特訓!! 蛍光灯ボクシング!
翌朝の目覚めはとても冴えていた。
まるで僕の体じゃないみたいだ。
それもそうか、今は僕の身体、ジャスティス星人のヒーローとシェアしているようなものだ。
昨日のジョギングが効いたのかもしれないし、ヒーローによる睡眠サポートがあったのかもしれない。
とにかく朝から身体が軽い。
ヨッとアクションスターみたいに蹴りのマネなんかしても、脚が目の高さにまで上がる。
だけど……。
振り上げた脚を床に着けたら、寝間着代わりのジャージズボンがトランクスとともにストンと落ちてしまった。
アラお恥ずかしい、ヤダみっともない。
僕はあわててジャージズボンと一緒にトランクスを引き上げる。
そのときだ、異変に気付いたのは。
「あ、あれ!? ジャージズボンが緩いぞ?」
ジャージズボンだけじゃない、トランクスにも余裕がある。
ブカブカとまではいかないけど、明らかにウエストに余裕がある。
「おはよう、カズヤ。さっそく効果が現れたようだね」
「ヒーロー、キミの仕業なのかい!?」
「私はサポートしただけ。この結果はカズヤ、キミの努力の賜物だ」
ヒーローが言うには、寝ている間の基礎代謝というものを上げてくれたらしい。
そして基礎代謝を上げても適度な運動がなければ効果は薄いそうだ。
結果……僕の脂肪は減っていた。
痩せたのだ。
「どうだいカズヤ、今日も帰宅したら軽く走ってみるかい?」
「あぁ、もちろんだよ!」
ということで、僕は気分も軽く学校へ向かった。
学校の授業には体育も存在する。
今日は春の体力測定。
確かに、ここでヒーローのサポートを受ければとんでもない記録が期待できる。
だが敢えて僕はそれをしない。
目立たないように、というのが理由のひとつ。
そしてもうひとつの理由は、脂肪を燃焼させた僕が素でどれだけの身体能力を持っているのか?
それは気になるところだった。
結果、それほど身体能力は上がっていない。
だけど嬉しかったのは、これまで脱落続きだった一五〇〇メートル持久走。
これで完走できたことだ。
ヒーローのサポートで身体が軽くなっただけで、こんな成績を残すことができたんだ。
僕にとっては大きな進歩と言える。
なんだかこう、やればできる! みたいな自信が湧いてきた。
そして授業も、あえてヒーローはサポートをしないでくれる。
それなのに充分な睡眠が取れた頭は、いままでに無い回転で授業の内容が水の染み込むように入ってきた。
すこやかな睡眠、万歳!
いやもう、睡眠サポートはしてくれたんだろうけど、僕自身の力が上がっているのを感じてしまう。
「すごいじゃないか、カズヤ」
「ヒーローがグッスリと眠らせてくれたおかげだよ」
「それにしても躍進的な進歩だ。やはり若いってのは素晴らしいな」
ちょっと照れくさくなる。
なにしろこれは僕ひとりの力じゃない。
睡眠中のヒーローのサポートあってのことだ。
その日も家に帰るとジョギング、筋トレ、ストレッチ。
そしてネットゲームもそこそこに切り上げて、勉強机に向かい予習復習。
そんな生活が二週間……。
僕は自室で体重計に乗ってみた。
針は五十八キロを指している。
たった二週間で、四十キロ近いダイエットに成功したのだ。
僕の背丈は一六ニセンチ。
高校生男子としてはまだ重たいだろうか?
トランクス一枚で姿見の前に立つ。
肩の筋肉が盛り上がり、ふとももと腹筋が割れた僕がいた。
もちろんアゴ下の脂肪は消え去り、輪郭がクッキリと浮き出ている。
まるで別人……というか、意外に男前だ。
というか、これが本当の僕なのか?
分厚い脂肪を脱ぎ捨てたら、僕はこんな姿になるんだ?
「よくやったな、カズヤ。これで私のサポートが入れば、もっとすごいパフォーマンスを発揮できるぞ」
「だけど僕、元から運動嫌いだから……」
「だったらアスリートたちの素晴らしいパフォーマンスを脳裏に焼きつけようじゃないか。キミの持つデバイス……スマホと言ったね? それで動画を鑑賞できるだろ? ハリアップハリアップ」
ブカブカになったスウェットを着込み、急かされるようにスマホに向かう。
「筋力がアップしたとはいえ、すぐさまアスリートになれる訳じゃない。ものすごく簡単で単純なパフォーマンスを拝見することにしよう」
ヒーローが提案したのは、ボクシングの試合を動画鑑賞することだった。
「相手のパンチをよける。こちらのパンチは当てる。しかもふたつの拳以外は使わない。その拳だって、真っ直ぐと横からと下から。三種類しか無いんだ。単純明快にして血湧き肉躍る! 私はこの原始的で近代的なスポーツが気に入っているんだ」
なんだ、単なるヒーローの好みか。
と思って、あまり興味も無く動画を見ていると……ヒーロー、何かサポートしてるね?
