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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
夏草の章
30/199

29話

以前にも説明した通り、元々行く予定だった系列大学に成績が足りなくて行けなくなった(とはいえ歴史学科に中世専門の先生いなかったんですが)ので他の大学の試験が10月にあるのでその準備でなかなか投稿できません。

申し訳ありません。

信親の放った砲弾は松尾山の小早川勢の本陣をかすり小早川秀秋を恐怖に陥れた。

まもなく小早川勢は松尾山も駆け下り大谷吉継の軍勢へと襲いかかった。


「これぞ勝機!俺も出るぞ!」


「おう!!」


信親自身も馬に跨ると倭刀を抜き大谷吉継隊の先鋒の平塚勢を叩き潰し平塚為広を討ち取るとそのまま勢いに乗って戸田勝成の首も破りこれを討ち取った。

このまま大谷吉継も討ち取ろうかと思えば小早川勢は押しに押されこのまま敗走させられようかと言う所だったがなんと脇坂安治以下4200が裏切り信親と共に加勢したことにより何とか持ち直し大谷勢は壊滅し吉継は討死、そのまま宇喜多、小西、石田と立て続けに西軍諸侯らを撃破した時点で勝敗は決した。

かくして関ヶ原の戦いは東軍の勝利で幕を閉じたのである。


勝利したとはいえ長宗我部勢の疲弊は凄まじく、大谷吉継らの首を家康に渡した後は岐阜城に戻り1週間休んだ後に大津城に入った。


大津城の城門には捕縛された三成が晒されていた。


「三成……」


「土佐少将か……。そなたが加わっておればこの戦勝てたであろうに……」


「うむ、もし寝返っていたら京極高次、小早川秀秋、吉川広家の内応をそなたに教え然るべき対応をさせたであろうな」


「ふっ、とはいえ過去を悔やんでも仕方ないのう。東軍領とは言わず、四国……いや淡路も加増してやればよかったな……」


「三成、そなたが負けたのは決して力不足であったからでは無い。何もかも、物で何とかなると思ったからよ」


信親はそう言うと三成の前に酒を置きその場を後にした。


さて、城に入ると腕に包帯を巻いた松平忠吉と井伊直政が信親を待っていた。


「これはご両人、島津にやられたのか?」


「はっ。初陣で油断しており申した。岐阜攻めでは某に変わり指揮を取っていただきました御恩、忠吉生涯忘れませぬ」


「ワシからも感謝申し上げる」


そう言って2人は深々と頭を下げる。


「お気にならさず、当然のことをした迄よ。それより内府殿は?」


「先刻、大坂へと立たれました。ワシと婿殿は三成殿の護送を命じられました」


「そうか。ところで右衛門は捕らえられましたかな?」


「どうやら大坂に籠られているご様子。今、黒田長政殿が毛利輝元殿と交渉されております。義父上も吉川広家殿を通じ交渉中でございます」


「相分かった。弟の事どうぞよしなに」


信親は2人に会釈すると京の伏見屋敷へと向かったのであった。


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