112話
信親自身はこれ以上、自身の直轄領を増やすつもりはなかった。
しかし既に武田信定、黒田如水を加増させており宇喜多秀家も信親が配下を独立させて所領を増やすことを目的としている事は分かっていた。
が、それ以上に長宗我部軍が挙げた成果は大きかった。
「まず、我が弟の五郎二郎には筑前一国を頂こうか?それと孫次郎は出雲一国」
「出雲の蜂須賀はともかく毛利はどうする。やはり中国に戻してやるか?」
「うむ。安芸、防長、岩見の4カ国でどうだ。石高としては60万石程だが祖国に帰れると考えれば輝元も喜ぶだろう」
「では毛利輝元殿は安芸など4カ国で。この調子で進めて参りましょう」
そう言って増田長盛がまとめる。
これより先は長くなるので主要な大名のみ列挙する。
小早川秀包は立花宗茂の旧領柳川13万石を加増。
島津義弘は香川親和の旧領日向13万石を加増。
小西行長は遠江35万石に加増転封。
織田信重は備前美作40万石に加増転封。
小野木重次は備中18万石に加増転封。
秋月種長は秋月10万石に加増転封。
平塚為広は小西行長の旧領宇土20万石に加増転封。
毛利勝永は黒田長政の旧領中津18万国を加増。
木下重賢・別所吉治はそれぞれ備後の内7万石に加増転封。
熊谷直盛は府内10万石に加増され九州を統括する立場になった。
木下重賢・糟屋武則・斎村政広は肥後北部にそれぞれ5万石に加増転封。
鍋島直茂・龍造寺政家・杉原長房・小出吉政・宮部長房らは所領安堵。
西国ではこのような処置が成された。
こうして諸大名が転封の準備や秀頼への挨拶などで忙しくする中、信親は久しぶりに南府へと戻ることを許された。
が、南府で待っていたのは鬼の形相をした親通であった。
「兄上!津野の兄上は出雲を与えられたと聞きました!なのに私は四国に留まるのですか!?」
「殿には殿のお考えがあっての事です。河野様は今の長宗我部に必要なお方ゆえに殿は四国に……」
そう福留政親が言うが親通は引き下がる様子は無い。
「それだけではありませぬ!弥四郎(信親三男)を我が養子にし河野家を継がせるという噂もございます!もはや俺は用済みですか!」
「む……そのような考えは全く無いが。お主の跡はお主の子に継がせれば良かろう。何故そのような話が広まっておる」
「私の方が聞きとうございます!ご存念をお聞かせ願いたい!」
「いや、だからお前を排す気は無い。次の戦が起こればお前に1国与える。それで良いか?」
「……承りました。今は兄上を信用致しましょう」
そう言うと親通は城を出て行った。
一先ず胸を撫で降ろす信親だったが問題が出てきた。
「噂を流した奴を見つけねばな……」
こうして豊臣政権の権力争いは次のフェーズへと移行するのだった。




