、(自分には何の価値もないのに警戒するのは間違っているんじゃないかしら……?)などと苦笑しながらも、エリックの言葉に甘えて、一冊の本を手に取った。
自分には価値がない。公爵家の今も知らない。
他国との交易にも役には立たない。
(もしかしたら、耳の聞こえない可哀想な私に、エリック殿下は優しくもてなし、それを国民に伝えることで支持を得ようとしているのかしら?)
などと考えてはみても、エリックの柔らかい雰囲気からは悪意と呼べる物は感じない。むしろ、愛おしそうな金色の瞳にあり得ない錯覚をしてしまいそうになるほどだ。
アナは少し頬を染めながらも、(道具として利用されるとしても、王宮の本を読めるのなら、自分の方がかなり得をしている……)と穏やかに微笑み、物語の中に潜って行った。
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