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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
維新の章
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5話

八月に元親の率いる三千が十河城に入城した。

信親を筆頭に親和、親泰、存之、親茂らが平伏する。


「弥三郎……手際は見事であるが損害は如何程か」


「はっ。兵二百が討死致しました。それに関しては伏してお詫び申し上げます」


「分かっておるなら良いが出来るだけ兵の損失は避けよ。これよりはどうするつもりだ?」


「お聞きであれば進言致しまする。西園寺を叩き軍備を整え本土進出を目指すべきです」


「何を申されます、若様。それよりも河野が先では……?」


伊予方面軍の久武親直が言う。


「毛利と敵対すべきではない。それよりも毛利家の反羽柴勢力の吉川駿河守と交を結び淡路進出を伺うべきだ」


「なっ!」


元親の側近たちがザワつく。


「畿内が荒れれば荒れるほど我らにとっては好機!今こそ明智様の仇を取るべきだ!」


信親がそう言うと一同が黙り込んだ。

そしてその沈黙を破ったのは元親だった。


「久武は西園寺に総攻撃をかけよ。親泰は吉川駿河守に使者を送れ。ひとまずは毛利と盟を結ぼう」


「父上!」


「軍備の事は余に任せよ。そなたは勝瑞に入り阿讃の安定を目指せ」


「ははっ!」


こうして長宗我部家の目的は四国統一から畿内進出へと変更された。

そこからの長宗我部軍の行動は素早く西園寺を平定すると池頼和に船の増産を命じ雑賀、根来衆と連絡を取りつつ菅達長を味方に引き入れた。



さてこの頃には冬になっていたので畿内の情勢も動きつつあった。

柴田勝家、滝川一益は織田信孝を立てて秀吉に対抗。

秀吉は織田信雄とともにこれらとの対決を表明。

そして長宗我部家にも柴田家から味方する使者が来たのだが軍拡の途中だったので適当に流しておいた。


そして秀吉が勝つと一応戦勝祝いを送り機嫌をとりつつも吉川元春としきりに連絡を取った。

元春は自分の縁戚を巻き込んで反羽柴勢力を毛利家にて拡大させ信親の描いた通りに事は進みつつあった。

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