125話
すみません
読者の方からの指定があり投稿がズレていたことが判明致しました。
明日投稿の126話は昨日投稿したものと同じ話になります。
申し訳ありません。
「殿、将軍になるようにと朝廷から要請がきておりまする。如何なさいますか?」
ぼーっと新たに築城した神戸城からかつては大輪田泊と称された神戸港を眺めていた信親は本山親茂の声ではっと振り返る。
「おお、親茂か。その話進めてくれ。されどワシは直ぐに秀親に跡を譲る。秀親のことは老臣共が支えよ。桑名吉成、江村親俊、吉良親実、香宗我部親氏……。これらに加えてお主と久武もキチンと様子を見てやれ。特に秀親付の家老共とは上手くやれよ」
「ははは、岡山の統治に若君の子守り。やることはまだ一杯のようですな」
「うむ、しかしワシがやらねばならぬこと……まだ1つあるのは分かっておるな?」
「はっ。豊臣家の処遇ですな」
「うむ、聞けば先日改易した真田の浪人をせっせと寄せ集めているらしい。他にも色々とな」
真田氏は先日、真田昌幸が病死し真田信繁が跡を継いだのだがここで真田信之の家臣団との対立が発生。
信親は両者喧嘩両成敗として改易処分にした。
「堀秀政も大坂におるらしいですぞ。あの坊主も随分と長生きなものですな」
「あとは織田の残党もわんさかとおる。まだまだ隠居は認めぬぞ」
「はっ。では将軍就任の話、蜷川殿の倅と共に進めて参ります」
こうして慶長16年11月、長宗我部信親は朝廷より征夷大将軍に任ぜられた。
それと並んで香川親和、津野親忠、河野親通も従三位権中納言に任官。
諸大名も新たに築城された二条城に集まり、長宗我部家に臣従することを誓った。
そして翌年、信親は神戸城と将軍職を嫡男の秀親に譲り自身は京の伏見城にて隠居したのだった。
しかしこれを面白く思わない人物はもちろんいる。
「なぜ秀親が跡取りなのじゃ!跡取りは秀頼では無いのか!」
そう怒鳴るのは茶々である。
「落ち着きなされませ。大御所様は秀頼君は摂関家であるとして……」
片桐且元が説得するが茶々の耳には通じない。
「そのような話を私が受け入れと思うたか!秀頼の妻は長宗我部秀親の娘!ならば次の将軍は秀頼にすると誓わねば豊臣への反逆と見なすと長宗我部に伝えよ!よいな且元!」
茶々の要求に頭をかく且元。
戦国最後の戦が始まろうとしていた。




