8話
生活サイクルが終わってるので寝てました
もう言い返してこないだろうと秀吉が決めようとしたところで信親が口を開く。
「だから某と組めば良いと申しているでしょう。長宗我部家と組むのではなく弥三郎信親と組めと」
「は……?」
一同がキョトンとする。
信親がこう言い放ったのには理由があった。
史実でも信親は独自で軍を動かす権利を本能寺の変の時点で持っていたらしい。
あくまで旧世代的な戦国大名たる長宗我部家ならばかつての武田家のように家臣が外交を行うこともあっただろう。
そして信親とてそれは例外ではない。
「私の父は確かに優れた将です。しかし物事を深く考える所があり、明智殿だけでなく羽柴殿とも手を組むべきと私と久武が進言しても殆ど聞き入れません。ですが私は長宗我部家を2分する事になっても羽柴殿と組む事に利があると考えております。如何ですかな、私と手を組んでは貰えないでしょうか?」
用は元親と対立してでも秀吉と手を組みたいと言っているのである。
元服したてのボンボンと思ってた相手がここまで言うので次は秀吉が引き下がる。
「それは貴殿の将来に関わる問題でござる……。それでもよろしいのか?」
「構いませぬ、いずれ我らは伊予で毛利と衝突するでしょう。その折に羽柴殿と手を組んでいれば連携して毛利を圧迫する事も出来ます」
「……相分かった。三好は追い返しこれから四国の事は貴殿と連携するとしよう。これからよろしくお頼み申し上げますぞ、弥三郎殿」
「そのお言葉をお待ちしておりましたぞ、筑前守殿!こちらの窓口はこの久武に担わせまする」
有馬温泉で秀吉と意気投合した久武親信ならばこの役目は適任だろう。
「ならばこちらは蜂須賀小六に取次をやらせましょう。今は中国に居る故に後日書状を送らせまする」
「忝ない、今後は羽柴殿を第2の父とも兄とも思いお助けしていきたいと思うておりますぞ」
「良かったでは無いですか筑前殿。また頼れる息子が出来ましたな」
冗談のように言う秀政だが先年に嫡男を亡くしている秀吉にとっては嫌味でしかない。
とはいえ20年の付き合いになる秀政が嫌味をよく言うのは秀吉もよく知っていた。
「久太郎……お主以外がそれを言うたら叩き斬っておったぞ……。ともかく、三好の事はこちらにお任せくだされ。今日は夜も遅い故に父上もご心配されよう、小一郎お送りして差し上げよ」
秀吉も眠たくなってきたのか信親らに帰ることを促し信親達もそれに応える。
こうして信親と秀吉による奇妙な協力関係が成立した。
そしてこの関係が後々歴史に大きく関わっていくことは読者の皆さんならよく分かるだろう……。
元親ら一行が停泊している宿に戻ると元親が信親を睨みつける。
「お主、羽柴の屋敷に行っておったな?もし明智殿にバレたら面倒な事になるぞ……」
「良いじゃないですか。どの道、毛利とぶつかれば羽柴殿の力を借りる必要がありましょう。父上と叔父貴は阿讃、私と左京進(吉良親実、親貞嫡男)が担当しそれぞれ利のある相手と組めば良いのです」
「はぁ……どうなっても知らぬぞ。明日は上洛するゆえ早う寝よ」
後年、この日は信親は後に人生でいちばん重要な日だったと家臣たちに述べていた。
この日を境に長宗我部家の運命は大きく変わっていくのであるがそれはまだまだ先のお話である。