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シン 長宗我部転生記   作者: 三p
天下人の章
110/199

43話

府内撤退戦で島津家久という島津家の精神的支柱のひとりを失った島津軍は豊臣軍に対して組織的な抵抗もできず龍造寺家などの離反を招き秀吉軍が薩摩に入った時点で降伏した。

信親はその後も府内に残り戦後処理などに務めていたが薩摩にいる秀吉に呼び出された。


「大活躍じゃったな、土佐守」


「忝ないお言葉にございます。しかし当家は失ったものも大きい……」


とはいえ秀吉からしたら前回戦死した池田恒興や森長可と親泰では圧倒的に格に差がある。

しかし彼らと違い信親はその失態を取り返した。


「それでな。そなたの叔父の奮戦と此度の恩賞として日向を五郎次郎に与えようと思っておる。石高にして13万石。どうじゃ?」


「なっ、なんと!五郎次郎に一国を与えて頂けるとは恐悦至極に存じまする。殿下の元で幾分か成長して居れば良いのですが……」


「良い若武者になりおったわ。筑前で小早川の嫡子の秀包と立花宗茂と意気投合して義兄弟の契りを結んだとか」


この3人は同い年である。

1567年生まれは本当に豊作だ。


「ははっ。そのお2人に並ぶ男になれれば良いのですが」


「なれるさ。あと仙石は改易して高野山に追放とする。福山には福島正則を入れるつもりじゃが今後の戦は長宗我部軍は単体で動いてもらう事になる」


「こちらとしてもその方が助かりまする。ところで五郎次郎は私の家来として日向加増でしょうか?」


「否、香川家に与える。侍従に推挙して香川日向侍従と名乗らせる」


「はっ……はぁ」


秀吉お得意の分団政策である。

だが先日筑後13万石を与えられた小早川隆景程、親和の長宗我部家におけるパワーバランスは大きくない。


「島津の抑えと取次みたいなもんじゃ。お主も西国の統監ゆえに島津や龍造寺、大友から色々と頼まれるかもしれん。まあ頑張ってくれ」


「ははっ。お任せ下され」


こうして長宗我部家は香宗我部親泰を失ったものの実質的に日向を加増され実に113万石もの所領を手に入れた。

その時には上杉景勝、真田昌幸らも秀吉に従属し豊臣家の勢力はますます拡大するのだった。

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