111話
南関東では安房の里見義康が東軍に味方していたが江戸城降伏の直前に宇喜多秀家を通して西軍に降伏し現在は国元に蟄居していた。
「地理的な問題があったとはいえ里見は擁護出来ぬのう。とはいえ戦国を生き抜いた里見家を改易するのも如何なものか」
「では半国程度に減封し残る2万5千石は佐竹に飛び地として与えてはどうか?」
信親の提案を宇喜多秀家は了承、次に問題となったのは信濃である。
「信濃の森忠政・石川康長は改易でよろしいでしょう。これを丸ごと真田に与えてよろしいですか?」
ここに来て上杉景勝が出てきた。真田昌幸と親しいので加増してやりたかったのだろう。
「いや、石川康長の所領は 依田康勝に与えて仙石は本領安堵、真田は海津と井伊直政旧領、京極高知の10万石と倅の伊豆守の所領も含めて44万石でどうかね」
「ふむ。それから源次郎にも所領を与えてやるべきだろう。榊原康政の館林10万石を与えるべし」
これで真田家は54万石の大勢力となるが秀家も信親もその程度は気にしなかった。
「では甲斐だが当家の武田信定に与えて良いな?徳川の家臣のうちの旧武田家臣の受け皿としたい」
「構わぬ、上杉殿もそれで良いな?」
上杉景勝の元には武田信玄の子が家臣として残っており、秀家はその事が分かっていた。
「構いませぬ……それで越後は……」
越後では北越後の溝口秀勝と村上義明が東軍に属し西軍の長谷川秀成は上杉家のこともありしばらく動けていなかった。
「溝口と村上はまとめて改易して東北に豊臣家の目付けを置きたい。木村吉清の子の秀望に与えてはどうかな」
「秀望か……。確かにもう一度機会を与えてやっても良いな。此度こそは必ずや東北のまとめ役となってくれよう」
木村吉清はかつて奥州30万石を与えられたものの伊達政宗の策謀により改易されていた。しかしその子の秀望は本戦で小西行長の与力として奮戦しこちらも手柄を上げていた。
「で、宇喜多殿。そちらの提案を呑んだのだからこちらの提案も呑んで貰うぞ。長谷川家は手を付けずそのまま越後を任せる。何せ秀成は我が親戚なのでな」
「良かろう……越中はどうする。誰か適任はおるか?」
「ふむ、立花宗茂で良かろう。豊臣家への忠義も厚く此度も大いに戦功をあげた。40万石与えても問題はなかろう」
立花宗茂は信親の派閥だったが秀家は個人的に宗茂と親しかったので同意した。
残る加賀の大聖寺を除いた全域は丹羽長重が30万石で加増となった。
そしてこれまで北陸の豊臣家の重鎮である大谷吉継は三河29万石へ加増転封となり織田家の監視役という新たなる役目を与えられた。
「さて、次は俺の論功行賞だな……」
こうして長宗我部家の論功行賞が始まった。




