62話
この頃秀吉の体調が悪い。
殆どの政務を家康と利家、そして奉行衆達が行っている状況だった。
春になると秀吉は親友の前田利家や女房衆と共に醍醐にて花見を行った。
そこからはみるみるうちに衰弱していき遂に慶長3年の8月、信親達に秀頼への忠節を誓わせる血判状を書かせるとそのまま亡くなった。
「なに、亡くなられたのか!?」
元親の側室の子が新たに生まれたと聞いて土佐に戻るために淡路に滞在していた信親の元にその報せが届いたのは秀吉の死の翌日だった。
「はっ。すぐに大坂に戻るようにと徳川様が」
そう言って親茂が書状を差し出す。
「せっかく弟の顔を見に行こうと思うたのに残念じゃな」
「まあ落ち着いたらいつでも会えますよ。にしても叔父上はなんでそこまで元気なんでしょうかね」
「曾孫と息子が同い年って気味が悪いな」
ちょうど秀親の妻も妊娠しており3ヶ月後には産まれるくらいの計算だった。
「殿も35歳で爺様になるのですぞ。言うて私も先日孫が産まれましたが」
「殿下が亡くなられた代わりに長宗我部家は子沢山だな。とにかく大坂へ向かおう」
2日後に大坂城に入るとそこには既に宿老と奉行衆が勢揃いしていた。
「さて、長宗我部殿も来られたようなので始めようと思う。殿下の遺言通りに殿下のご遺体は埋葬しその死は混乱を隠すために暫しの間は隠すことで異存ござらぬか?」
筆頭格の家康が辺りを見回すと全員が頷く。
「次に朝鮮であるが早急に朝鮮、明と和睦し全軍を撤退させる。この作業は奉行衆にお任せしたいがよろしいか?」
「承りました」
そう言って三成、増田長盛ら西国大名と親しい奉行衆が頭を下げる。
「ともかく今は混乱を避けることが肝要。方々も決して軽はずみは行動はせずに普段通りに動かれるようにお願い致す」
こうして家康主導で合議は終了した。
これを前田利家が快く思うはずもなくこれ以降、豊臣政権は大きく揺らいでいくことになる。
そして信親もその中に巻き込まれていくのだった。




