6話
そしてついに来た1584年。
徳川家康、織田信雄と秀吉が対立すると家康と信雄は長宗我部に助力を要請。
淡路、摂津、播磨の3カ国を与え親泰に備前を与えると朱印状をよこした。
長宗我部父子もこれに応え秀吉が東進すると河野家との不戦条約を取り付けると三万五千の大軍を率いて淡路を目指した。
それに呼応するように紀伊の雑賀、根来らと一揆勢も一万を集めて北上。
後に天正の大戦と呼ばれる戦が始まった。
長宗我部軍に対して秀吉は大坂に黒田官兵衛らの五千、播磨に蜂須賀小六の三千、岸和田に中村一氏の三千、そして淡路に仙石秀久、小西行長の三千を置いていた。
これらを併せても長宗我部、紀州連合軍には到底叶わぬ数であった。
長宗我部軍の陣立は以下の通りである。
一番隊 五千
・香宗我部親泰 三千
・池頼和 千
・菅達長 千
二番隊 一万三千
・長宗我部信親 六千
・長宗我部親吉 三千
・本山親茂 二千
・大西頼包 二千
三番隊 七千
・香川親和 四千
・十河存之 二千
・香西佳清 千
四番隊 一万
・長宗我部元親 五千
・吉良親実 三千
・桑名親光 二千
まず淡路に上陸したのは親泰勢の三千であった。
仙石勢の防衛ラインを突破するために水軍勢がこれを援護し森権平率いる五百の仙石勢先鋒がこれを迎え撃った。
長宗我部軍上陸の報せはすぐに洲本城の仙石秀久と小西行長の元へと伝えられた。
「官兵衛殿は時を稼げと言うとったがちと不味いかもしれんなあ」
何せ淡路南部の海は全て長宗我部水軍に埋め尽くされているのだ。
秀久が弱気になるのも仕方ない。
「何を申される権兵衛殿。ここで止めねば大坂は目と鼻の先ですぞ」
「いやぁ小西殿。下手にここで戦って長宗我部を勢いづかせるよりも大坂に引いて兵力を温存した方が良くないか?どうせ藤吉郎様の大軍がそのうち戻ってくるじゃろうし」
だが権兵衛の予想とは違い秀吉は家康に足止めされていた。
既に森長可、池田恒興・元助父子が討死し東美濃と北陸でも徳川方が動き始めており迂闊に撤退する事が出来なかったのだ。
そしてそれは大坂城を預かる黒田官兵衛も知っていた。
「中村殿は紀州の連中にかかりっきり。殿は戻られないとなると草津の丹波(羽柴秀勝)様と……」
官兵衛は顎髭を擦りながら地図を睨んだ。
「丹羽と細川に兵を出させましょう。丹波様と合わせれば3万程にはなりまする」
「バカを申せ。細川殿はともかく丹羽様がそう簡単に動くとは……」
息子の長政の意見を官兵衛は突っぱねた。
この時点で織田家の当主は織田信雄なので秀吉政権はまだ始まっていない。
つまり丹羽家は秀吉の家臣ではない。
「とにかく送ってみることは送ってみるがどれほど出すか……。一万集まれば良い方だな」
だが官兵衛の予想を反して丹羽長秀は一万五千の軍勢を引き連れて大坂に到着した。
そこに細川と羽柴秀勝の軍勢も合わせると二万五千となり官兵衛の五千と併せて三万となった。
「丹羽様!わざわざのご参陣忝ない」
官兵衛は長秀に平伏した。
「いや、長宗我部は2年前に討ち漏らした相手。某が討たねばならぬと思うてな」
「丹羽殿、忝ない。これで我らも百人力でござるな!」
と羽柴秀勝。
そんな事がチラホラ流れてきた頃、長宗我部軍は洲本城を制圧していた。
仙石秀久は森勢が破られたのを見るや播磨に撤退したので大した損害も出なかった。
「申し上げます!岸和田にて雑賀衆は苦戦との事!如何なさいますか?」
「岸和田に構ってはおれぬ。このまま一気に大坂に上陸すべきじゃ」
家臣の報告に対して勢い付く信親。
「いや、聞けば丹羽長秀らの兵二万五千が大坂に入ったらしい。ほとんど我らと互角であるぞ」
「城攻めになると不利ですな。ここは大坂から連中をはじき出す必要がありそうですな」
そう言う親泰だが具体的な策は何も無い。しかも相手は黒田官兵衛と丹羽長秀だ。
下手な策略は通用しない。
「ならばやはり岸和田から攻めよう。雑賀衆も加えた方が有利だ」
元親が言うと信親も渋々頷く。
こうして長宗我部軍は淡路に菅達長を置くと全軍で岸和田へ向かったのだった。