117話
上杉秀景の謀反計画を知った宇喜多秀家は即座に上杉景勝と長宗我部秀親を呼び出した。
「上杉殿……お主の跡取りがそこの婿殿の親父を唆し私を殺そうとしておるそうじゃ」
「左様でござるか。しかし貴殿も我らを討伐しようとしていると噂で聞き申したが……?」
「義父上が豊臣家を乗っ取ろうとしていると私は伯母上から聞いておりまする。本当の謀叛人は義父上ではありませぬか?」
景勝、秀親が共に秀家を睨みつける。
「なんだと!?お主らは私を誰だと思うておる!私は太閤殿下の子であるぞ!」
「ならば当家の金吾殿とて殿下の子である!貴殿は本当は我らを排して秀頼君を操るつもりであろう!」
「黙れ!黙れ!お前のような外様が豊臣家の政に口出しする方がおかしいのじゃ!秀親よ、そなたは我が婿じゃ!我に味方せい!」
「お断り致す!私は貴方の婿である前に長宗我部信親の子でござる!」
「近々、ワシと土佐中納言殿に加えて奉行衆.諸大名も加えてお主に弾劾状を叩きつけてくれる!それまで大人しくしておるのだな!」
そう言って景勝が秀家を睨みつけて屋敷を飛び出すと秀親も続く。
翌週、宇喜多秀家の宿老解任及び関東への蟄居が秀頼により命じられた。
とはいえこの命令を実際に出したのは茶々と大野治長である。
また秀家に同調していたとの疑惑から堀秀政も蟄居させられ、その跡は堀秀治が大坂に出仕することになった。
この辺りの調整は大野治長と赦免された直江兼続により行われた。
そしてまもなく、長宗我部信親の復帰が茶々と治長により要請され慶長10年の2月。
長宗我部信親はおよそ2年ぶりに大坂城へと入城した。
諸大名を前にして信親は上杉景勝とと共に堂々と上段に座る。
「宇喜多秀家は豊臣家一門衆として秀頼君を操り、天下を我が者にしようとした!しかし奴には鎌倉の北条義時のような才は無かった。しかし私には北条泰時のように国をまとめる力も才もある!これよりは上杉殿と共に我らが秀頼君の御成人までこの国を治める!良いな!?」
「ははっーー!!」
最前の堀秀治・長宗我部秀親らが頭を下げると諸大名もそれに続く。
こうして長宗我部・上杉の二頭体制が始まったのだった。




