奇跡の一日
春とはいえまだ少し肌寒い皐月の終わり。
チェック柄のシャツにジーンズにブルゾンを羽織って、僕は街中にいた。
やっぱりヒーローは変に僕をあおってくる。
「いいかい、カズヤ。まずは服装をホメるんだ。それから髪型、きっと斎藤さんは前日美容室に行っているはずだ」
「なんでそんなことわかるんだよ?」
「キミとデートだからさ」
「だからデートじゃないって何回もいってるのに」
「そう思っているのはキミだけさ。少しは相手の身になって気遣いのひとつもしてごらん」
僕のことをまるで気遣いひとつできない唐変木みたいに言う。
「お? どうやら斎藤さんのお出ましみたいだぞ?」
ヒーローが言う。
僕はバス停の方に目をやった。
周囲とは明らかに体型の違う女性が歩いてきた。
薄手のロングコートにショルダーバッグ、ジーンズの脚はスニーカーなのにとても長い。
休日の太陽に黒髪を輝かせながら、斎藤結子さんは笑顔で手を振る。
あぁ……女の子だ……。
バカバカしいと思うだろうけど、僕は本当にそう思ってしまった。
同級生とか、隣の席の女子、ではない。
女の子がそこにいたんだ。
そしてヒーローは得意気に言う。
「ほらね、彼女は笑顔だっただろ?」
というか、そんな言葉ももう上の空だ。
「待たせちゃったかな、柏木くん?」
「い、いや……全然……」
言葉が詰まる。
どうしたの? と斎藤さんは僕の顔を覗き込んだ。
「いや……一目で斎藤さんだってわかったよ。ジーンズの脚が格好良くって、髪がすごくキレイで……」
「本当はもう少し可愛い服にしたかったんだけど、私ってば可愛い服、持ってないんだよね」
「いや、十分な破壊力です。それ以上されたら僕がプレッシャーで死んでしまう」
斎藤さんはフフッと笑い、やったぜ! と小さく言った。
だけどジーンズっというのは履く人が履けば、兇器同然になるものだ。
ロングコートのおかげで確認はできないけれど、今の僕は確信している。
これ、絶対に格好いい尻だ! と。
「さて、それじゃあ行こうか」
あれ、僕の意思とは違う言葉だ。
しかもクイッと左ひじなんか出したりして。
「はい……」
斎藤さんは少し照れたように僕の腕にそっとすがりつく。
……さては、ヒーローだな?
僕の意思とは関係なく、身体を操っているんだ。
「迷惑だったかな、カズヤ?」
腕にポヨンと当たる柔らかな感触。
「とんでもありません、ゴッチャンです」
普段の僕なら絶対にできないことも、ヒーローのサポートでできてしまう。
ジャスティス星人ヒーロー、グッジョブ!
さてそれからは、うつむきがちな斎藤さんをエスコートするように人混みの繁華街を歩く。
ドレスの飾られたショーウィンドウを眺めて、斎藤さんは「あ……」と足を止める。
どうしたんだろう? 可愛らしいドレスが飾られてるけど。
斎藤さんもこんな服で着飾ってみたいんだろうか?
そう訊いてみると、「違うの……」と小さな声。
「やっぱり私ってデカ女だなって……」
「スタイルが良くて美人なんだから丁度いいくらいじゃない? むしろ僕の方こそ、寸足らずでゴメンなさい」
「そんなことないよ、柏木くん。……だけど、通り過ぎる人がジロジロ見てるみたいで……」
「きっとちんちくりんが美人と一緒だから、『頑張れ、チッコイの!』って思ってるんだよ」
他人の視線なんか気にしてたら、オタクなんてやってられない。
だけど斎藤さんはオタクなんかじゃなく、普通の女の子なんだ。
やっぱり他人の視線が気になるんだろう。
髪、触るよと断ってから、頭を撫でてあげる。
背伸びが必要だから、ちょっとだけつらい。
「もしも僕が斎藤さんで、この身長に生まれたら、きっと悲しいだろうな」
え? という顔をする。
「だってこの背丈じゃあ、どんなに頑張ってもミス・ユニバースは目指せないからね。背が高いのは斎藤さんの魅力のひとつだよ?」
我ながら、なんつー慰めの言葉だ。
とは思うけど、それでも笑顔がよみがえった。
だからこれで「良し」としよう!
