36話
侍従に任官した2ヶ月後に信親は参議に転任した。
昇進スピードは宇喜多秀家とほぼ同じでありこれは初の姉の茶々が秀吉が側妻にしようと狙っていた事もあった。
とはいえ豊臣政権で豊臣秀長に次ぐ100万石の所領を持ち南海道の支配者たる信親が参議に任ぜられるのは当然と言えば当然であった。
同時期、徳川家康が秀吉に従属すると言うので諸大名が大坂城に集められた。
信親は織田信雄、豊臣秀長、豊臣秀次、宇喜多秀家に続いて座る。
「お隣、失礼致す」
そう言って信親の隣に座ったのは北陸の統監たる前田利家である。
後に大納言となるこの男はこの段階では信親より1段階低い左近衛少将である。
「これは前田殿。徳川家康とはどのような男なのですか?」
「土佐宰相殿は徳川殿とお会いになられた事が無いのか……。若い頃は頼りなさそうな男でしたな。常に上様を恐れているような素振りをよく」
「へえ。しかし今は変わったと?」
「ええ。武田勝頼が滅びた後、安土にて見かけた時はそれまでの田舎大名というよりも少し上様と同じものを感じましたな」
「上様と同じもの……。どのような男か楽しみですな」
間もなく徳川家康とその一団が入ってきた。
殆どの武将は織田家に居たので家康を見慣れているのか特にリアクションはない。
強いて言えば取次役だった長谷川秀一が家康の家臣に目配せしているくらいか。
逆に信親、宇喜多秀家、毛利輝元は目をガン開きにして家康を見ている。
しかし信親も輝元も秀家も特に何も感じなかった。
何を隠そうと信親も輝元も秀家も長宗我部元親
、毛利元就、宇喜多直家という一癖も二癖もある戦国武将の背中を見て育ってきたからだ。
そして秀吉が来ると諸将は一斉に頭を下げる。
「徳川三河守、此度の上洛大儀である。正三位に推挙し家臣達にも相応しい官位を与える」
「ははっー!有り難き幸せにございます」
これで終わりだった。
(有名な陣羽織はタヌキの創作かよ)
内心不満に思いながら信親はそれを見届けた。
徳川征伐の必要性が無くなったこと、そして豊後の大友宗麟が秀吉に対して島津氏を征伐することを要請したことで秀吉の目は九州に向いた。
間もなく信親の元に秀吉から命令が届いた。
「ふむ、我らは三万を率いて仙石秀久、加藤嘉明、脇坂安治らと豊後に上陸し周囲の防備を固めろと言うことか……」
「島津はどれだけ兵を集めても六万。それを筑前と豊後に向けるとなれば兵は三万程度。楽な戦ですな」
楽観視する本山親茂を信親は睨みつける。
2人ともこの戦で死んでるからね。
「それで死んだのが肥前の龍造寺隆信だろうが。万全の体制で行くぞ」
山崎の戦い以降、一領具足を農兵から武士に取り立て専属の兵士を新たに編成した新生長宗我部軍にとってのデビュー戦である。
長宗我部軍は史実の10倍の軍勢を引き連れての九州征伐が始まった。




