119話
武蔵江戸城。
徳川家康により開発され現在は宇喜多秀家の本拠地となっている。
「殿、準備完了致しましてございます」
甲冑姿の明石全登が同じく甲冑を身にまとった秀家に報告する。
彼らの眼前には三万……四万……いやそれ以上にも見える大軍勢が集まっている。
「ふう……。今なら家康の気持ちが分かるやもしれんな」
「本当によろしいのですな?背後の真田はこちらに味方するとは申しておりませぬ」
「構わぬ。例え関東を浄土にされようとも、大坂さえ抑えてしまえば奴らも動けぬ。宇都宮とて暫くは時を稼げよう」
「承知致しました。それでは皆に出陣の下知を」
全登が言うと秀家は兵達がよく見える高台に移動する。
「皆の者、よう聞け!これより我らは秀頼君と茶々様を惑わせる奸臣長宗我部信親、上杉景勝、大野治長を討つ!特に長宗我部はデウスの教えに背き異教徒に惑わされ多くの同胞を抑圧した!この戦は彼らを解放する戦いでもある!!」
宇喜多家中はキリシタンが多く殆どが信親のカトリック禁教に従わなかった。
信親も見せしめのために畿内のカトリック教徒を何人か捕縛し晒し者としたが彼らの信仰は硬かった。
「東海道の諸将は皆我らの味方ぞ!まず狙うは甲斐の武田信定!この戦は我らに大義あり!いざ出陣!!」
こうして宇喜多秀家が挙兵した。
その報せは早馬により伏見の信親の元にも届けられた。
「秀家め……愚かな事を。すぐに西国大名に動員命令をかけろ。それから備前の秀高も……あつ!!」
「気づかれましたか。毛利勢は備前を攻めなければこちらには来れませぬ」
本山親茂が冷静に分析する。
この時点で親茂は63歳。これが最期の戦になりそうだ。
「申し上げます!豊後にて大友義統が挙兵致しました!西国のキリシタンも集まり熊谷直盛殿の府内城を包囲しておるようで!」
「前田利長が挙兵!伊藤盛正も伊勢にて挙兵致しました!」
駆け込んでくる伝令の報告を受け信親は舌打ちする。
「これでは九州勢も北陸勢も容易に動けぬでは無いか。とにかく来れそうな連中を集めて関東に出陣するぞ」
が、3日もすると宇喜多の謀反の詳細が伏見の信親と上杉景勝に伝えられる。
「信定が討たれ徳川も大谷も小西も織田も秀家に同調するとは……有り得ぬ……断じて有り得ぬ!!」
「我ら上杉勢も出陣を命じたのだが佐竹と宇都宮も向こうに味方しておるようでな。今動かせるのは在京の兵四千しか居らぬ」
「まずは西国勢の到着を待つべきか。とにかく島津を南海道沿いに、毛利を瀬戸内海沿いに向かわせろ。備前には津野親忠らの軍勢を向かわせる」
こうして信親がかき集めた軍勢は長宗我部本軍3万・河野通親勢1万・上杉景勝勢4千・島津義弘・長谷川秀成勢1万3千・毛利輝元勢2万・増田長盛勢8千・長束正家勢6千人・福原長堯勢5千・垣見一直勢3千の合計9万9千であった。
信親にとっては小早川秀包や立花宗茂、毛利勝永ら若手の優秀な諸将が各地の反乱への対処で動けないのが痛手であった。
対する宇喜多秀家の軍勢は織田秀雄・織田秀信・小西行長・大谷吉継・佐竹義宣・徳川秀忠・結城秀康らの11万もの大軍勢である。
しかしながら真田昌幸・伊達政宗らは中立を宣言し堀親俊は堀秀政を幽閉してまで信親及び上杉家に味方することを宣言したので秀家は多少の上杉への抑えを置く必要があった。
伏見城に集まった諸将を前に信親は地図を出す。
「此度の戦、秀家の狙いは我らの排除。我らの狙いも秀家の排除。 されど茶々様は我が姉上であり内府(秀頼)様も我らに対して金子や兵糧を送ってくださった。各々が力を振るい宇喜多秀家とその一派を破るための戦と心得よ。それでは戦略を示す!」
信親が言うといつもの如く奉行衆が前に出て駒を動かす。
「ワシと上杉殿・島津殿・福原殿・長谷川殿は大垣より西の関ヶ原にて敵を迎え撃つ。伊勢路の伊藤盛正討伐は長束殿を総大将として毛利殿及び豊臣旗下の諸軍勢に任せる。直ぐにこれを落とし美濃に入られよ。そして大坂城代には増田長盛と垣見一直を置く!」
更に信親は続ける。
「この戦に豊臣家の未来がかかっておる!亡き太閤殿下の守られた豊臣家を次は我らが守る時ぞ!」
こうして動き出した長宗我部軍は畿内の諸侯を従えて関ヶ原付近に展開した。
その陣容は笹尾山に長宗我部信親本軍、その南に島津義弘・忠恒の軍勢。
中山道には上杉景勝と福原長堯及び石田重家らを初めとした諸軍勢。
北国道には長谷川秀成率いる越前勢。
そして松尾山には河野通親率いる伊予勢。
南宮山には伊勢を制圧した長束正家と毛利輝元が展開した。
対する宇喜多軍は織田秀信・織田秀雄が長宗我部軍と対峙、中山道方面には結城秀康・小西行長、北国道方面には大谷吉継・佐竹義宣、そしてその東に宇喜多本軍、南宮山の備えに秀家宿老の明石全登と徳川秀忠が配置された。
そして天下分け目の関ヶ原の戦いがついに始まった。




