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青紫の美青年は堂と思われた多目的な大広間に戻ってきた3人の姿にひどく狼狽していた。湯浴みの準備を、と周りの者に指示を出す。隈がさらに濃くなりそうで居た堪れない。
「すぐに着替えをご用意いたしますので!」
青紫の布をはためかせ、美青年は血相を変えて着替えや拭く物や掃除道具を持ってくるよう指示を出したり、自身で動き回っている。縹はゆっくり山吹を下ろし、衣類を脱がせていく。
「…迷惑を掛けてしまって、本当にごめんなさい…」
「何かしら怒ってやろうかと思ったけれど、特に怒る言葉が見当たらない」
縹の声は落ち着いていた。内容に反して怒っているようには思えなかった。下着姿にさせると縹は立ち上がる。先ほどまでは気付かなかったが正面からみた縹は口角を腫らしていた。縹は赤に近い桃色と黒のローブを山吹に掛ける。灰白は黙ったまま床を見つめていた。縹を巻き込むつもりはなかった。だが縹が来てくれなければどうしていたのだろう。何故山吹を追ってしまったのだろう。だが追わなかったら山吹はどうしていただろう。追わなければ竹林には入らなかったのではないか。灰白は肩を落とす。
「新しい選択肢が増えたし、まぁ、気にすることはないよ」
縹は口角の傷を拭いながら言った。傷口に触れると佳麗な顔を歪める。
「君も脱ぐかい。ボクは君の"叔父"なのだから、恥ずかしがらなくていい」
本気なのかと思ってしまったが冗談らしい。灰白はムッとした。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。縹殿はこちらへ。極彩殿はそちらに…」
掃除道具と大量の手拭いを持って来た青紫の美青年は頬骨に赤い痕を付けていた。灰白は凝視してしまった。縹は灰白の肩を抱いて指示されたほうへ歩かせる。青紫の美青年は慌ただしい。濡れた山吹の衣類を掴んで灰白と縹に追いつく。
「落ち着いて。…君は少々働き過ぎだ」
「申し訳ありません。与えられた職務は滞りなくこなしますので…」
青紫の美青年は止まって何度も頭を下げる。まるで縹が虐げているような図に見えた。
「浴場までご案内いたしますので…」
「第一浴場だよね?そこなら分かるよ」
「本来ならば縹殿の姪御さんに第一浴場を使っていただくのは…」
「大丈夫だ。むしろすまないね。仕事を増やしてしまって」
「滅相もないことでございます。では失礼します」
青紫の美青年は頬骨の腫れを摩って忙しなく去っていく。
「あの方と喧嘩したんですか?」
「どうしてそう思うの?」
あの青紫の者と縹が喧嘩したようには思えないが、不自然な傷は目を引く。
「傷があるので」
縹は一度口角の傷に触れて、指の腹を見る。血は止まっている。思い出したようにああ、と声を出す。
「彼もひどい痣がだったね。君のことで忘れていたよ」
縹は意地悪く笑った。
「そのうち分かるよ」
縹は灰白の肩を抱く手を放す。湯気が暖簾の下から溢れて掠れ、溶けていく。長屋には風呂場がなく、大衆浴場に通っていた。四季国とは様相が違ったが慣れてきている。城内の浴場も大衆浴場と同じなのだろうか。
「ゆっくり暖まりなさいね」
縹はぽん、と背を叩いて戻っていく。
「縹さ、」
「いいから、風邪をひいたら承知しないよ」
縹は足を止めず、振り向きもしない。ありがとうございます、と言えなかった。
「話し合いの結果、君は山吹様の付き人ということになった」
疲れた顔をした青紫の美青年と縹が入浴を終えた灰白を大広間で迎えた。
「山吹さんはどういった方なんですか」
「三公子の弟御だよ」
ということは四公子だ。朽葉に似ているのはそのせいだったらしい。
「多大なるご迷惑をお掛けしまして、何とお詫び申し上げたらよいか…山吹様が脱走なさっていたとは把握しておりませんでした」
頬の腫れが悪化している。
「山吹様の付き人とは、大変ありがたいお役目です」
腫れた頬を気にしていた灰白に代わり、縹が頭を下げると、青紫の美青年はぎょっとした。
「はい。山吹様のため尽くします」
「……よろしくお願いいたします」
身に纏う青紫色がさらに顔色を悪く見せる。腫れ上がった片頬がさらに衰容に拍車を掛ける。
「群青くん、そういうことだから今後は君も少し休んだほうがいい」
隈が浮かぶだけでなく片頬の腫れで引き攣った目元が眠そうに屡叩く。だが群青と呼ばれた美青年は、仕事に戻ります、と残して一礼すると立ち去っていく。
「忙しい方なんですね」
「実質、雑務も政務も軍務も事務も彼が1人で回していたみたいだからね」
「え…すごいですね…」
「まぁ、今は便利だからね。勝手に計算してくれる機械もこの前入ったばかりだし」
そんなことはいいんだよ、と縹が群青についての話題を終わらせた。
「君は山吹様の付き人になったわけだけれど、目的は変わらない…分かるね?」
縹は周りを気にして、それから小さな声で言った。灰白は頷く。紅に誓ったことだ。今頃どこかで過ごしているはずだ。
「あの…山吹様は四公子ではないんですか?」
ひとつ浮かんだ疑問を思い出す。
「…彼は…彼のことは四公子とは呼ばないほうがいい。いや、呼んではいけない。四公子とは認めらていないんだ」
縹は複雑だろう?と付け加え、この話はするなと言わんばかりだ。
「もう休みなさい。疲れただろう。何か動きがあればボクが離れ家に行こう」
縹は灰白の肩を掴んで離れ家のほうへ身体を向けさせる。
「あの、」
「くだらないことだったら怒るよ」
「何から何までありがとうございます…必ずや…」
首を後ろへ回す。縹は顰めっ面をしていた。酔った時に見た面構えだ。
「いいから、はやく行きなさい」