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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
維新の章
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維新の章 番外編 その後の登場人物

半分ネタです。

その後の人々


伊達政宗 2代目内務卿として日本陸軍、海軍の設置及び海外との条約締結、3代後までの版籍奉還の達成などに尽力する。

1605年に内務卿を退き1613年の日明戦争の後は朝鮮総監部の総督となる。

8年後の1621年に朝鮮の青年に吹き矢で射抜かれて死亡。

家臣の支倉常長はその後も外交官として活躍した。


長宗我部政親(盛親) 信親死後から政府に出仕し小早川隆景の死後には海軍卿となり南蛮、紅毛と小競り合いを起こしその度に鉄甲船を駆使して完封している。

政宗の後に3代目内務卿となると朝鮮、明への出兵を強行。

兵農分離化された日本軍相手に明軍如きに勝ち目はなく朝鮮を支配下に置き、伊達政宗の死後は激怒して満州まで制圧した。

戦争をしまくったり内務卿を引退してからもうるさかったので葬儀には誰も来なかったらしい。


長宗我部元親 信親の死に落胆し出家する。史実通りに死去するまで子供や孫に囲まれて安らかに眠って行った。


毛利輝元 信親死後も結局権力を回復出来ることはなく1600年に養子の毛利秀元に跡を譲り隠居。

毛利の御老公と呼ばれることになるが尊皇攘夷に走ったりはしなかった。


吉川広家 輝元、小早川秀包と対立して1605年に反乱を起こす。

しかし当時近衛総督だった秀元に見捨てられ死亡。


小早川隆景 史実通りに病死、跡は小早川秀包が継いだ。


島津義久 1595年に引退。しかし彼を慕う若者達が今出川の島津屋敷に集まり同じ同志を持つものの結社がいつしか同志社と呼ばれるようになった。

晩年は南蛮の果物にハマる。


島津義弘 兄と違い死ぬまで現役を掲げて朝鮮との戦でも大活躍する。息子の忠恒は政親の右腕として活躍した。


津野親忠 政親と揉めたので政界に入らずに大坂にて実業家となる。

大坂の商人の娘をドードーと呼んでるらしい。


羽柴秀吉 政府にて活躍し史実通りに死亡。息子の秀頼は京にて実業家となり公共衛生や銀行、郵便などの成立に貢献し日本経済の父と呼ばれるようになる。


蒲生氏郷 参議に就任するも伊達政宗と対立し細川忠興と共に政府を離脱。

その後は民の自由と権利を尊重する自由民権運動のリーダーとなる。

ある日岐阜城前で暴漢に襲われるも「蒲生死すとも自由は死せず」と奮闘し暴漢を撃退した。


細川忠興 蒲生氏郷と共に政府を飛び出し自由民権運動へ参加。

自身のお陰で金持ちとなった小西行長を使って豪遊した。


小西行長 政府には参加せず海運業を始めバカ儲け。しかし細川忠興に頭が上がらず自由民権運動などに金を出させられた。

後に旧主の羽柴秀頼と対立して海運合戦を繰り広げた。


立花宗茂 伊達政権でも順調に出世し政宗が不調の時には代わりに政を仕切ることもあった。

ある日カツラであることが判明し桂さんと呼ばれるようになった。


徳川親忠(秀忠) 伊達政権で宗茂と共に政宗の両腕を成す。

西園寺家から取った嫁に頭が上がらなかったので西園寺さんと呼ばれた。

2人合わせて桂園。


前田利家 秀吉とヨリを戻し政府に出仕し続け史実通りに病死。


堀秀政 氏郷と忠興が消えたあとの織田閥のまとめ役となる。

後に国粋主義に目覚め弱腰外交の吉良親実を退職させる。


吉良親実 信親死後は土佐のリーダーとして君臨し外務卿に就任する。

しかしスペイン相手に弱腰だったため堀秀政の批判を受け辞職。

ある日歩いてたら浅野幸長に刺されて死んだ。


鍋島直茂 順調に出世して行ったが同い年の前田利家、元親の死を受け引退。

朱雀にて寺子屋を開き後に立命館と呼ばれるようになる。


羽柴秀長 史実通りに病死、息子の秀保は早死しなかったが吉川広家の乱に加わり逮捕される。

しかし秀頼が金を払ったことで釈放され実業家の道を進むも投資に失敗した。


藤堂高虎 順調に出世し海軍卿の後、姫路製糸場の総監となる。

羽柴の会の会長も務めた。


織田信雄 参議たちの喧嘩に悩まされたものの最後まで生き抜き史実通りに死ぬ。


一条内政 元親に暗殺されることも無く太政大臣まで昇進。


二条昭実 ある日特殊能力に覚醒し俺は武田信虎だと言い出す。最後は目を痛めて病死。


近衛信尹 父が集めていた花札を見つけて以降、花札に妖怪や獣を描きそれで戦う遊びを生み出す。

それが時代を得てポ〇〇ンカードとなり彼はトレカの神と呼ばれ崇められることになった。


上杉景勝 頭が固すぎて出世する事はそれ以降も無かった。

柳生宗矩率いる柳生一派の反乱への対策を担当し流浪となっていた三代目上泉信綱を呼び出した。


加藤清正 特に出世せず警察官となる。サッと素早く事件を解決する事を目的とし紅毛の言葉を当てた特殊部隊『SAT』を創設する。


加藤嘉明 特に出世せず警察官となる。シッと静かに事件を解決する事を目的とし紅毛の言葉を当てた特殊部隊『SIT』を創設する。

後にそのまま呼ぶとク〇という意味になるのが判明しエスアイティーと呼ぶようになった。


福島正則 2人みたいな部隊を作りたくなり紅毛人から聞いた言葉を適当に合わせて『SST』という特殊部隊を創設した。

彼らは主に海上と浜辺の事件に対応する。


仙石秀久 グレて水野勝成と共に裏社会に入る。

兵庫城の近くでアウトロー集団のリーダーとなり後に兵庫センゴク組と呼ばれるようになる。

晩年は自分の人生を描いたマンガを描き始めた。


石田三成 上杉景勝が引退した後に警察長官となる。大谷吉継を近衛総督改めて警視総監として警察の近衛府を警察庁の指揮下に収め過激派との熾烈な争いを繰り広げる。


黒田長政 父に代わり蝦夷開拓長官に任ぜられる。その際に津野親忠との癒着を疑われる。


池田輝政 岡山にて庭園を作る。ただそれだけ。


丹羽長重 しばらく大人しくしていたが関東司令部の総監になった後、満州に派遣された際に大暴走。

明のお偉方を爆殺したりモンゴルを攻めようとしたり政親の頭を悩ませた。


香宗我部親泰 政府には出仕しなかった。息子の親氏は台湾総督となり信親も顔負けのジェノサイドを繰り広げる。


真田昌幸 ある日、共産主義に目覚め井伊直政と共に日本共産党を設立。

彼らの服装は赤く染ったので赤備えと呼ばれた。

噂によると島津義久と鍋島直茂の学校は彼らとズブズブらしい。

後に信幸がロシア、信繁が中国へと旅立ちその子孫が日本を脅かす大国を作ったとか作ってないとか。

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