「ふふっ、柏木くんって、やっぱり面白いね♪」
「そんなことは無いさ」
「dwも私なんかを引き合いに出してミス・ユニバースだなんて、ちょっと盛りすぎ!」
「いやいや、斎藤さんなら狙えるって」
御世辞抜きで僕はそう思う。
それくらいに斎藤さんの美貌はズバ抜けていた。
そう、高校に入ってからもあまりに美人すぎて、男子のみんなが気後れして告白できなかったように……。
「それでは柏木くん、未来のミス・ユニバースと腕を組んで歩いている感想などをひとつ、どうぞ! 三、ニ、一、ハイ♪」
「緊張で今にも息絶えそうです……」
「あれあれ? だらしがないぞ、男の子? もっと胸を張って、これが俺の彼女だぞ! うらやましいだろ? くらいの気分でいいんじゃない?」
「か、彼女って……そんな……」
「あ……やっぱりイヤだよね? こんなデカ女なんて……調子に乗り過ぎちゃった……」
いまにもスルリと、僕のひじから抜け落ちそうな斎藤さんの手。
その手をしっかり掴んで離さないようにする。
「イヤなんかじゃないよ、斎藤さん。むしろ僕なんかがこんなキレイな女性と腕を組んで歩いている今が、全然現実味が無いだけなんだ!」
そう、男の子にとって、彼女ができるなんていう話自体が夢のような話。
それがすこぶる付きの美人で、話も合う相手だなんて、本当に信じられない出来事なんだ。
もしも「自分には彼女がいて当たり前」とか、「この程度の女だけど我慢してやるか」なんて考えている男がいたら、前に出ろ! 前だ!
ジャスティス・スパークでウェルダンに焼き上げてやる!
だけど、今聞き捨てならぬ発言があったような……。
……俺の彼女?
「あ、あの……斎藤さん?」
「ハイ♪」
「これが俺の彼女って……それでいいの?」
斎藤さん、返答に困ったように言葉が詰まる。
それから絶え入りそうな小さな声で、「はい……」と言ってくれた。
「こんな僕で、いいの?」
「……柏木くんだから、いいの……」
天使が舞い降りてくる幻覚を見た。
そしてそこには響いていないはずのファンファーレも聞こえてくる。
今日は人生で最高の日だろうか?
こんなに幸運を使い切って、今すぐ落ちてきた隕石に衝突して死ぬんじゃないのだろうか?
だとしたら、死ぬ前に僕は斎藤さんに言わなければならない。
「慎んで、お受けいたします。これからは斎藤さんの彼氏として、斎藤さんの恥とならぬよう、全身全霊の努力をもって日々努めさせていただきます。本日はありがとうございました」
「柏木くん、横綱の昇進会見?」
「いや、決意表明ということで受け取ってください……」
何を言っても様にならないなぁ、僕。
だけど、斎藤さんが楽しそうだから、いいか。
ショゲたり笑ったり、教室では絶対にと言っていいほど見られない、斎藤さんの百面相。
それを見ているだけで、僕も楽しくなってくる。
また、斎藤さんの足が止まった。
出店のアクセサリーショップ、屋台と言った形がいいかな?
やっぱり女の子って、こういうのが好きなんだよな。
「ちょっと見ていくかい?」
「あ、うん」
屋台の前に立つ斎藤さん。
一瞬僕はその後ろ姿に目を奪われていたけれど、すぐに隣に立った。
ネックレスを手にしてみたり、イヤリングを耳に当ててみたり。
なるほど、僕には今まで縁の無かった女の子の行動だ。
そしてこれからは女の子のこうした買い物なんかにも付き合っていくことになるんだろう。
そういうことも少しはネットで勉強しておかなきゃね。
その前に情報収集だ。
並んでいる商品に目を落とす。
指環だ。
こういうのを贈るのはキザなのかな?
価格は……そう高いものではない。
千円プラス消費税。
今日の記念に、っていうなら、そうキザでもないだろう。
「斎藤さん?」
思い切って提案してみる。
「こんなのどう?」
装飾も彫刻も入っていない、ただの指環。
「いいの?」と逆に訊かれる。
もちろん、と僕は答える。
「今日の記念に、僕からの贈り物ってことで」
「今日の日付とお二人のお名前も彫りますよ」
兄ちゃんのような年若い店主が言う。
ぜひ、と答えた。
指環の内側に、今日の日付とYUUKO♡KAZUYAの文字。
あの、お兄さん。
二人の名前の間に入った「♡」がすごく恥ずかしいんですが。
それになんとなく、これからは彼女のことを結子さんと呼ばなければならないような気にもなるし。
よもや、こんな僕にファーストネームで呼ぶ女性が現れようとは。
まったくもって奇跡のような一日だ。
だけど、そんな奇跡も長続きはしない。指環をはめた結子さんと街中を歩き始めたとき、本題に呼び戻されてしまったんだ。
前回倒したはずのコウモリ怪人が、ふたたび街ゆく人々を襲い始めたのだ。
それも、二体も。
コウモリ怪人は宙を飛び回り超音波で人々に頭痛を発生させて、その隙に誘拐しようとしていた。
何故これほどまでに、誘拐にこだわるのか?
その理由は、誘拐した人々を薬品で変態させて手下にするつもりなのだと、ヒーローが言っていた気がする。
結子さんも未遂とはいえ、その被害者のひとりだった。
そう考えると、正義の小節にも力が入る。
「結子さんはここで隠れていて」
僕は彼女を物陰に隠した。
そしてヒーロータイムの始まりだ。
コスモスーツを装着して、通りへ躍り出た。