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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
維新の章
55/199

11話

あけましておめでとうございます。

昨年は長宗我部主役の作品を二作品投稿し、津田信澄の方は自己最高のポイントを獲得することが出来ました。

これも読者の皆様のおかげです。

どうぞ今年もよろしくお願い致します。

羽柴勢撤退の報は直ぐに長宗我部軍にも舞い込んで来た。

城に残るのは丹羽長秀の五千であり本軍は全て引きあげ今こそ攻め時であった。

しかし長宗我部の首脳陣は皆この攻撃を渋っていた。

何せ、先の戦での前例がある以上、下手に攻撃するのが怖いのだ。


「ここは弥三郎に決めてもらうとしよう。どうじゃ?」


何も喋らない信親を見兼ねた元親が話を振る。


「ここで退いては死んだ仲間に顔向け出来ませぬ。一気に攻め立てましょう。大坂にて動くものは皆殺しに致せ!」


「応ッ!」


信親のその一言で家臣たちは火がついた。

作りかけの城に籠る五千の軍勢を叩くことなど赤子の手をひねるより簡単なことで長秀以下五千は尽く討ち取られた。

更に信親は元親の制止を振り払い大坂にいる老若男女を問わず殺害するように命令。

10万人が一夜にして殺害され、これは後に海外でオオサカジェノサイドと呼ばれる事になる。


さて、他の地方の情勢を見てみよう。

尾張にて睨み合う羽柴軍と徳川軍だったがそこに北条軍二万が到着。

これにより今まで三万だった徳川軍は五万となり秀吉軍と互角の兵力となった。

伊勢方面は蒲生氏郷と藤堂高虎の奮戦で秀吉方が若干有利であったが筒井順慶が病に倒れ筒井定次が大坂陥落の報せを受け大和へ撤退したことで雲行きが怪しくなっていた。


北陸では再度建て直した佐々成政が能登に侵攻。

今回は前田利家も耐えきれずに撤退した。

それから私の作品ではいつもの事だが上杉景勝はやはり新発田重家のせいで動く事が出来ず秀吉の期待通りには動かなかった。


中国では毛利軍の猛攻に耐えられず宇喜多秀家が降伏。

命だけは許されたものの備前を追われ毛利軍はそのままの勢いで播磨に侵入した。


九州では長宗我部家と誼を通じていた島津家が龍造寺家を降し大友家との最終決戦に備えつつあった。


このような情勢の中で大坂の長宗我部父子の元に高山右近、中川秀政がやって来た。


「これより我らは長宗我部様に従いまする。我が城と兵はお好きなようにお使い下さいませ」


「ようご決断なされた。共に天下を目指そうぞ」


元親は2人を饗した。

更に面白い男が大坂に訪れた。

その男の名前は荒木村重。

かつて織田信長に反旗を翻し没落した男である。


「此度の長宗我部様の戦ぶり、天晴にございます。どうかこの村重も一兵卒として末席に加えて頂きたい」


「ほう、信長に反旗を翻した男か……。面白い、活躍によっては一国の主に返り咲けるやも知れんな」


それなりに一軍を統率できる武将の質が高くない長宗我部家からすれば荒木村重のような没落したとはいえ優秀な将は即戦力であった。

高山、中川と併せて信親は彼らを三好存之の下に附けた。


そして一月後、毛利輝元率いる三万が大坂に到着。さらに半月後には山陰方面より侵攻した穂井田元清が細川忠興を引連れて一万五千の軍勢で大坂に着陣したのであった。

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