第二章までの登場人物
[長宗我部家]
長宗我部土佐中納言信親
従三位 四国南府100万石
豊臣政権の宿老の1人にして主人公。
中国大返しから秀吉に付き従いその後も紀州征伐、中国征伐、九州征伐、関東征伐に参戦。
朝鮮出兵では対馬統監として本土と渡海軍の調整役を担うなど秀吉からの信頼も厚い。
自身の妻の初の姉の茶々が秀吉の側室となり秀頼を産んだことから豊臣家準一門衆として扱われている。
初
浅井長政とお市の方と間に生まれた女子。
信長の養女として信親に嫁ぐ。
3人目を妊娠中。
長宗我部土佐宰相秀親
正四位上
信親の嫡男、秀吉から秀の字を与えられている。
宇喜多秀家の娘を妻としており妊娠している。
長宗我部家の次代を担う青年。
長宗我部如三
従五位下宮内少輔
信親の父、長宗我部元親。
出家して如三と名乗り信親のブレーンとして現場復帰した。
津野須崎侍従親忠
従五位下侍従
信親の弟、須崎城主。
朝鮮出兵では長宗我部軍の総大将として三万の軍を率いるなど経験豊富。
土佐の代官として信親からも信用されている。
河野湯築侍従親通
従五位下
信親の弟、湯築城主。
史実の盛親、前線指揮官として小田原、朝鮮で活躍する。
かなり気が短い。
本山将監親茂
従五位下
信親の従兄、本山城主。
長宗我部家の副将と称され知勇兼備の将。
幼少期から信親に仕える。
久武内蔵助親信
従五位下 佐川城主
長宗我部家、宿老。
豊臣政権に信親が取り込まれていく過程で四国の行政を仕切ることが多くなり親茂に取って代わられた。
久武彦七郎親直
河野家家老
親信の弟、親通の右腕として河野家内の反長宗我部勢力の粛清などに貢献した。
福留隼人正儀重
従五位下
信親側近。
幼少期から信親の守役を務めており槍の腕は四国一だが最近影が薄い。
福留半右衛門政親
儀重の嫡男、信親の馬廻。
香宗我部安芸守親泰
信親の叔父、香宗我部家前当主。
九州征伐で仙石秀久を救出するために突撃し戦死。
香宗我部安芸守親氏
従五位下 安芸城主。
親泰の嫡男、香宗我部家を継ぐ。
吉良左京進親実
従五位下
黒瀬城主、信親の従兄。
吉良播磨守親正
大森城主、親通与力。
桑名太郎左衛門親光
従五位下
海部城主、長宗我部家家老。
桑名弥次兵衛吉成
中村城代、桑名家の養子。
谷忠兵衛忠澄
白地城主。
元神官出身で主に宗教、外交方面を担当している。
瀧本寺非有
忠兵衛の弟。
僧侶であり政治、宗教面で活躍している。
森近江守孝頼
潮江城主。
戸波右兵衛親武
従五位下
戸波城主、元親の従弟。
比江山掃部助親興
従五位下
比江山城主、元親の従弟。
中島与一兵衛重勝
従五位下
長宗我部家家老、窪川城主。
大西上野介頼包
重清城主。
元々は大西家の人質として送られたが元親により召し抱えられる。
[外様家臣]
三好式部少輔康俊
岩倉城主。
三好康長の子で三好家の一門。
三好阿波国守親長
従五位下
勝瑞城主、三好家当主。
武田上野亮信顕
脇城主、武田信虎の子。
武田千勝丸信定
武田信顕の子。
土佐に人質として送られ信親の側近となる。
金子備後守元宅
伊予東部の豪族。
[豊臣家]
豊臣秀吉
従一位 太政大臣
豊臣家の当主にして天下人。
山崎の戦いで明智光秀を破ると次々と政敵を蹴り落とし関白に任ぜられる。
その後、北条氏を滅ぼすと全国統一を果たす。
信親の義兄に辺り長宗我部家を厚遇する。
2度の朝鮮出兵、秀次粛清によって不信感を残したまま慶長3年に死去する。
豊臣権中納言秀頼
従二位
秀吉と淀殿の子で豊臣家次期当主、信親の妻方の甥。
淀殿
秀吉の側室、信親の義姉。
豊臣大納言秀長
従二位
秀吉の弟で郡山100万石の大名。
