59話
文禄4年、京都市中にて豊臣秀次に謀反の兆しありとの噂が流れた。
そして石田三成らの詰問を受けた秀次は秀吉の命令を聞かずに高野山に蟄居し自害してしまった。
直ぐに公卿格の徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝と信親が大坂城に招集された。
「方々のご存知の通り、先日関白秀次様に謀反の噂が流れました。そのため太閤殿下は関白様を高野山へ蟄居させられた上で事の真意を確かめようとされました。されどその前に関白様はご自害なされ、目付役として高野山に滞在していた福島左衛門大夫殿によりその首が大坂に届けられました」
石田三成の説明を受けて諸将がザワつく。
何せ関白が亡くなったのだ。前代未聞である。
「今回の件に関して、朝鮮に滞在する諸大名の混乱も防ぐために関白様……豊臣秀次は謀反の疑いにより切腹を命じられた事として発表することに相成りました」
「つまり……秀次がなぜ謀反を起こしたかは分からぬということにございますか?」
長束正家の報告に宇喜多秀家が顔を顰めて聞く。
「左様。あの戯けめ!関白にまでしてやったのに謀反の噂を真に受けて腹を斬りおった!このワシが彼奴をどれだけ手塩にかけて育ててきたと思うておる!!」
それまで黙り込んでいた秀吉が声を荒らげて立ち上がる。
「秀次は痴れ者ですな。重臣たちも含めて処分致すべきと存じますが」
「お主の申す通りじゃ、又左!一族郎党皆殺しにしてくれる!それでお主らを呼んだのはこれじゃ」
秀吉が言うと石田三成が5名の前に書状を差し出す。
「5ヶ条の掟書じゃ。今後、このような事を起こさぬための諸大名への命令が記してある。そこに貴殿ら5名が連署致せ」
「はっ、我ら5名がですか?」
キョトンとした顔をしている徳川家康だが既にこうなることは予想していたようだった。
「徳川殿はワシの義弟、又左は拾の後見、八郎は我が少ない養子、土佐守と上杉殿はそれぞれ西国と東国の要じゃ」
「左様な事であればこの土佐守、未熟者ですがお力になりましょう」
進んで信親が名乗り出ると他の4名も同意する。
「ワシにもしもの事あればそなたらが拾を支えるのじゃ。いわば豊臣家の宿老じゃ」
「ははっーー!」
この秀次事件と呼ばれる事件以降に豊臣政権の宿老とされたこの5人は後世に五大老と呼ばれるようになり熾烈な権力争いを繰り広げることになるのだった。
さて諸大名にこの掟書は発布され血判によってこれに従うことを表明させられたのだが。
「つまらん!!」
堀秀政は自身の屋敷にて先程まで酒を口に注いでいた盃を投げ捨てた。
「父上、飲み過ぎにございます」
息子の久太郎秀治がそう言うが秀政は瓶ごと口に流し込む。
「黙れ!わざわざ古新の相談を受けて俺がここまで仕組んだのに何の得もない!殿下は俺を弟のように扱ってきたのに宿老には呼ばれなかったのだ!」
「しかし他の方々は皆、大大名。父上も確かに大大名ですが42万石となると……」
「上杉景勝など最近仕えた田舎者ではないか!あれの方が俺より信用できるか!又左殿と土佐守も何故俺を推薦しない!」
秀政も官位的には参議にまで到達しており中国地方の司令官としてその役目を任されるには十分であり、多くの諸大名からも秀政が宿老に選ばれなかったのには疑問の声が出ていた。
何よりも秀政自身、秀次亡き後に尾張か美濃に転封されて50万石ほどの大名になれることを期待していた。
しかし実際に尾張を任されたのは福島正則とかいう山猿であった。
「このままにはしておかぬぞ……。俺は必ず連中を蹴落としていずれは……」
また1人、権力の亡者が生まれたのだった。




