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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
維新の章
51/199

7話

和歌山城に来てます。

やっぱ登るのはきついっすね

岸和田城と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

大物YouTube r?おい!それってYO!(ちなめに主の名前の元ネタは誰であろう彼のなろうのペンネームである)

なんて冗談は置いておいて今、その岸和田城は四万五千の大軍に包囲されていた。

城主の中村一氏も必死に奮戦するが不運なことに包囲側の長宗我部軍には三好家の人間が多数いた。

元々この城は三好家の物なので彼らからすると親戚の家を走り回るようなものだった。

各地の抜け穴やらなんやらから雑賀衆が流れ込み中村一氏も奮戦したものの最後は鉛玉に倒れた。


岸和田を制圧した長宗我部軍の次なる狙いは河内であった。

河内を支配する三好信吉はさしたる守兵を置いておらず三好存之が河内に入ったと知るや三好家恩顧の土豪や地侍はこぞって長宗我部側に寝返った。


羽柴側も何もしない訳ではなく蜂須賀小六率いる三千と仙石秀久の二千が大坂に入城。

三万五千となった羽柴軍は未だ築城途中の大坂城で篭城するのではなく野戦にて長宗我部軍を撃破するために動き始めた。


さて、地方に話を向けよう。

まず家康は元親の快進撃を見て北条氏直にも援軍を要請し甲信の守兵も動員し秀吉を牽制した。

東美濃は森長可が討死したことで徳川方が有利である。

対して伊勢方面は羽柴秀長率いる羽柴軍が有利であったが大坂に戻るかの議論が続いてた。

北陸においては佐々成政が前田利家に敗北したものの再起を建て直しつつあり未だ情勢は不明であった。


問題は中国である。

今、畿内の情勢を見て吉田郡山城に毛利家の重鎮たちが集められた。

中央には足利義昭、脇に毛利輝元。

それを囲うように右には吉川元春、元長、穂井田元清、熊谷信直、益田元祥ら。

左には小早川隆景、小早川秀包、安国寺恵瓊ら。


「今こそ、長宗我部と連携し畿内に戻るべきじゃ!余を将軍に戻すのじゃ!」


そう言うのは足利義昭。

これに不満そうなのが小早川隆景だ。


「上様、長宗我部は平島公方を送り込むつもりにござる。それならば羽柴殿に御味方した方が……」


「しかし羽柴は上様が上洛する事を許さなかったでは無いか!それにそなたは見たであろう。奴は大恩のある信長の子を殺し家を乗っ取っておるのだ。信用出来ぬ!」


「兄上は何も見えていない!羽柴殿こそ天下を取るお方じゃ!」


また吉川元春と小早川隆景の喧嘩が始まった。

仲が良かった2人だが秀吉との和睦以降は険悪な関係となっていた。

そこに漬け込んだ足利義昭が吉川元春を抱き込んで上洛しろとずっと言っておりその勢力は日々拡大していた。


当主の毛利輝元としても秀吉に奪われた所領を挽回したいものの大友を取ると島津と龍造寺と隣接する事になるし四国の長宗我部は大きくなりすぎたため、進出するならば秀吉と敵対するしか無かった。

しかし小早川隆景にビビって仕方なく言うことを聞いている感じである。


この毛利家の軍議は三日三晩続きひたすらに元春と隆景の罵りあいが続くのだった。

さて、どうなるかはまた今度。


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