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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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行き交う人々を視界の端から端まで移動するのを目で追っていた。つまらない考えが浮かんでは大した感慨も抱かず消えていく。退廃地区が消し飛ばされたことなど忘れて、木の下で祭りの空気に浸っている。紅を黴臭く湿った牢に閉じ込めて。紫暗に買った木箱を見て、わずかに躍ったが、それもまた不発の花火に似ていた。群青がいないのならこの祭りにいる必要はない。帰る気になって一歩踏み出す。中途半端に鈴が鳴った。

 おねえさん、ひとり?

 若い男2人組がひとり佇む極彩に声を掛けた。顔を上げると2人組は互いに顔を見合わせ、渋い表情を浮かべたが苦笑で意思疎通を図り、再び極彩に戻る。

 ちょっと一緒にかき氷でも食べない?

 おねえさんのこと、さっきからかわいなって話してたんだよ。

 極彩は2人を見ていた。ひとりでいるのは良くなかったのだ。家族か、恋人か、友人を連れていなければならなかった。色町でも客側らしき女性は2人組でいた。あの経験からは何も学んでいなかった。何も喋らない女に若者2人組は眉を顰め、顔を見合わせばつの悪げな表情をした。

「ごめんなさいねぇ。俺が先約なんですよぉ」

 ひとつ虹色に沁みたかき氷を持った嫌味な男が態々(わざわざ)若者2人の間に割って入り、極彩にかき氷を渡した。そして貼り付けた満面の笑みを向ける。

「翡翠さん?」

 ほら帰った帰ったと若者たちを手で追い払ったふざけた宗教家は先程の上機嫌とは真逆の疲れた顔で極彩の手から虹色に塗られたかき氷の容器を奪う。長い襟巻を靡かせ、羽織りを掛けた浴衣姿で帽子を浅く被っていた。眼鏡も外している。一瞬誰だか分からなかったが声や喋り方から監視役の宗教家に間違いなかった。

「案外モテるんですねぇ」

 華奢な使い捨ての匙で一口かき氷を放ると残りを突き返す。慌てて容器を抱き込んだ。

「軽んじられただけです。声を掛ければ簡単についてくる軽率さをわたしに見たんでしょう」

 翡翠は鼻で嗤った。それから本当に可笑しそうに笑いはじめた。

「あまり気にしないことですよ。逢引き中に突然破局を告げられるだなんてよくあることですからねぇ」

 かき氷は糖液と空気と容器越しの体温に溶かされ、虹色は濁っていく。

「逢引きとか破局とかではないです」

 翡翠は姿を消さず傍にいた。木の裏に立ち、沈黙の中で祭りの中に身を隠す。かき氷が溶けきってしまう前に完食した。身体が冷え、温い空気の中で輪郭を持った感じがあった。両腕を抱き込むと、襟巻が真横の木の裏から飛んでくる。

「ありがとうございます」

 群青がそうしたようにじっと立ち尽くす。翡翠は何も言わなかった。消え失せたのかと思うほど静かだった。寝こけているのかと思ったが木の裏を見れば馬鹿にするような表情を向けられる。群青は結局、夜になっても帰ってこなかった。花火が打ち上げられ、そろそろ祭りも終わる。屋台や出店の陰で極彩には音だけが届いた。珍しいものでもない。人々が花火に向かっていく中で極彩は近くの屋台に吸い寄せられる。翡翠は何も言わず、付いてくる様子もなく片膝を曲げて木に背を預けていた。縄張りの主のような野良猫に似た男の姿を幾度か確認しながら売れ残りとして並べられていた玉子焼きに包まれた焼きそばを買った。

「紅生姜、大丈夫ですよね」

 ずっと立っていた場所に戻り、袋ごと木の裏に差し出す。翡翠は極彩の顔を凝視する。何か気に食わなそうで、だが悪態を吐く気分でもなさそうだ。さらに袋を差し出す。うんざりをした顔をして受け取った。

「礼は言っておくけど…」

 打ち上げ花火の爆音が足の裏に伝わった。赤く街を照らす。拍手が聞こえ、空でも小さな花火の拍手が続く。

「そろそろ帰ります。翡翠さんのいう過激な活動はしないので、今日はもう大丈夫です…お大事にしてください」

 舌打ちが聞こえた。

「そうもいかないんですけどねぇ……貴女を甘く見ていましたよ」

 歩き方に違和感があった。すぐに姿を隠さないのは1人に見せないためにかと思われが、それなら真横に居たらよかったのだ。せめてもの遠慮なのだと解釈し、花火に立ち止まる通行人たちの間を縫っていく。暗い道を花火が照らす。急な階段を上っていく。以前来たときは紫陽花が咲いていたが枯れていた。息を弾ませ着いた淡香寺は混んでいた。見物人たちの隙間に入り、花火を見上げていた。手に覚めた掌が触れた、気がした。体温を感じるよりも早く離れていった。薄荷の香りが薄っすらと祭りの匂いの中に漂っていた。高い音と共に光が上がり、明るい花弁が散っていく。淡香寺で打ち上げ花火を見た。目的はほぼ果たした。弁柄方面の階段へ人混みを掻き分けていく。狭く急な階段を下りた。足音が近付いてくる。紫の鼻緒の下駄が鳴る。薄荷が仄かに薫る。下駄が鳴る。後ろで花火が煌めき、轟く。

「―様!」

 階段の下方は花火の明かりも届かなかった。下駄が鳴る。秋の訪れを告げる風が吹く。祭りが終わる。歓声は大きかった。足を止める。大輪が煙に曇る夜空に咲いた。脚を閉じて転がる蝉に気付き、踏み外す。大きく身体が傾いた。背後から伸びてきた腕に支えられる。薄荷と鉄錆の匂いが舞う。微かな熱が布越しに広がる。首を後ろへ曲げた。髪飾りが涼やかに奏でられ、後方を向ききる前に浴衣越しの肉感によって阻まれた。耳元に息吹を感じる。翡翠から借りたまま忘れていた襟巻に白い手が爪を立てている。

 振り向かないでください。

 極彩を捕まえた左腕は震えていた。背中に当たっていた右腕がさらに押し付けられる。祭りに参加していないため暗く閑静な弁柄地区が視界に入った。ぽつりぽつりと便乗した出店で明るい。静けさを取り戻した空に淡香寺は騒がしくなる。

 俺を見ないで。

「群青殿?」

 ごめんなさい。すみません。本当に申し訳ございません。

 花火を見終わった者たちが階段を下りてくる。下駄の派手な音が響き、雑談が入り乱れる。

 送ることも出来ません…誘ったのは俺なのに…ごめんなさい…長らくお待たせして…

「怪我してる?」

 声が沈んでいる。何度か聞いて覚えてしまったことだ。

 怪我はしていません。でも振り返らないでください…そのまま…

 放したがらない腕を投げ捨てるように解いて擦り抜ける。弁柄地区に下りていく。鈴が鳴り、肩から滑った長布が揺蕩い真新しい香りを残した。

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