19話
天正10年、都より使者が来て信親は従五位下土佐守に任ぜられた。
それを機に四国中の国衆が信親の元へ挨拶に訪れた。
その中には三好長慶の従弟にあたる三好式部少輔康俊もいた。
「此度の土佐守任官の儀、謹んでお喜び申し上げます」
「うむ、岩倉からは遠かったであろう。小太郎(俊長)も貴殿に会うのを楽しみにしておったぞ。今宵は親子水入らずの時間を過ごすと良い」
式部少輔の子の俊長は人質として土佐におり信親の側近となっていた。
「ご配慮痛み入りまする。ところで勝瑞城の河内守ですが……」
「義賢め、未だに時勢を読まずに四国平定の邪魔をしてきおる。この辺りで叩いておくつもりだが大方そなたが気になるのは三好宗家の家督であろう」
「はっ。僭越ながら阿讃を抑えるには三好宗家を継ぐものが居る方が……」
「分かっておる。義賢を滅ぼした後は小太郎に宗家の家督を継がせ俺の妹を嫁にやろう。勝瑞城も与える。だがその代わりに土佐泊を攻めよ」
土佐泊城は史実では四国征伐まで元親の攻撃を耐え抜いた阿波で唯一の城であった。
三好義賢とは同盟関係にありこれを叩くことは信親にとって最優先事項である。
「武田、一宮らに動員をかける。香宗我部の叔父上を総大将として土佐泊を落とせ。我らは並行して勝瑞城を攻める」
「ははっ。承りました」
かくして長宗我部信親は四国中の諸将に命じ三好征伐のために挙兵した。
森村春の籠る土佐泊城を香宗我部親泰、三好康俊、武田信顕、一宮成助、黒岩種直、池内真武、横山友貴ら三千人が包囲。
讃岐の十河城には香川親和、大西頼包、金子元宅らの三千。
そして勝瑞城には信親、吉良親実、比江山親興、戸波親武、本山親茂、久武親信、中島重勝、桑名親光及び一領具足の一万二千が押し寄せた。
河野家への抑えを除けば長宗我部軍が動員できるほぼ限界の兵力であり最終決戦にふさわしい大軍勢である。
三好義賢も信親に対抗して五千の軍勢をかき集めたが二方面から攻め込んでくる長宗我部軍に対してそれまで三好に従属していた国衆や寺社が反旗を翻し兵を二千ほどまで減らしながら勝瑞城を放棄。
逃亡する最中に逃げきれないと判断し一族や重臣と共に自害。
その後まもなく土佐泊も落城し阿讃は完全に長宗我部のものとなった。
天正10年の3月のことである。
元親の甘いところは中富川の戦いで三好義賢の降伏を受けいれて讃岐への退路を作ったことだと思います。あそこで義賢を許さずに切腹させれば柴田勝家や徳川家康ともより連携して秀吉を追い詰めれた訳ですか。
というか長曾我部軍って一領具足の装備の問題か割と損害多いですよね。引田の戦いだと三家老の中島氏も戦死してますし




