55話
対馬には諸大名から送られてきた秀吉への進物や敵の耳や鼻、また他の大名に対する弾劾状も届けられそれらを検分するのが信親と彼に付けられた垣見一直、福原長堯らの仕事であった。
「こちらが小西摂津守らからの加藤清正への弾劾状にござる。小西殿曰く加藤殿は戦線を無視して勝手に進出し補給がままならないと」
垣見から渡された書状を見て信親はため息を着く。
「だが加藤清正は小西行長が遅いので話にならないと。あと島津義弘が何故か虎の皮を殿下と俺と治部に送ってきた。立花宗茂も俺に進物を送ってきておる。何故だ?」
「さしずめ、拾様がお生まれになった事で殿の立場が上がることを見越して媚びを売っておるのでしょう。良かったですな」
そう言う久武親信のところにまで贈物が来ていることすらある。
「千王丸(信親嫡男・秀親)の所にもやたらと来てる。侍従の任官と元服祝いか」
「ともかく我らが殿下に報告すべきは小西殿の訴状にござる。同様の訴えは毛利勝信殿、小早川隆景殿らからも出ております」
「ならば加藤に責任があるだろう。一兵卒の頃ならともかく、25万石の大名となった今はそのような勝手な行動は慎むべきだ。殿下には加藤に責任ありと伝えよ」
「ははっ。そのように報告致します」
このようにそつ無く対馬統監の仕事をこなしていた信親であったが朝鮮では明軍の参戦により雲行きが怪しくなっていた。
これ以上、戦を続けることや秀吉の渡海は厳しいと判断した小西行長、石田三成、増田長盛らは講和交渉を初め、まもなく秀吉もそれを受け入れたようで渡海軍の一部に撤退命令が出され長宗我部勢は対馬の信親も含めて一旦国に帰ることになった。
「ふう、全くなんのための戦だったのか」
同じく帰国を命じられた堀秀政が不満そうに言う。
「唐入は亡き上様の悲願だったのだろう。まあ上様の元でしておったら今の治部達のようにお主は奔走しなければならぬでは無いか」
「上様の家臣達の扱いは慣れているさ。ただ市松や虎之助があそこまで暴れるとなんざ思ってない」
確かに疲れているのか秀政はかなり老け込んでいた。
「早死しないといいな」
「ああ、有馬の湯に使ってゆっくりしてくるさ」
それからしばらく、諸大名には安寧の時が訪れたのだった。




