3話
土佐へ向かう船でどっと疲れが来た。
令和ならともかく戦国の京と土佐はかなり遠い(いや、令和でも遠い)
さて、土佐に戻ると早速、事の経緯を一同は元親に説明する。
「はぁ……明智殿に言わなかったのは流石に不味かったか……」
元親と光秀は親しい仲だ。
信親押されて光秀には内緒にしていたがやはり後ろめたかったらしく、元親は話を聞いて頭を抱えてしまった。
「久武内蔵助(親信)も申しておりましたが明智殿だけではなく羽柴筑前殿のような他の重臣とも好を通じて置くべきでござる。いざという時に」
「うーむ、しかしそれでは明智殿に申し訳が立たぬ。また検討しよう」
元親は優柔不断なところが多い。
いや、何本も予防線を貼り綿密に計画するタイプなのだろう。
どちらかと言うと直情径行で即座に行動する信親とはそこが違う。
いや、元親が異端なだけで長宗我部の血筋は信親の方が色濃く受け継いでいるのだろう。
かつて元親の祖父の長宗我部兼定は周辺豪族の攻撃を受けて居城の岡豊城を追われ一条家の庇護下に置かれた。
その状況を打破すべく動いたのは彼の子で元親の父の長宗我部国親。
国親は登場の一条家の当主の前で2階から飛び降り、自身の勇猛さを見せつけて岡豊城を取り返すために一条家の力を借りた。
そこから国親は破竹の勢いで土佐中央部を席巻。
元親が家督を継いだ時点で既に宿敵の本山氏はかなり弱体化していた。
しかし元親は一気にケリを着けなかった……いや着けられなかった。
初陣直後に国親が病で世を去り土佐東部の安芸氏や西部の一条家の妨害を受け思うように本山攻略は進まなかった。
だが元親は粘り強く攻略を続け1568年に本山氏を降伏させると翌年に安芸氏を滅ぼした。
そのまま勢いに乗って一条家も……。
という訳にはいかなかった。