52話
長宗我部軍の統制下で徹底的な監視体制が築かれた津島と違い名護屋では大名同士の喧嘩が多発していた。
初めは佐竹義宣も毛利秀頼、真田昌幸ら外様同士の喧嘩であったが先日発生した前田利家と徳川家康の家臣達の喧嘩は一発触発の状態にまで迫り危うく戦になるまでの有様であった。
「ははは、面倒なことになったなぁ。前田殿と徳川殿はその後は?」
「他の大名が仲介した事で何とかなったそうですぞ。あのご老人達も勘弁して欲しいものだ」
信親に出された茶をすすりながら愚痴を言うのは黒田官兵衛。
今回の戦には宇喜多秀家の参謀として参加している。
「渡海を待つ東国大名の軍勢は慣れぬ土地に慣れぬ環境、いつ異国の地へと出陣させられるか分からない恐怖に可笑しくなってしまったのか」
「思えば中国征伐、九州征伐に東国勢は参加しておりませぬ。やはり精神的に不安なのでしょう」
「情けない。小西行長と加藤清正はもう漢城を抜いたとか聞いたぞ」
「ええ、土佐宰相殿の仰る通りです。但し、両者ともに不仲で連携は取れていないようですが」
そう言って宇喜多秀家が入ってくる。
総大将が来たので信親は上座を譲る。
「これは御大将殿。血気盛んな殿下の譜代衆を抑えるのは大変ですか?」
「ええ。貴殿も総大将候補の1人でしたから良かったですな」
宇喜多秀家と信親の付き合いは案外長い。
歳も境遇も似ており秀家は割と信親のことを慕っているし信親もまあまあ目をかけている。
「まあ軍議の席で真っ先に殿下に同意したのが私ですからな。しかし官兵衛殿が居られれば百人力にござる」
「過分なお言葉、痛み入ります」
「それでは私は渡海の準備がござるのでこれにて」
秀家は軽く会釈するとそのまま出ていった。
「宇喜多直家の子か……。一色義龍の息子も父親に似てなかったと言うがあれは奇跡だな」
「育て親の宇喜多忠家殿が誠実なお方でしたからなぁ。土佐殿のお父上ともお会いしてみたいですな」
「もう55になる故に中々遠出はしようとはせぬ。どこかで機会があれば京か大坂にでも連れてこよう」
「楽しみですな。それでは私もそろそろ」
官兵衛は信親に一礼すると杖をつきながら出ていった。
このように理性的な大名もいればそうでない大名もいる。
1週間後、対馬にて戦が始まりつつあった。




