7話
秀吉の屋敷は安土城下にあった。
普段は長浜城に居るが今日は光秀の嫌がらせで安土に呼び出されたのに宴に呼ばれなかったらしい。
つくづく光秀も裏の顔はあるものだと思いながら信親は屋敷の前に立つ。
「羽柴殿、久太郎です。開けてくだされ」
そう言って屋敷の前に来るなり秀政が扉をガンガンと叩く。
普通に近所迷惑だ。
向かい側の前田利家の屋敷の警備が不振な目でこちらを睨んでいる。
「警備の者が何故おらんのです?向かい側の屋敷は如何にもなけいびが居るのに」
「まあ、羽柴殿の家来は適当ですから。どうせ市松と虎之助辺りでしょう」
市松は福島正則、虎之助は加藤清正。
共にまだ20にもなっておらず身分は秀政と比べれば月とすっぽんだ。
「ほっ、堀様でしたか……!どうぞお入りくだされ」
まもなく顔を真っ赤にした若い男が出てきて扉を開ける。
「たわけ市松!お主警備の役目を任されているのに酒を飲んでおったのか?」
それまでにこやかだった秀政が怒鳴る。
「殿がお主も飲めと……んでそっちのガキは?」
「貴様、無礼なッ!」
酔っているから仕方ないが流石に同盟相手の嫡男に向ける言葉ではない。
巻き込まれて連れてこられた信親の側近の福留儀重が刀に手をかける。
「あぁ、殺気立つな。酔っているとはいえ相手は羽柴殿の家臣じゃ」
斬らせる訳にもいかないので信親が宥める。
親信も不快感を顕にしている。
「こちらは長宗我部家のご嫡男の弥三郎殿。相手が徳川のご嫡男なら斬られておったぞ」
そう言って秀政は福島正則をほって屋敷の中に入り信親達も続く。
「元々の育ちは大して良くないから家来共のタチが悪い。ほらね」
横を見れば明らかに酔ってる下人達。
長宗我部の人間も酒好きが多いが職務中の飲酒など許されない。
「申し訳ない、久太郎殿。兄者が皆に酒を配り出してこの次第じゃ…」
廊下にて角張った顔の中年の男が出迎える。
「これが藤五郎(長谷川秀一、荒木村重に小便を引っ掛けた人)なら確実に御館様に報告してましたな。ご紹介致す、こちらは長宗我部家の弥三郎信親殿と御家老の久武内蔵助殿と福留隼人殿」
「なんと、長宗我部家の方々でしたか。私は羽柴小一郎長秀。筑前守の弟にござる」
「弥三郎信親でござる。急に押しかけて申し訳ない」
この長秀は後に名を変え羽柴秀長となり四国征伐では総大将を務める。
秀吉の天下取りに必要不可欠だったとされる人物で近年の評価は高い。
この時点で既に信長の独立した家臣であったと考える人もおり、実際に但馬は秀長が支配していく事になる。
「明智様のご不況を買わなければよろしいが……。どうぞ兄に御用があるのでしょう、兄はこちらです」
遥かに年下の信親にも腰が低い。
流石は豊臣政権の中枢を担う人物である。
まもなく秀長に案内され広間に通される。
「兄者、長宗我部弥三郎信親様でござる。わざわざ兄者にお会いになりたいと来てくださいました」
広間の奥にはこれぞ秀吉!というような猿顔で指が6本の小汚い男。
「長宗我部弥三郎信親にござる。此度は織田家一の出世頭と称される羽柴殿にお会いしたくこうして参りました」
向こうは中国方面の司令官にして元親と同様に従五位下に任ぜられている。
武士としても信親より遥かに格上なので信親は下手に出る。
「はぁー?長宗我部……長宗我部ッ!?」
酔いつぶれていたのか一瞬認識していなかった秀吉だが直ぐに信親の元へ飛んでくる。
「長宗我部殿!?わざわざご嫡男が来てくださったのか???って久武殿じゃねえか!元気にしておられたか!」
懐かしい顔に秀吉のテンションが上がる。
「羽柴様!以前お話したでしょう、若君は必ずや貴殿にお会いになりたがると。こうして再会出来る日を心待ちにしておりました!」
秀吉と親信は互いに手を取り再会を喜ぶ。
儀重の方はボーっとしている。
「あっ、これはいかん。ワシが羽柴筑前守秀吉でござる。わざわざ弥三郎殿が来て頂けるとは恐悦至極にござる」
人たらしと呼ばれるだけあって初手は下手に出る秀吉。しかし信親はさらにその下を行く。
「いや、今孔明と称される羽柴殿程の御方が居らっしゃるのにご挨拶に出向かないなど非礼にも程がございます。某、久武に羽柴殿の話を聞いてからいつか軍略の何たるかを羽柴殿にご教示頂きたいと思っておりました」
「はぁー!まさか遠く離れた四国の御方にそのように言うて頂けるとは!長宗我部のご嫡男は聡明であると言う話はワシも耳にしておりました。御館様も以前養子にしたいとまで申されておりましたぞ」
「羽柴殿にそこまでのお言葉を頂けるとは勿体のう事でござる!信親一生の誉!某も羽柴殿のような将になりたいものです」
この特に意味の無い褒め合いに飽きたのか横槍を入れる。
「褒め合いはその辺にして長宗我部殿は何故羽柴殿に会いたいか聞いておりませなんだな?」
「げっ……明智殿に頼まれてワシの命を狙いに来たとか?」
笑い混じりだが秀吉も光秀一派の長宗我部に完全に心を許していないようだ。
「ご冗談を。ただ羽柴殿のところには最近三好笑岩が擦り寄って来ているのでは無いですか?」
三好笑岩は三好長慶の叔父で三好一族の長老格である。
三好義継が信長に討たれてからは信長に従っており、後に長宗我部家に数々の調略の手を仕掛けるしたたかな男である。
「あの……何故それを長宗我部の若君が?」
端に控える秀長が不振な目で信親を見る。
「明智殿と親しい我らに対抗するために明智殿に対抗しうる西国の有力部将、羽柴殿に三好が接近するのは考えられぬ話ではありませぬ」
「よう見抜かれた。それで我らに三好と手を切れと申されるか?」
それまでにこやかだった秀吉の目の色が変わる。
信長に威圧感を感じなかった信親だが秀吉の出すオーラは生きるために必死な孤児のような目をしており信親も凄む。
「如何にも、三好は将軍を討ち東大寺を燃やす蛮族。その中でも笑岩は戦場で死ぬことを恐れ一族を見捨てて織田に媚びを売る卑怯者でござる」
「貴殿がそう思ってもワシはそう思わん。あれは西国統一に役に立つ」
「本気でそのような事を?明智殿に四国政策で対抗されたいなら笑岩でなく某と手を組まれよ」
歴史的な背景を見ても秀吉が明智光秀に対抗するために三好と接近しているのは火を見るより明らかだった。
「貴殿と組む?宮内少輔殿と明智殿で閥があるのに貴殿と組んでなんの意味があろう。どうじゃ?」
詰める秀吉、対抗する信親、焦る久武と福留と秀長、それをニヤニヤしながら見る秀政。
だがここで信親が次の一手を放つのだった。