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空にきらめく

作者: 小村るぱん

「朝ですよ」

看護助手のゆかちゃんが、僕を優しく揺さぶる。

まどろみも消えぬうちに、身を起こす。

同室の林君、ジンさん、長老も次々に容赦なく起こされている。

僕は先頭に立って廊下に出、休憩場所兼食事処のテーブルにつく。

すでに朝食は用意されている。

皆がめいめいの好きな椅子に座り、またレーズンパンか、などとジンさんのぼやきも聞こえる中で

皆いただきますを唱和して、和やかな朝食が始まる。

「てっちゃん、最後の朝食やな、俺のレーズンパン一個分けたろか」

食いしん坊のジンさんがそんなことを気前よく言うので、感化された長老も

「じゃあわしのヨーグルトお食べ」

などと差し出そうとするのを制して

「ありがとうございます。気持ちだけ頂ますよ」

と遠慮したけれど、嬉しさが隠せなかったかもしれない。

そんな中、マイペースで我関せず、哲学書を片手に黙々と咀嚼している林君は、さすが林君だと思った。

この風景も見納めかと思うと、退院する嬉しさの中に、一抹の寂しさもあることは確かだ。

 

僕がこの精神医療ホスピタルに入院したのは、仕事の過剰な負担が原因だった。

確かに自分の精神が、人よりたくましいかと聞かれれば、そう簡単にはうなづけない。

しかし、自分が病に犯されるとは考えてもいなかった。

むしろその類の心の病気を、甘えに由来しているものではと考えていたこともあるぐらいだ。

そんな認識不足が祟ったのもあるだろうことに加え、威圧的な上司による心の負荷、オーバーワークの累積、それらがこの結果を招いた。

だけどまだ僕は幸運なほうだ。

3ケ月で退院できるのはうつ病でも軽度に当たる。

 

朝食を終えた僕は、201号室に戻り荷物の整理に取り掛かった。

ここに来て、マジックペンで端の方に小さく名前が書かれることになった衣類、

お見舞いで姉からもらったギャグ漫画、

そして、いたわりの文章で意外な一面を知ることになった上司からの手紙

これらをリュックに詰めていると、ジンさんと長老、林君も戻ってきた。

「てっちゃんが出て行ったら、このベッド俺使ってもええよな?」

ジンさんが長老に打診している。

「なにを。特等席じゃないか。わしに譲ってくれ」

長老もどうやら狙っていたようだ。

横を向けばちょうど外が見える窓側の好位置だ。

林君も窓側だけど、二人は彼に一目置いていて文句は言わない。

「ほなここは正々堂々と将棋で勝負しましょうや」

入院後一か月くらいは、体もだるくみんなとしゃべる余裕もなかったが

回復がはっきりと感じられてから、僕から二人の対局中に話かけたことを皮切りに、打ち解けるようになった。

僕がなつかしく回想しているうちに、

ジンさんが居飛車、長老が四間飛車の陣で、ベッドの争奪戦が始まった。

 

僕が片付けをしている間に、二人が唸って名勝負を繰り広げ、長老の泣く泣くの投了で終局した。

権利を得たジンさんは喜んで大げさに拳をつきあげている。

「果たしてその駒は本当に雄黄色なのか。

見手が不在であれば色というのはそもそも不確実なものと言えるだろうし…」

林君は奥のベッドでなにやらつぶやき、負けた長老はしょんぼりとうなだれている。

そうしているうちに時間が来た。

「皆さん、お世話になりました。この辺で行きます、お元気で」

ジンさんが詰め寄ってきて、僕の肩を叩いた。

「ありがとう、楽しかったわ。元気でな」

長老も立ち上がってくれた。

「わしも出たいなあ。まあまたここ以外で会えたらええの」

僕は慇懃にならないように礼をして、それから本に目を落としている林君のほうにも

「さよなら」と軽く手をあげて、部屋を辞した。

 

その夜、201号室では僕抜きで就寝を迎えようとしていた。

長老はすでに鼾をかき、林君も本を閉じている。

ジンさんは眠れず窓の外を見ている。

ジンさんの見上げる夜空には、幾多の星が遠い輝きを示している。

それらの密度は、彼の苦手な食べ物の模様に似ていた。

「明日もレーズンパンかなあ」

そうぼやきながら、ジンさんはもう眠ることにした。

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