15話
秀長達は防衛ラインをさらに強化するもそれは無意味であった。
それまで東美濃を防衛していた森忠政、各務元政が徳川側に降伏するとそこからはあっという間だった。
岐阜城、大垣城が立て続けに陥落し秀吉は完全に退路を立たれてしまった。
既に兵力でも連合軍とほぼ同格になっている秀吉を信雄は許さなかった。
5万の軍勢で一気に包囲殲滅しようと目論んだ。
しかし秀吉方は流石手練。
堀秀政を先鋒に田中吉政、堀尾氏晴らが徳川軍を最後尾で食い止めた。
初めは五万いた秀吉軍は美濃を突破して佐和山城に入ったところには一万近くまで減少していた。
秀吉と堀秀政は何とか生き延びたものの加藤光泰、神子田正治、尾藤知宣、木村重茲、前野長康、そして三好信吉が討死するというとんでもない大損害を負うこととなった。
さらに追い討ちをかけるがごとく秀吉にとって信じ難い情報が舞い込んできた。
『羽柴秀吉を朝敵とする』
これを見た秀長軍に対して連合軍は投降を呼びかけた。
初めは秀長も拒否したが上杉景勝、前田利家の寝返りは彼の心を完全に破壊した。
特に利家は秀長にとっては兄、秀吉の親友でありもう1人の兄のような存在であったのだ。
ついに心が折れた秀長は連合軍と講和の席を設けた。
連合軍からは信親、安国寺恵瓊、信親に従った藤堂高虎が、羽柴側からは秀長、官兵衛が参加した。
「我らは美濃守殿に京を明け渡して頂ければ命は取らぬ。されど藤堂、蒲生、堀、そして黒田殿らは独立し、羽柴殿は長浜29万石の一大名とさせて頂くように説得して頂きたい」
長浜は元々は秀吉の本領であり、そこで29万石ならまだマシだろう。
しかし優秀な家臣を奪われることは大きな痛手である。
信親としても秀吉と秀長は是非とも家臣にしたいのでこれくらい妥協したのだ。
「承知致しました……。官兵衛殿や蒲生殿は……」
「黒田殿は姫路五万石で我が与力、堀殿は佐和山15万石、蒲生殿は伊賀15万石、藤堂は我が側近と致します。我らとて弟と従兄、大切な家臣を失っておるのです。これ以上は譲れませぬ」
「宇喜多に関しては我が毛利家にて客将と致します」
そう安国寺恵瓊が付け足した。
「ワシは皆の命が助かるならそれで問題ありませぬ。兄上の説得はお任せくださいませ。官兵衛殿も構わぬな?」
「はっ。私は殿と小一郎様がご無事なら何処へでも」
「良し、では受け渡しの準備を」
こうして秀長は京より撤退した。
蒲生氏郷、黒田官兵衛は連合軍の指揮下に入り丹羽長重は若狭一国まで縮小させられた。
そして天正13年の正月、秀吉は剃髪して長宗我部、毛利連合軍に降伏したのだった。