小田原征伐の頃から秀吉と不仲になり始め天正19年に亡くなる。
豊臣秀次
従一位関白
秀吉の甥、清洲城主。
秀吉の跡を継いで関白になるも諸大名同士の交流に自信が置いていかれるのを恐れ精神的におかしくなる。
それを鬱陶しく思った右腕の池田輝政及びその一派の讒言により自害する。
豊臣中納言秀勝
従三位
岐阜城主、秀次の弟。
関白の弟として乱暴な振る舞いが多い。
対馬にて長宗我部家の代官を斬りつけそれを咎められて改易される。
その後失意のうちに亡くなった。
[豊臣家の重臣]
宇喜多備前中納言秀家
従三位、岡山60万石。
秀吉の養子、信親とは宿老同士で歳が近く仲が良い。
誠実で誰であろうと礼節を欠かさない正義漢。
石田治部少輔三成
従五位下、佐和山19万石
秀吉の側近、奉行衆。
真面目でどんな不正も許さずそれが災いして武断派と折り合いが悪い。
増田右衛門尉長盛
従五位下、郡山20万石。
秀吉の側室、奉行衆。
信親の取次役であり盟友。
長束大蔵大輔
従五位下、水口12万石。
奉行衆。
浅野弾正長政
従五位下、奉行衆筆頭。
秀吉の縁戚だが秀次事件に連座して処罰される。その後は徳川家康の取り成しで復帰。
黒田如水
前豊前中津城主。
秀吉の側近で信親とも20年近い付き合いがある。智謀に長け参謀として活躍するも次第に石田三成らに約目を奪われていき出家して引退した。
仙石越前守秀久
従五位下、小諸五万石。
秀吉の譜代家臣。九州征伐で長宗我部家の軍監として信親に同行するが味方を見捨てでも秀吉の命に従う信親と対立。勝手に突撃し窮地に陥るも親泰に救われた。
後に責任を追求され改易されるが徳川家康の取り成しで大名に復帰した。
小西摂津守行長
従五位下、宇土20万石。
秀吉の譜代家臣。朝鮮征伐では先鋒を任され奮戦するも加藤清正との対立が顕著になる。
加藤主計頭清正
従五位下、隈本25万石。
秀吉の譜代家臣。朝鮮征伐で補給を無視した突出により石田三成らの詰問を受ける。
福島清須侍従正則
従五位下、清須20万石。
秀吉の譜代家臣。堀秀政の与力とされるが勝手に動くため秀政の頭を悩ませている。
加藤左馬頭嘉明
従五位下、周防10万石。
信親の元与力。
毛利豊前守勝信
従五位下、豊前5万石。
秀吉の譜代家臣、朝鮮征伐の際に南九州勢の総大将となるが影が薄く信親と秀政から認知されなかった。
その他奉行衆
福原長堯
垣見一直
[長宗我部派大名]
堀安芸宰相秀政
従三位、安芸広島42万石の大名。
信長の側近だが山崎の戦い以降は秀吉に従い毛利征伐後に中国の抑えとして安芸42万石を与えられる。
野心が強く旧友の池田輝政の要請に応えて豊臣秀次の謀反をでっち上げるなど危険人物。
堀左衛門督秀治
従四位下、堀秀政の嫡男で信親の娘婿。
長谷川越前侍従秀一
従四位下、越前北ノ庄21万石。
堀秀政の旧友で信長の側近だが山崎の戦い以降は秀吉に従う。朝鮮出兵では奉行として活動したがその心労が重なり病死した。
長谷川越後侍従秀成
従四位下、春日山30万石。
堀秀政の次男で長谷川家養子。
上杉景勝の会津転封に伴い越後を与えられた。
香川日向少将親和
従四位下、日向13万石。
信親の弟で独立して日向を与えられた。
立花宗茂、小早川秀包と意気投合し義兄弟の契りを結んだ。
立花柳川侍従宗茂
従四位下侍従、柳川13万石。
元大友家臣、秀吉に才能を見込まれ大名に取り立てられた。武勇に優れ信親とも親しい。
小早川久留米侍従秀包
従四位下侍従、久留米13万石。
小早川隆景の養子で毛利家から独立させられ大名に取り立てられた。
養父譲りの知略で各地を転戦し武功を上げる。
織田高島宰相信重
