33話
信親が乱暴と吉田政重を連れて長屋に入ると盛親が茶を飲んでいた。
「これは兄上。お久しゅうございます」
「うむ、まずは元気そうで何よりじゃ。大坂城はどうだ?」
「いやー、腹の立つ話ですが7万石の大名であった私より馬廻りでしかない真田や陪臣の後藤又兵衛が浪人共の信用を集め正直あまり良い気ではありませんなぁ」
「左様か……。なら幕府に付く気は……」
「それは断じて有り得ませぬ。ワシは太閤殿下より大名に取り立てて頂き治部殿に豊臣を守ると約束致しました。例え100万石を頂こうとも幕府に着くことは有り得ませぬ」
「はぁ……そなたが応じてくれれば長宗我部は四国を取り返せたのだがのう」
「申し訳ありませぬ。しかし豊臣が勝てば右府様はワシに阿波、讃岐、淡路の3カ国を加増の上で兄上の所領も安堵すると仰せですぞ」
薄田兼相にブチ切れたことが伝わってないのか秀頼の心が寛大なのかは知らないが割と良条件だったので信親は驚いた。
「いやぁ、あの女狐が政権を握る限り豊臣に勝利は有り得んよ。ところでそれが豊臣に着いた理由か?」
「はっ。それにワシは生まれた年が遅く兄上や父上のように中々戦場に出ることも叶いませなんだ。まあ、戦雲の夢みたいなものですかな?」
「成程、俺は長宗我部の為にも夏草の賦にならないようにするしかないな。ともかく敵になった以上は弟とで容赦せぬ」
「その覚悟で大坂に味方したのです。ワシに気にせず存分に幕府軍としてお戦いあれ」
「うむ、達者でな」
こうして盛親の調略は失敗したものの藤堂高虎の献策による大坂城への砲撃で豊臣方は和睦を提案し両軍は休戦することとなった。
こうして長宗我部家にも束の間の休息が……
訪れなかった。
というのもの冬の陣で、同じく水上封鎖を担当した讃岐13万石(一応補足しておくと元々山内一豊は九万八千石で土佐に入っているのでむしろ史実より多い。あと生駒家は東北に飛んでもらいました)の山内忠義の家臣の後藤福基と乾正行が高知城にやって来て自分達を取り立てるように求めてきたのだ。
信親は冬の陣を通して山内家の家臣との交流を持っていたとはいえこれには驚いた。
「つまりおんしらは山内殿が恩賞を出さなかった事に腹を立て出奔したのだな?」
「はっ!何卒、何卒土佐宰相様の元にお仕えしたく!」
「乾殿に同じく!もはや耐えられませぬ!」
「んで、山内は何とか言ってるのか?」
「姑の松平隠岐少将を通して抗議しております。こちらは井伊殿に?」
吉田政重が報告する。
それと今更ではあるがこの時点で本山親茂は世を去り息子は伊予宇和島10万石、吉良親実、比江山親興、久武親信もそれぞれ世を去り伊予に5万石程度を得ており側近筆頭は政重であった。
「いや、俺が讃岐に行こう」
ということで遂に山内家と長宗我部家の直接対決が始まるのであった。




