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 紅が出ていった夜も1人で寝ていた。長屋の部屋よりも少し広い。長屋にいた日々は紅が常に戸の近くに静かに佇み、2人部屋が実質1人だったため広く感じていた。それでも静かでも何も話さない小さな体躯でもその姿が見えると1人ではないということに安堵していた。だが今は。落ち着かずに城内を歩こうとすら考えた。縹はいるだろうか。会ったところで話すことはないけれど。ただこの城で知っている者、頼れる者は縹しかいない。情を捨てろと言った。立ちはだかる我慢しろと言った。きっとこの程度のことではない寂しさや悲しみがあるのだろう。灰白は敷いた布団の中に入り直す。長屋にあった薄く古びた布団とは違う。眩しいほど光沢のある素材の柔らかな布団。厚く、だが触れたら溶けそうな感触がある。背中が痛むこともなさそうだ。まだ夜にもなっていない時間だ。妖しい紫に少しずつ染まっていく窓の外を見ていると玄関扉が叩かれる。布団から飛び出て来訪者を迎えた。現れた円い目がぱちぱちと瞬く。小柄な黒髪の少女がいる。

「初めまして。今日から極彩様の身の回りの世話をさせていただく係となりました、紫暗と申します」

 紫暗と名乗る少女は頭を下げた。小動物を思わせる。

「世話係?」

 灰白はむしろ世話係は自分がなったつもりでいた。山吹の付き人とはそういうことではないのか。

「はい」

「なんで?わたし、山吹様の付き人だよ?」

「…えっと…山吹様の付き人というのは、いずれは婚約者になるという意味でしてですね…」

「婚約者…?」

「はい。…ご存知なかったですか?」

 紫暗は困惑した面持ちだが、灰白も縹の言葉の足りなさに困惑していた。仇と姻戚になる。一瞬にして体温が上がった。だがもともとは三公子の妾として潜入するはずだったのだ。誰と婚約しようが目的に変わりはない。

「極彩様?」

 紫暗の声が訝る。灰白は何でもない、と首を振った。

「でも、山吹様はそれでいいの?」

「お言葉ですが、山吹様は…」

 難しい顔で紫暗は説明する。婚約を理解することはなく、灰白を婚約相手だと理解することもなく、灰白との婚約に対しての是非を意思表示することもないのだと。

「そうかな」

 山吹には意思があるように思えた。深い関わり方はしていないけれど、竹林の奥で見せたもの、姿。

「ただ…三公子がおそらくこの先ご成婚なさることがないと思われるので…」

 紫暗は愛らしい顔に皺を寄せたままだ。もともとは三公子と婚約するはずだったが、突如変更になったのは何故なのか気になった。三公子が断ったのだろうか。

「それはどういうこと?」

 紫暗は目を見開く。知らないのか、と言った風な。もしくは知ってどうするんだ、という風でもある。

「三公子はとても気難しい方でいらっしゃいますから」

 紫暗が自身の左肘を労わるように撫でる。朽葉が賜死し、山吹は公子として認められていないらしい状態で三公子という立場は複雑なのだろう。

「三公子が婚約なさらない限り、あくまで極彩様は付き人ということになりますから気負わなくてよい…と、」

 灰白は紫暗を疑った。何か知っているのだろうか。それとも気付いてしまったのか。情を捨てろ。縹の忠告はまるで呪いだ。ここで斬り捨てるべきなのか。それが出来るのか。出来たとしてその後どうするのか。紫暗を見つめたままでいると、紫暗も妙な表情をした。

「縹様からの伝言です」

 紫暗は納得していないようだが伝言であるためか質問を投げてくることはなかった。

「そう。ありがとう」

 紫暗は一礼して玄関の前に静かに座る。

「ここにいるんだよね?」

「下がれとおっしゃるなら下がります」

 灰白は目の前に座るよう促す。紫暗は首を傾げたが灰白の対面に腰を下ろす。

「ふふ、良かった。なんだか慣れなくて」

 紫暗は立ち上がり、灰白を布団へ入れるように掛布団を翻す。灰白は布団へ横になり、肩まで布団を掛けられた。脇に座る小さな身体。

「では極彩様が寝るまで何か話しましょう」

 風月国に辿り着いた日からここに来る前日まで紅が話を聞かせていた。寡黙な紅はその外見からは思いもよらない経験を重ねていた。

「紫暗のことが知りたいな。他にもこの城の人たちのこと、教えてよ」

「私のことですか…自分は…」

 紫暗は口を開いて、止まる。視線が遠くへ投げられる。何かまずいことを訊いてしまったような気がして、話を逸らそうとすると、紫暗は続ける。

「よくある話で、つまらないですよ。食うに困ったからここで働こうと思ったんです」

 紫暗の紫暗自身の話は呆気なく終わる。この国には貧富の差がある。洗朱通りに寝転がる者と不言通りを行き交う者を見れば一目で分かることだった。

「つまらない話じゃないよ、紫暗は食べるためにここで働いているんだね。ここの暮らしは楽しい?それとも大変?」

「今はとても人手不足で。それまでは楽しかったんですけど。群青殿って分かります?多分極彩様を案内した人なんですけど」

 うん、と返事をする。

「基本的にはあの人の指示で動くんですけど、今にも過労で倒れてしまいそうで。なかなか気を遣うんですよね」

 ほぼ愚痴と化しているが紫暗のどこか開いた態度に気が楽になる。

「あ~、少し疲れた様子はあったかも」

 疲れたどころではなかった。それから顔も腫れ上がっていた。

「躍起になっていらっしゃるんですよ」

 正座する紫暗の膝の上に重ねられた小さな手を布団の下から取った。四季国の世話係にもこうしてもらっていた。紅にそうしてもらうわけにはいかなかったが。

「どうかしました?」

 紫暗がどうかしたのかと前のめりで灰白の様子をうかがう。四季国の世話係の中でも特に仲の良かった娘に背格好が似ていた。彼女はどうなっただろうか。視界が弱く滲む。

「手、握っててくれる?わたしが寝たら、下がっていいから」

 下がれと言うまで下がらないのかも知れない。ずっと傍にいさせるのは気が引ける。紫暗の手が灰白の手の下から擦り抜け、上に置かれる。柔らかく握られる。紅の小さく固い掌とも、縹の節くれだった白く細い指とも、山吹の無骨な指先とも違う、小さく柔らかく、滑らかなしっとりした手。

「極彩様、失礼します」

 目元を拭われた。灰白様、灰白お嬢様と慕っていた世話係たち。紫暗と同じくらいの年頃だった。

「突然環境が変わるのって、結構負担です。縹様にも群青殿にも報告はしませんから」

 紫暗の言葉に灰白は紫暗に抱き付いた。見た目通りの細い身体。肩に顎を預け、溢れる涙が紫暗の衣を濡らす。情を捨てろ。縹の言葉が何度も聞こえる。おやすみなさいませ。当然のように繰り返される毎日に疑うこともなく、最後に聞いた声。情を捨てろ。偽りの過去だけ持て。それが出来るか否か、自身に言い訳するのも億劫で、意識が沈んでいく。

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