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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
天下人の章
120/199

53話

歴史詳しい方

池田恒興と蜂屋頼隆、本能寺の変以前だとどちらの方が格上か教えてください。

ついでに京都御馬揃えの時の番付は序列に直結したかも情報お願いします。

事の発端は宇喜多秀家達が出立した後に対馬に入った豊臣秀勝の軍勢の一部が村の女達を襲った事である。


これを止めに入った男たちも何人かが殺害され、直ぐに村民はその地の代官であった吉良親正(史実の右近大夫)に訴えた。

直ぐに親正は家臣を連れて豊臣秀勝の元に向かったが家臣たちに追い返されそれでもなおも引きとどまった所、斬り付けられ腕を怪我したと言う。


激怒した信親は直ぐに秀勝軍の目付として同行していた太田一吉を呼び出した。


「先日からの美濃中納言の振る舞いは如何なものか!この対馬での長宗我部家代官の命令は絶対だと殿下の名で通達しておるだろうが」


「ははっ!仰せの儀、ご最もにございます。されど美濃中納言様は御自身は関白殿下の弟故に特例だと申されて……」


「ふざけるな!総大将宇喜多宰相殿の軍勢ですら規律を守っておるのだぞ!関白の弟なら模範となるべき行動をすべきであろうが!こうなれば我が盟友の長谷川侍従と共に中納言の軍勢を成敗するまでだ!」


「おっ、おやめくだされ!細川殿や木村殿ら他の大名も参加されたら大変なことに!」


「中納言が悪い!ケンカを止めたくば直ぐに中納言をここに連れて参れ!!!」


信親からすれば自身の従弟を実戦経験も大してないガキに怪我をさせられた挙句、自身のメンツを怪我されたことになる。

これに同心するように清水山城には長谷川秀一、小野木重勝、片桐且元、糟屋武則、毛利重政ら多くの将が集まった。


「細川忠興は来ないのか?」


「関与しないと申しております。しかし長宗我部殿と我らが軍勢だけで一万、他の諸侯も加えれば一万三千ほどにはなりましょう」


「忝ない、東郷侍従(長谷川秀一)殿」


「対馬では長宗我部殿に従えと殿下から命じられております。あの若造に一泡吹かせてやりましょう」


対する豊臣秀勝は激怒していた。


「おのれぇっっ!ワシは殿下の甥だぞ!関白の弟だぞ!不埒者共を処罰してくれるわっっ!」


秀勝は早速八千の家臣たちを引連れて清水山城の近くに布陣した。

しかし彼らの装備は喧嘩用の丸太ではなく刀に鉄砲、槍と戦闘用のものであった。


対する信親たちもこれはまずいと武装して備えたがこの噂を聞きつけた石田三成達が飛んできたので事態は一旦の収束を見せた。


すぐに三成は信親、秀勝双方を呼び出して事の真意を問いただした。


「つまり中納言様の兵が乱暴狼藉を働きそれを止めようとした土佐殿の家臣が斬られたと。殿下に報告しご判断を仰ぐゆえに両者共に対馬にて待機しておられよ」


秀勝の方は不意を着いて信親を斬り殺してやろうと思っていたようだが大谷吉継ら他の奉行衆も来たので仕方なく陣に戻る事にした。


信親の方も部隊を解散させた上で清水山城に待機した。

そして3日後、両名は名護屋に呼び出されたのだった。

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