32話
「我が土佐は江戸から遠く離れているため中々幕府の情勢が分からぬ。今はどうなっておる?」
「はっ、大久保忠隣様が追放されて以降、力を増しに増されていた本多様ですが近頃は土井大炊守殿や酒井右近大夫殿にちと押され気味です」
「ふむ、んで福は達者か?」
この福というのは後の春日局の事で斎藤利三の娘に当たるため、信親とは義理の従兄妹であり山崎の戦いの後にはしばらく匿ってやった事もあった。
(ちなみにその時に盛親といい感じだった)
「竹千代様のご養育の事でちょくちょく御台所様と揉めているようですが事の他大御所からの覚えめでたく、達者にしておられます」
「左様か。これからも目を離すなよ?」
「ははっ!それでは私はこの辺で」
「うむ、道中警護の者を付けさせよう」
直孝は信親に深く頭を下げると江戸に戻って行った。
その後まもなく、幕府より豊臣家討伐の命令が降り信親は2万の大軍を率いて阿波の蜂須賀義鎮と讃岐の山内忠義の四国勢を率いて大阪湾まで進出した。
そして戦の先端を切ったのは四国勢の蜂須賀至鎮だった。
蜂須賀勢は浅野長晟と共に木津川口の砦を攻めこれを落とした。
さらに蜂須賀勢はそのまま複数の砦を落とすなど豊臣恩顧とは思えない程に奮戦した。
ただ信親はと言うと蜂須賀勢に少々の援軍を付けたくらいで家康からの命もなくただ後ろを守っているだけだった。
しかし事態が急変したのは12月4日、大坂城に新設された砦を守る真田信繁と盛親が前田利常、松平忠直、榊原康勝、藤堂高虎、そして井伊直孝を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
幕府軍が惨敗した日の夜、信親は家康に呼び出された。
「土佐殿、弟がやってくれたのう」
家康は爪を噛みながら明らかに不機嫌そうだ。
「はっ、それについてはどうお詫び申し上げしたらよろしいのか……」
「ああ、いや。貴殿をお呼びしたのは別に詰問するためではない。盛親の調略をお願いしたいのじゃ」
と、徳川秀忠。
「ちょ、調略ですか……。恥ずかしながら俺も弟が何故豊臣に着いたのか分からぬのです」
「とは、いえ盛親も武士じゃ!阿波、讃岐の併せて35万石をくれてやる!」
家康がそう言うと信親は内心俺にくれと思いつつもそれに従った。
そして大坂城郊外にて盛親と会うことになったのだった。