ボクサーたちの動き、閃光のようなパンチがはっきりと見て取れた。
「カズヤの視力をサポートしてるんだ。どうだい、世界チャンピオンと挑戦者の攻防がよくわかるだろ?」
「すごい……このパンチをよけてるんだ……。って、隙なんかなさそうなのに、パンチが入ってる!」
あまりにも俊敏なボクシングの攻防。
それを見る目の無い僕は、タイトルマッチのテレビ中継も敬遠してきた。
だけど、目が追いつくとこんなに面白いものは無い!
顔面をパンチがとらえると、もらった側がガクッと力が抜ける瞬間がある。
だけどもらっても全然効いた素振りも見せないときもある。
この違いって何だろう?
それを考えるのも楽しかった。
ヒーローも満足気に、「いやぁ〜、拳闘って本っ当にイイもんですね。それではまた、来週お会いしましょう、さようなら」などと訳のわからないことを言っている。
だがすぐに我に返ったように、「それじゃあ見よう見まねでいいから、実践してみようか」
などと言い出す。
「ここに丁度いいものがぶら下がっているね」
ヒーローが言うのは、蛍光灯の紐である。
これは、もしかして……なにかとネタにされる蛍光灯ボクシングというヤツだろうか?
そうだ、少年というものは闘いを求めるものなのだ。
特にボクシング中継を見た後などは、滾る血潮を抑え切れないものなのである。
そして日本全国で蛍光灯の紐を標的に見立てたボクシングの真似事にふけってしまうのである。
これは仕方の無い出来事であり、すべての男子の九割方は経験しているという少年の儀式のようなものなのだ。
ちなみに僕は残り一割、いやそこにも入らないかもしれない。
なにしろ記憶の限りでは、僕はボクシングの試合を通して拝見したのは、今日が初めてだからだ。
これでは蛍光灯ボクシング以前の話しかけてである。
「カズヤ、その小さいツマミの部分を揺らしてごらん?」
言われた通りにする。
少年たちはこの動く標的に拳を打ち込んでゆくのだが、ヒーローはそんなことはさせない。
揺れるツマミの正面に顔を持って来させられた。
当然だけど、ツマミはボクサーの額にペチッと当たって、思わず目を閉じる。
ヒーローは訊いてきた。
「そんな小さなツマミが当たって、痛いというのかい?」
「そ、そんなことはないけどさ」
「じゃあ目を閉じないで。最後までツマミを見ているんだ」
もう一度ツマミを揺らして、顔を近づける。
ペチッ、やっぱり目を閉じてしまう。
「やっぱり怖いよ、ヒーロー。目に入るんじゃないかってさ」
「カズヤ、額を近づけていれば、目には入らないだろ? それに痛いかと訊いたらキミは言ったはずだ。そんなことはないってね」
「理屈ではそうだけどさ、やっぱり怖いよ」
「そうだね、顔に何かが当たれば、例えそれが砂利の粒のようなものであっても人間は目をつぶる。大切な眼球を失うまいとしての行動だ。だけど理屈がわかっていれば、目を閉じなくてもいいんじゃないかな? そう、額に当たるツマミの威力をあらかじめ想定しておくとか」
そっか……ツマミが当たったところで、ペチッという程度の威力でしかない。
はっきり言ってしまえばサッカーボールのヘディングの方が、よっぽど重たくて威力がある。
では、理屈完了! 三度ツマミに挑む。
ペチッ……今度は目を閉じなかった。
最後の最後まで、ツマミを見ていることができた。
というか、一度できてしまえば簡単なもので、それから何度もツマミトレーニングを続けた。
「オーケイ、カズヤ。とても素晴らしい成果だ」
「え? でもこんな軽くて遅いもの、見切れて当然じゃないの?」
「その当然のことをキミはさっきまでできなかったし、この程度のものを見切れないで、音速パンチを外すことはできない。私はキミに抜群の反射能力を与えることができる。しかしキミが目を開けてなくては、その反射能力も役には立たない。結局どんなに優れたスキルも、使う者の努力無しでは宝の持ち腐れなのさ」
ということで、次は揺らしたツマミを右に左によける練習。
ヒーローは僕に、もっとギリギリまで引きつけろとか、紙一重でかわすことを覚えろ、などと随分と熱心だ。
まるで僕が試合の決まったボクサーであるかのように。
「ね、ヒーロー? もしかして僕と凶悪犯を闘わせるつもり?」
「キミにその気が無くても向こうから仕掛けてくるさ。ヤツは私を恨んでいるからね」
あぁ、そうだった。
確かそんなこと言ってたっけ。
よかったよ、体重が落ちて身が軽くなって。