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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 触れられると嫌がって暴れ、殴りかかる紅を両腕から解いたが左手は握ったままだった。ゆっくりと紫暗を振り返る。紅を見ていたようだが、極彩の視線に気付き、無表情を柔和にした。

「何となく…そうなんじゃないかと思ったんです。なんとなく…ですけど。近くで見ていましたし、自分」

 顔半分が陰る紫暗は緋色に照る半分で柔和な顔をしていた。群青も訝しんでいたことだった。

「あなたの立場は大丈夫なの…?」

「二公子はすでにご存知ですから」

「天藍様が…」

 面白半分に瀕死の師を弄び、水晶を求めたあの男が。赤い石を溢れさせたのは紅だった。

「どういうおつもりかは分からないんですけど」

 離れない手を紅は噛んだ。柔らかく歯が刺さり、握った手を放す。壁にこれ以上ないほど後退ろうとし、ひどく怯えていた。

「ありがとう紫暗」

 紫暗は紅を見ていたが再び極彩に朗らかな笑みを向ける。照明が動き、大きく紅を浮かび上がらせた。右腕が通されず袖がたわんでいる。そして首に絞められた痕があり、極彩は顔を近付けた。紅は極彩の頭を左腕で払う。しかし力づくで首を横に走る痣を確認した。

「…っ!」

「ごめんね紅。でもちょっと見せて。大事なことなの」

 切断された右腕を覆う包帯には触れないように押さえる。紅はまるで人が変わったようだった。外見の通りの年頃の少年が持つ活発さで極彩を拒む。

「紅…この首の傷、どうしたの?」

 首を振り、駄々をこねる。警戒した猫にに似た息遣いが聞こえた。呻くが、舌がないために言葉にならないでいる。

「おそらく本人も覚えていないんだと思います。筆談は出来るんですけど、なんというか、しどろもどろで」

 小さな身体を強く、強く抱き締める。

「ごめん、紅…ごめん…」

 繰り返さずにはいられなかった。暴れる紅を胸に閉じ込めていた。

「紫暗。今日はここにいてもいい?」

「はい」

「紫暗はもう下がって大丈夫。夜遅くまで、ありがとう」

 揖礼していくのを陰で認めた。照明器具を置いて下がっていく。

「紅…」

足音が遠ざかる。雑に切られた毛先を弄ぶ。全てを嫌がり、拒んだ。原を刺し、この牢に入る原因となったのだから拒否も受け入れるしかなかった。ごめん。一言だけ謝り、紅を放すと寝台の脇に腰を下ろす。

「今日はここにいるからね。紅が前にしてくれたように、今度はわたしが紅を…」

 最後までは言えなかった。まだ手に、感触は思い出せる。

「おやすみ。それともお腹、減ってる?」

 紅は寝台の上の掛け布を持って極彩の隣に下りた。肩に頭を預け、穏やかに呼吸する。膝を崩し、枕にさせるとそこに後頭部を滑らせる。

「おやすみ、紅」

 傷が疼いた。開く。だが思った通りに血は出なかった。代わりに涙が滴った。


 牢の壁の上部に刳り貫かれたような小窓から射し込む光で目が覚める。膝の上で丸まって眠る隻腕の小柄な身体と体温に、目蓋の裏が軋んだように痛んだ。掛け布を肩まで引っ張る。長屋で暮らしていた時は全く無かったことだった。落ち着いた寝息にまた眠ってしまいそうになる。

 足音が響いて、知った間隔のそれは紫暗だった。膳を持っている。2つの椀が乗っていた。磨り潰され、液体にされほとんど糊と化している米と、馬鈴薯が溶けた味噌汁だ。

「おはよう紫暗」

 紫暗は少し驚いたらしく円い目を見開いてから柔和に笑うと、おはようございますと返した。

「朝餉はどうします。ここで?」

 膳を寝台の脇に置いて紅の寝姿を窺った。

「紅が起きたら…わたしが食べさせる。紫暗は先に食べているといい。今日も杉染台に行こうと思う」

 銀灰のことを思い出すと杉染台に行くことに気が重くなった。

「自分もここで待ちますよ。…昨夜は誰も、ここには来ませんでしたか?」

「誰も…来てないけど、何故?」

 深い息が紫暗の鼻を鳴らす。紅の首の痣へ互いに目が向かった、この犯人を知っているのか。

「これも、なんとなくですよ…なんとなく」

「珊瑚様がこの前、梨を擂り潰すようにおっしゃられた」

 紫暗は紅を眺めながら何か考え込んでいるようだった。極彩が声をかける前に、顔を上げる。

「自分のせいです。裏口からここへ入り浸っているところを、おそらくみつけられたんです。申し訳ありません」

 何の話だか分からず、謝る紫暗を制した。

「どういう経緯であれ、紅の世話をありがとう」

「うん、本当にありがとう。感謝するよ。え~…っと紫暗ちゃんだっけ?」

 手拍(てばた)きと快活な声が地下牢を支配する。紅の夕焼けのような双眸が一瞬で大きく瞠られた。格子の奥に天藍が現れる。傍には藤黄もいた。怯えて腕にしがみつく紅を背に回し、極彩は揖礼する。紫暗は深く伏していた。険しい藤黄の視線に気付いているくせ、気にもせず天藍は格子扉を潜った。

「具合は好さそう?回復したんだ?よかった」

 平伏したままの紫暗にもういいよと言い、揖礼している極彩の前に屈んで目線を合わせた。

「彩ちゃんも。また傷開いちゃったんだ。最近立て込んでてさ、なかなか会いに行けなくて。残念だけど」

 極彩の背中で紅はおそるおそる天藍を見る。

「彼女が気を回してなかったら、うっかりそのまま見殺していたよ」

 柔らかな口元と笑っていない目元。紅は極彩の腕や衣に縋った。

「そんな怖がらないでよ。オレは弟じゃないから、君の首を絞めたりしないよ」

「…っ!」

「やはり、珊瑚様でしたか」

 極彩は腕を伸ばし紅を守る体勢に入る。天藍の微笑は深い笑みへと変わる。

「やはり…?とすると、見当はついていたのかな。恥ずかしいことだ。弟に代わってオレから謝ろう。弟がすまなかった」

 極彩の後ろに隠れる紅へ跪き、頭を下げる。藤黄の眉間が顰められた。

「ところで」

 一同の視線が藤黄に集まる。静寂を破ったのは藤黄だった。

「結果としては良いのでしょうが、危険因子を匿っていたというのは問題でありませぬか」

 厳めしい面は紫暗を向き、当人もまた受け入れる。そうですね、と小さな唇が同意を示すより先に極彩が「違います」と口を挟んだ。紅の左手が背中を引っ掻く。凍てついた空気を理解しているようだ。

「極彩様」

「好ましくないことだけど、まぁ、言うとおり結果としては良かったし」

「紫暗を罰するというのなら、わたしがお受けいたします。わたしが彼女に迫ったのだから。彼を保護するように」

 天藍は髪を掻き乱す。

「藤黄はどうするのが望ましいと思うのさ。ちょっと試しに言ってみてよ」

「紫暗嬢を解雇するか、さもなくば厳罰が然る処置かと」

 解雇ねぇ、と天藍は藤黄から視線を滑らせ極彩に移る。

「オレのところで面倒看ようか?そうすれば彩ちゃんも来てくれるでしょ」

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