第2話
―話は少し遡る―
「そろそろ親父が呆けてきたみたいでな。いっそこの部屋を引き払って、実家に皆で住もうかと思うんだが、どうかな。勿論、後々リフォームもする予定なんだけどさ」
「貴方がそう決めたなら、私は別に良いのだけど…。義父様のお世話とかは、少し難しいと思うのよね。介護施設とか老人ホームも考えた方が良いんじゃないかしら」
「そうだな。まぁ、実際に生活してみて、介護が必要だったらそうしよう。いきなり施設に送ったら周りから何を言われるか…。まぁ、良くも悪くも様子を見よう」
現在都内の賃貸マンションに住んでいる真也(大神 真也 47歳)は、家賃の掛からない実家に引っ越すいい機会だと考えていた。実際、家賃などの固定費が下がれば、生活は楽になる。
とはいえ、実の親と同居となると確かに気が進まない面もある。が、その時は施設に入ってもらえばいいか。と大して深くは考えていなかった。
そして月日は流れ、半年後に家族は真也の実家に引っ越すのだった。
☆☆☆☆☆
「ではこれで作業終了となります。有難うございました!」
作業服を着た屈強な引っ越し業者が爽やかに挨拶している。
「はい、こちらこそ有難うございました」
恵海(大神 恵海 40歳)は引っ越しの料金を支払い、業者の対応をしている。
夫の実家である、一軒家に引っ越してきたのだ。
これから荷解きをして、ここで生活出来る様にしないとならないので、大忙し。と言ったところだ。
娘の琴音(大神 琴音 17歳)は、自分の部屋が与えられた事に喜んでいた。
問題があるとすれば、祖父の事だろう。
そんなに会う機会が無かったし、昔ながらの気難しい人ときいている。
しかし、近いうちに施設に入居させる。という真也の言葉で、それならそれでと深くは考えていなかった。
自分の部屋の荷物は大して無いので、この家を少し散策する事にした。
木造2階建て。それなりに裕福だったようで、しっかりした作りになっている。
間取りは、所謂3LDKだ。1階に1部屋(祖父が使っている寝室)があり、そこから中庭を望む事が出来る。
そして、そこそこ広いダイニングキッチンとリビングがある。勿論バストイレは別だが、これは時代を感じる。脱衣場があるだけマシかもしれないが、早急にリフォームして貰いたいのが本音だ。
2階は、2部屋とベランダがある。琴音は、2階の1室を自分の部屋としてもらったのだ。
マンションに住んでる時は自分の部屋と呼べるものが無かったので、年頃の女の子としては嬉しい限りだ。
一通り見て最後に、1階の1室(祖父の部屋)も気になったので、トントンと入り口の扉を叩き、返事が無かったのでそっと覗いてみた。
「あれ、居ないのかな」
祖父が部屋に居なかったので「おじゃましまーす」と小声で言い、入室した。
布団が敷いてあって、テレビが置いてあるだけの簡素な部屋。正直な感想だ。
中庭と繋がっている窓が開いて、外に祖父が空を見上げて佇んでいるのが見える。
(あー、やっぱり一声かけるべきだよね?)
そう思い、恐る恐る中庭へと近づいた。
確か、祖父は今年で75歳になるはずだ。でも、後ろから見る立ち姿を見る限る、年老いては見えない。
「お爺さん。今日からお世話になります。宜しくお願いします…」
勝手に部屋に入ってしまった罪悪感からか、少し下手な挨拶になってしまった。
「お嬢さん、こんにちわ。君は?」
真也の父である人物。正二(大神 正二 75歳)は、振り返り琴音を見ると、柔らかい笑顔を作りながらそう言った。
(あー、これがボケってやつなのかな)
何度か正月に顔を合わせているし、名前を忘れられた事は一度も無い。琴音は、現実を知ってしまった様な、少し悲しい気持ちになった。
(きっと、施設に行くのは決まりかな……)
「私は琴音っていいます。今日から此処で一緒に住むことになったので、宜しくお願いしますね」
「そうねんだね。うん。宜しくね」
他人みたいな会話。そんなに話した事は無かったし、思い入れとかも無いが、自分の知っている祖父ではない事に、やはりショックを受けていた。
「じゃ、じゃぁ。私、行きますねっ」
このまま此処にいるのが何となく嫌だったので、琴音はとりあえず違う場所に行こうとした。
「あ、ちょっと待って」
祖父に呼び止められた。
「は、はい。なんでしょう…」
何を言われるのか、少し怖くて身構えてしまったのは、仕方ないだろう。
「えっとさ、少し教えてもらいたいことがあるんだけど、いいかな」
年寄の話す言葉使いでは無く、どこか若い大人の人と喋っている錯覚を覚えた。
(こんな、喋り方まで変わっちゃうの?ボケてるっていうか、別人だよ…)
「私が分かることなら…」
祖父が縁側に座り、琴声も少し距離を離して縁側に座った。
そうして、琴音は祖父、正二の質問に答えた。
自分の名前や家族構成、此処は何処か。今は何年何月何日で何曜日なのか。
琴音達家族がこの家に引っ越してきた理由。そして、近いうちに老人ホームなどの施設に入れられてしまうかも。など。
琴音は自分の言葉を素直に飲み込むこの老人を不思議に思っていた。
(気難しい……くはないよね。寧ろ穏やか……かな)
それに、何だか考えて悲しそうな顔をしていた。
「ありがと、琴音ちゃん。んー思ったんだけど、ボケって言うより記憶喪失か…いや、二重人格だと思ってもらえる?」
「はい?」
「いや、だからね。その方がしっくりくると思うんだ。別人格が入って居る。みたいな。あー、でもそうすると別人と暮らす事になるからめっちゃ嫌だよね…えー、どうしよう」
「おじいさん。ちょっと良く分からないんですけど、ボケていないって事を言いたいんですか?」
「そう!それ!ボケって、記憶力が云々じゃない?でも、今の俺は記憶力じゃなくて、そもそもこの…正二さん?じゃないから、忘れているんじゃなくて、知らないんだよ。まぁ、そんな話、信じてもらえないだろうけどな…」
自分で言ってて、誰がそんな話信じるのかと思ったらしく、分かりやすく落ち込んでいる。
「おじいさんが正二おじいさんでないなら、誰なんですか?」
琴音は呆れながらも、祖父の話に付き合うことにした。