従三位参議、高島10万石。
信長の甥で信親の機転により本能寺の変後の追求を免れる。
その後は秀吉に従い高島を安堵された。
[前田派大名]
前田加賀大納言利家
正三位 加賀84万石
秀吉の盟友で元織田家馬廻り衆。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を裏切り秀吉に従う。その後は順調に出世を重ね秀頼後見役及び豊臣家宿老の次席となる。
見かけによらず野心家で秀頼を後継者とするため堀秀政と共に秀次謀反の噂を流した。
徳川家康とは折り合いが悪い。
前田加賀中納言利長
従三位
前田利家の嫡男、信長の娘婿。
蒲生会津宰相氏郷
従三位、会津92万石。
信長の娘婿、前田派の一大勢力だったが秀次事件の直前に病で亡くなる。
細川丹後宰相忠興
従三位、宮津11万石。
明智光秀の娘婿、前田利長とは義兄弟だが豊臣秀次に借金をしていたことから秀次事件に巻き込まれる。
その後は徳川家康と前田利家により難を逃れるも嫌疑をかけてきた石田三成を憎んでいる。
池田吉田侍従輝政
従四位下、三河吉田14万石。
徳川家康の娘婿、秀次の義兄弟。
父の池田恒興が小牧・長久手の戦いで戦死したことにより家督を継ぐ。
秀吉からは準一門衆として厚遇され秀次軍の副将格となるも精神的に不安定な秀次に嫌気がさし秀次事件の発端となる。
[徳川家]
徳川内大臣家康
従二位、江戸256万石。
豊臣家の筆頭宿老にして史実の江戸幕府創設者。
小牧・長久手の戦いでは秀次軍を破るなど軍事的にも政治的にも優れた男。
秀吉死後は豊臣家を取りまとめるものの裏では天下簒奪を目論んでいる。
徳川江戸中納言秀忠
従三位、家康の嫡男。
[外様大名]
毛利名島宰相輝元
従三位、筑前名島52万石。
元は中国地方の大大名だったが吉川家の処遇と伊予の領土問題から秀吉に宣戦布告され討伐される。一旦は防長37万石に減封されるも九州征伐の功績によって筑前へ加増転封された。
島津薩摩侍従義弘
従四位下、鹿児島45万石。
かつて九州の大半を制圧していた島津義久の弟。
九州征伐で弟の家久が信親によって討ち取られ他にも重臣を失い、降伏した義久に変わって豊臣政権での軍役などに従事している。
立花宗茂に並ぶ猛将。
大友豊後侍従義統
従四位下、元府内39万石。
島津氏の圧迫を受けて豊臣秀吉に救援を要請する。救援軍の総大将の信親には平身低頭していたが後に朝鮮征伐での失敗から改易された。
その他大名
上杉景勝
伊達政宗
真田昌幸
佐竹義宣
今日からコロナが5類指定となりました。
捉え方は色々ありますが実質終わりと考えても良いのではないでしょうか?
この3年、3年と言うとちょうど高校生活丸ごと1個分ですね。
私も高校一年生の終わり頃にコロナ騒動を受けて期末テストが受けられずにとんでもない目にあいました。
それから2年間も普通の高校生が送れたであろうはずの、学生生活を送れずに何度もウイルスを広めた某国を恨んだものです。
きっと私の前後数年の学生達も同じような思いをしてきたし、2度のあんな思いはしたくありません。
改めて、この3年は本当に長く苦しいものでした。
人生の最も大切とも言える時期を奪ったコロナは許せないし、コロナを広めたにも関わらず謝罪もしない某国は本当に腹正しいとこの文章を書いていて再度痛感しました。
とにかく、もう二度と流行らないで欲しいですね。
誰か科学者の人は平行世界へと時間を超えて移動できるタイムマシンを開発してください。
あとどうする家康の小説版読んだんですがあの人再登場するらしいので楽しみです。
最終的にはあの戦いの回でピンで出るんでしょうね。




