クロード視点 (時系列:68話、ニナの出奔後)
セレーネの王都アクティナにあるフェガロ侯爵邸を訪ねた後、クロードはすぐにソレイユへと帰還することになった。
元々、レイが残した伝言の内容を聞き、急遽セレーネへと赴いたのであり、長く国を空ける予定ではなかった。ニナが行方不明でマナミ・カンザキに関することを直接訊けないのであれば、セレーネに留まる理由がない。ニナに関する情報が入ったら教えて欲しいとレイに頼み、国に戻らざるを得なかった。
それから一月が経ったが、その間にレイからは何の報せも届かなかった。焦れてこちらから様子を尋ねたが、返ってきた手紙には何の進展もないことしか書かれていなかった。
リーンハルト・フェガロの話では、ニナは自分の意思で姿を晦ませたと言うが、だからといって危険がないということはない。初めは自分の意思だったとしても、年頃の少女だ、良からぬことを考える輩は多いだろう。
いくら身を守るためなら魔法を使っていいとはいえ、魔力は無尽蔵ではない。複数の悪党を相手に持久戦となれば確実にニナが不利になる。
心配するなという方が無理だった。
ずっと憧れ続けて、そしてこの先も共にいたいと思った女性だ。もし自分が王子という身分でなければ、今頃彼女を探してセレーネ中を周っていただろう。
それができない立場なのが酷くもどかしい。
そして同時に情けなくもあった。
何か考えがあってのことなのか、それとも単に側室の王女であることに嫌気が差したのか。いずれにせよ、クロードはニナのことを何も知らず、そして頼られることさえなかった。そんな自分が不甲斐なくて仕方ない。
(そういえば、セレーネに帰っても会うことがあれば、悩みについて話すと言ってたな……)
初めて二人で市井へと出掛けた帰り、ニナはそんなことを言っていた。
留学を終えた後に会いに行こうなどと考えず、その場で無理にでも聞いていれば何か違っただろうか。
(いや、ローザ・フェガロとして話せない悩みなら、どれだけ聞いても話すことはなかったか……)
どうすれば彼女の思いを聞くことができただろうかと、幾度も振り返ったが答えは見つからない。
初めは、ニナ王女に似ているローザが本人なのかそうでないのかで頭を悩ませていたし、本人だと分かった後は舞い上がって彼女の思いも考えずにただ自分の思いだけを押し付けてしまっていた。妹のセシルがあのような状態で、早く婚約者をという声がいくつも上がり、焦っていたのもある。
先走っている自分に気付くことはできたものの、結局ゆっくり話すこともできないまま、ニナは姿を消してしまった。
どこかで何か一つ違う行動を取っていれば、一度でも彼女とちゃんと話をしていれば、何か違ったのではないかと思えてならない。
レイの返信を手にしたまま、クロードは瞑目する。
(どうか、無事でいてくれ……)
祈るような気持ちでその言葉を胸の中で呟いていると、不意にドアをノックする音が部屋に響いた。
「殿下? まだこちらにいらっしゃるのですか?」
ドア越しにファースの声が聞こえ、クロードは「入っていいぞ」と入室を許可する。
「そろそろお休みになりませんと……」
ああ、と生返事を返していると、ファースはクロードが手にしている手紙に目を留めた。
「何度読み返そうと、書かれている内容は変わりませんよ」
「分かってる……」
クロードは手紙を仕舞おうとしたが、胸の中を覆いつくす感情までは仕舞い込むことができず、手を止めた。
「どうすれば良かったのか、これからどうすればいいのか、未だに分からないんだ……」
「王女殿下についてはセレーネ王やレイ殿下が探して下さっているでしょう。殿下はここで続報をお待ち下さい」
「だがっ……!」
「決してご自身で探しに行こうなどと思われませんよう」
「っ、それはっ、分かっている……!」
自身を押さえつけるかのようにクロードは頭を抱え、髪を握り締める。
言われなくても分かっているのだ、そんなことは。
「大分お疲れのようです。今日はもうお休みなられた方が宜しいかと」
「眠れると思うか? こんな状況で……」
「思いませんね」
肩を竦めてしれっと答えるファースにクロードは顔を顰める。
この側近のことだから、クロードがここ数日よく眠れていないことは十分に承知しているだろう。だがそれでも休むようにと言うのがこの男の役割だ。
「どうすれば良かったと思う……?」
先程ファースが答えなかったことを、クロードはもう一度訊いた。訊けばこの男はちゃんとクロードの質問に答える。それが役目だからだ。
「どうするもこうするも、殿下がニナ王女と望んでいるような関係を築くには圧倒的に時間が足りませんでしたね」
ファースは溜め息を吐きたそうな顔をしながら言う。
「まず王女殿下は最初身分を偽っておられましたし、偶然にもニナ王女であると分かったものの、公にはしておりません。おまけに魔物の出現に結界の揺らぎ。半年かそこらでは仲睦まじい関係になるなど無理でしょう。そもそも王女殿下は貴族との婚姻に前向きではないとのことですし」
痛いところを突かれてクロードは小さく呻く。
「やはり、それも原因の一つだろうか……?」
