33話
長宗我部家に従属する事になった河野家に対して信親は元親4男の千熊丸を送り込み千熊丸は河野右衛門太郎親通と名乗った。
それと同時に毛利家に近い河野家の家臣を久武親直を付家老として送り込み皆殺しにした。
続いて阿波の小笠原、細川などを明智光秀に内通したという理由で誅殺すると信親はいよいよ南府城建設にあたってその候補地を選定し始めた。
信親の命で岡豊城に集まったのは元親、久武親直、豊永勝元、野中親孝、谷忠澄らである。
「さて、我が長宗我部の新たなる拠点となる南府城についての候補地をそなたらに決めてもらいたい。意見があれば申してくれ」
「ふーむ。大高坂か浦戸ではダメなのか?」
先祖代々の土地から離れることに不満げな元親が言う。
「土佐は山脈に隔てられて畿内との交易路を確保するのが厳しいのです。父上が岡豊に残り私としては阿波か讃岐に本拠を移したいのですが。もちろん街道の整備も勧めますけど」
「讃岐では宇喜多の所領に近すぎます。伊予は論外。となるとかつて三好長慶が天下取りを目指した阿波が良いかと存じます。しかし一領具足の反対は必須……」
谷忠澄が不安げに言う。
「一領具足には子息を当家に仕えさせる事、今後3代に渡って年貢を半減などの保証は必要ですな。それらは私にお任せあれ」
「うむ、任せた三郎左衛門(野中)」
「それで本拠地ですが一宮城の近くにちょうど平山城を築くのに良い土地があると聞きました。そこに南府城築くのは如何でしょう?」
現在で言う徳島城の辺りである。
概ね信親の想定していた場所であった。
「よし、決めたなら早速築城するぞ。四国中の全ての人材、金、資材を集めて毛利、島津のソレよりも巨大な城を作れ」
こうして南府城の築城が開始された。
三好家や明智家の旧臣たち、更に秀吉により派遣された藤堂高虎や黒田官兵衛の家臣らの縄張りにより創られた南府城は史実の徳島城や高知城、松山城を遥かに上回る巨大な城となった。
更に並行して四国中の街道整備、阿讃の港の整備などが行われ長宗我部氏の名声は以前にも増して大きくなっていった。
その頃、羽柴秀吉は清洲会議にて多くの織田旧臣を自身の味方に取り込むと天正10年の冬には自信に抵抗する柴田勝家との全面戦争に踏切った。
柴田勝家は初の母親であるお市の方と再婚していたため、信親に秀吉の背後を突くように要請したが信親はこれを拒否。
翌年に北ノ庄城にて勝家はお市の方と共に果てた。
そして皮肉にもその一週間後、長宗我部家待望の嫡男が生まれたのだった。




