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岩で囲まれ狭くなった道に入る前に近くの町で俺は馬を預けた。厩舎というにはあまりにお粗末で草木もほぼないに等しいから、戻ってきたときに馬が死んでないか不安ではあったが、ここから先は馬をつれて進むことは出来ない。長くても5日の辛抱だと馬に言い聞かせて先へと進んだ。もし戻ってきたときに馬が死んでいたら城への帰宅は困難になる。馬で5ヶ月弱かかったのだから徒歩となると何ヵ月かかるのだろうか。
足場の悪く人1人通るのがやっとの道は着々と俺の体力を奪っていく。それでも俺は進むしかなかった。昼は焼けるような日差しで苦しめられ、夜は凍える寒さで辛い。獣はおろか虫さえも見当たらない。休んでしっかりと体力を回復させてる時間も惜しく感じ、ほんの数時間だけの睡眠以外は休憩を取らなかった。
チリリン。
岩の狭い道を抜ける瞬間、鈴の音がした。幻聴か。そう思ったが、音は確実に大きくなっていく。
チリリン。チリリン。
何かが俺を襲おうとしている。確証はないが、直感で俺は後ろへと飛んだ。
ぐわーん。
空気砲でも撃たれたような衝撃波がした。俺を囲んでいた岩がボロボロと崩れていく。
攻撃されている。
そう気づいた直後、また鈴の音が響き、俺はまた直感で左にと体を寄せた。
頬がピリッと何かがかすった。勘弁してくれ。腰に携えた刀を出し、見えない何かへ身構える。
チリリン。
鈴の音を頼りに刀を振る。が、何かに当たって刀を振り切ることは出来なかった。
「何故分かる?」
姿は見えないが低い男のような声がした。
「チリリンって音を鳴らしてれば嫌でも警戒する。お前、俺に何の恨みがあって攻撃してくる。」
「音?」
声は不思議そうに尋ねた。
「姿を現せ。不意打ちなんて恥ずかしくないのか。」
チリリーン。チリリーン。
大きな音と共にスーっと何かが現れる。現れたのは羽のないドラゴンだった。
おいおい。マジかよ。ドラゴンなんて初めて見たし、勝てる気もしない。スイ一行を追いかけてただけなのに何故ドラゴンに命を狙われなくちゃいけないんだよ。
「俺たちは音を発してなどいない。」
「知らないっつーの!俺はサルジアに向かってるだけで初対面のドラゴンに狙われるいわれもないわ!!」
お願いだから引いてください。そんな思いを込めて虚勢を張る。
「お前、まさか異世界人か?」
俺はビクッとした。
え?何?異世界人だと都合が悪いのか?それとも異世界人だと見逃してくれる?
どう答えたらいいのか分からず、俺は刀を構えるだけで黙っていた。
「異世界人なら俺たちの攻撃を見切ったのも頷ける。少し話がしたい。」
「俺はドラゴンとお話しすることなんてないし、先を急いでるのだが…。」
俺の返答を聞くと大きな笑い声がした。
「ちゃんと上を見ろ。お前が話しているのはドラゴンではないぞ。」
そう言われて上を見るとドラゴンの頭の上に人が乗っていた。肌が褐色の目が緑色の男。年は60代ぐらいだろうか。
そういえば、さっき俺たちとか言ってたな…。
ドラゴンが頭を下げると男は地面へと降り立った。
「俺は30年前までは神官と呼ばれていた。」
神官?俺は男をジーっと見た。
「俺の先祖は代々神に遣えていたが、俺は今の神に遣えることができず、城を追い出された。」
「今の神ってなんだ?神ってしょっちゅう変わるものなのか?」
俺は疲れからか思ったことをそのまま口に出していた。
「以前はテミス神が崇拝されていたが、150年前テミス神は殺され、シヴァ神が迎えられた。」
「殺された?その今の神が前の神を殺したのか?」
「殺したのは当時の異世界人だ。この世界の住人はこの世界の神を殺すことなど出来はしない。」
なんだか雲行きの悪そうな話だ。
「そうなんですねー。じゃ、俺、急いでるので…。」
話を無理やり切り上げて先に進もうとするとガシッと神官に腕を掴まれた。
「お前はシヴァ神を殺すために召喚された勇者だろ?俺はずっと待っていたんだ。」
男の目は希望に満ちてキラキラと輝いているように見えた。俺は慌ててその手を振り払う。
「冗談じゃない!王殺しだけでも勘弁なのにましてや神殺しなんて、俺に何させるつもりだ!?そもそも俺以外にも異世界召喚されたのは2人いるぞ?そのどっちかで俺は巻き込まれただけで関係ないだろ!そいつらにやらせろよ!」
「いや、お前だ。先ほどの身体能力は勇者である証に違いない。お前はこの世界を救うために召喚されたのだ。」
神官は再び俺の腕を掴む。本当に勘弁してくれ…。ドラゴンがジーっと俺を見ている。下手したら食べられんじゃないかと思うぐらい俺を見つめている。神官は勝手に話し始めた。
「シヴァ神の以前の神、テミス神は法と秩序を第一に考える神だった。テミス神の求める世界は人々にとっては厳しく息が詰まり恐怖を抱く。秒単位で支配された時間や人情よりも重視された法律など、守らなくては死を与えられる。平等なはずなのにありがたみを感じることのできない世の中は、人々にとって恐怖以外の何物でもなかったのだろう。だから150年前、当時の魔導師が異世界から勇者を召喚した。召喚された勇者はテミス神を倒し見事に自身の責務を果たした。だが、次の神として迎えられた今の神、シヴァ神は破壊を望む神だった。地に雷を落とし、山を噴火させ、1日に500人の命を奪っていく。人々は再び恐怖にさらされた。また勇者を喚ぼうにも魔導師一代につき喚べる勇者は1度だけ。そこで今の王族がこれ以上民衆を殺させないために、シヴァ神を名で縛って地下深くに閉じ込めた。こうして1日に500人殺されることはなくなり、人為的な噴火も落雷もなくなりはしたのだが、代わりに土地が枯れていった。徐々に草木の育たぬ土に変わり、水は枯れていく。このサルジアも昔は草木に囲まれ、小川が流れ、妖精や精霊たちの楽園だったそうだが、今では生命が望まれないただの砂漠だ。いつしか妖精も精霊も絶滅し、ドラゴンも絶滅危惧種となった。このまま滅び行く世界を人々はただ傍観するしか出来ない。作物も育たぬ土地となれば、生物は飢えるしかない。誰もが生命の営みも未来への希望を抱くことも無意味な行為に思えていたはずだ。だが今から9年前、突然世界の崩壊が止まった。理由は俺には分からないが、だが勇者が召喚されていたということは、やっと崩壊の危機から、シヴァ神の支配から解放されるということなのだろう。」
男はふーっと息を吐く。
長い長い長い。これ、文字にしたら絶対読み飛ばす奴だ。俺だったら確実に読み飛ばす。
それから、神官は痛いぐらいに俺の腕を掴む手に力を込めた。
「どうか、どうか、この世界を救ってくれ。」
その言葉は切実であり、必死であった。俺はどうすればこの状況から逃げられるのか頭を働かせた。