「さぁ? 私は王女殿下ではありませんので分かりかねます」
「ファース……」
「色々と予測を立てることはできますが、それが王女殿下のお心と合致しているかは分かりません。そのような不確かなもので宜しければお答えしますが、殿下がお知りになりたいのはそのようなものではないでしょう?」
違う。クロードが知りたいのはそんなものではない。
「ニナと、話したい……会って、話がしたい……」
彼女が抱えている思いも、望みも、誰かの憶測ではなく、彼女自身の言葉で聞きたい。
どうすれば良かったかなど、過去をどれだけ後悔しても何も生まれない。己が為したいことを為すため、今必要なことは何か――。
「ご自身の思いがお分かりになられたのであれば、今日はお休み下さい」
ファースの言葉にクロードは、はっと顔を上げる。
「疲れた頭で考えても良い案は浮かばないでしょうから」
文句の一つも言おうかと思った矢先に続けられた言葉に毒気を抜かれた。
「そうだな……お前の言うとおりだ……」
ずっと寝不足のまま、日中は己に課せられた役目をこなしているのだ。身体も疲労が溜まっているし、頭も疲弊している。
クロードはようやく手にしたままの手紙を封筒に戻した。
「すまない、こんな有り様で……いつも助かっている……」
「いえ、これが私の務めですので」
顔色一つ変えず、淡々とそう述べるファースに小さく微笑ってクロードは席を立った。
クロードの調子が良い時は小言の一つでも言ってきているところだから、彼もかなり気を遣っているのだろう。
いつまでも同じところをぐるぐると回っているわけにはいかない。少しでも前に、そのためにも今日は良質な睡眠を取らなければ。そんな思いを胸に、クロードは執務室を出た。
その一か月後、クロードが何かできることはないかと探している間に、ファースはクロードがセレーネへと向かう手筈を整えていた。
名目はセレーネの視察。留学でソレイユへとやって来たレイはソレイユ国のことを学んでいるが、クロードはまだそのような機会を持てていない。国内の動きが緩やかな冬の間に、とファースが父フェリクスに掛け合っていた。
行き詰ったクロードが自ら探しに行きたいと言い出すまでそのことは伏せられていたが、ファースが水面下で動いていたこともあり、セレーネへ行く許可が下りた。
◇
「――本当に、宜しかったのですか?」
ただひたすらに前を向いて馬を駆っていたクロードに、ファースがそう問い掛けてきた。
何処をどう探したら良いか分からない中、少しずつ得られた手掛かりを元にようやくニナを見つけられたというのに、彼女をその場に置いて引き返しているのだ。他の者がこの状況を知れば、連れ戻すべきだと声を上げるだろう。
それは分かっているが、やはりできない、とクロードは思った。
「どうしてか……初めて会った時のニナと重なって見えたんだ……」
クロードの怪我を治癒魔法で治し、誇らしげに喜んでいた幼き日のニナ。クロードが最も憧れた存在――。
状況は全く違うというのに、真っ直ぐに自分を見返してくる目が、あの日の彼女を思い起こさせた。
「無理強いはできないと思った……そんなことをしたら何かが壊れてしまいそうで……」
弱気になったわけでも臆病風に吹かれたわけでもない。そんなことをしてしまったら彼女の大事なものを壊してしまうという、強い直感だった。
「少しは思いが通じ合ったと思ったのに、難しいな……」
一瞬でも彼女はクロードと生きる未来を思い描いてくれたのだ。自身も彼女も王族という身分でなければ一緒にいたいと、決して叶わないことだが、告げられた未来を思い描いてクロードも胸が熱くなった。
だが同時に、決して実現することのない未来だという現実が、苦しくて仕方なかった。
本音を言うならば、跪いて懇願したかった。どうか傍にいて欲しい、と――。
そんなことをしても彼女を困らせるだけだと分かっていたし、情けない己も見せたくなかった。
そうやって自分を押し殺したが、気を抜けば馬首を返して戻ってしまいそうで、クロードはひたすら前だけを見据えていた。
ニナの思いは聞けたのだ。
本当はもっとたくさん聞きたいことがあったが、ゆっくりと語らうことができないのは分かっていた。一番聞きたかったことが聞けただけで今は満足すべきだ。
「ニナは……戻らないとは言わなかった……俺が一人で待つ分には構わないだろうか……?」
ニナの気持ちを受け入れて手を離したが、これまでの思いや未練までを捨てたわけではない。否、捨てるつもりは一切ない。
「王女殿下のお話では、セシル様やアデール様が再び同じ状況に陥ることはないとのこと。殿下が急いで結婚する必要はなくなりましたので、元々陛下とお約束されていた成人の儀までは大丈夫かと」
元々取り決めていた猶予だが、決して長いわけではない。
それでも、待ちたかった。ニナが戻ってくる保証があるわけでもないし、戻ってきたところで何かが変わる保証もないが、それでも、僅かな間だけでも、希望を持っていたい。
(あと、一年と少し……)
「待ってる……」
クロードは小さくそう呟いて、向かう先へと馬を更に駆った。