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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「ここで色々作って売ってるんす。売れないんすけどね」

 耳打ち。全て長春小通りで取って替わる物が売られている。より多く、より清潔に、より効率よく、より高品質に。

「洗朱紐ってのがあるんすよ」

 中へ促され、大きな瓦版らしきものを2枚並べたような印刷物の上に置かれた紐束を見せられる。強い黄みを帯びた薄い赤に染まった細い紐。珊瑚や山吹が大きな蜻蛉玉に通して身に着けていた。

「これはひとつの伝統っすからね。失くすのは惜しいっすよ。世が世なら、献上品にしたって…きっと」

 洗朱紐を置き、また別のところへ進む。隅に置かれた轆轤を気にしていると、粘土で成形したはいいが焼く設備も機会もないため飾ることしかできないのだと説明される。掛けられた布を取られ、積み重ねられた粘土の器を見せられた。

「最悪の場合は杉染台の物を売るんすけど。なかなか気が引ける。そんなことを言っている余裕は正直ないんすけど」

 おどけて肩を竦める。入口で立ったままの桜は近くで寝ている老婆の手を揉んでいた。

「息したらテキトーに生きていけると思ってたんすけどね。放任の親父がいきなり呼び戻すから何かと思ったら、息するだけで腹が減るのに、でも食うだけの稼ぐ手段がさ、あるにはあるけどなかなかな現状があったわけ」

 銀灰の話からすると父親が亡くなったのはつい最近のようだった。不言通りや長春小通りで見る同年代の男たちと比べると痩せ、小柄で屈強そうには思えないが銀灰の気丈夫さには惹かれるものがある。

「まずやることは炊事だな」

 そう独り言ちて社の奥で横たわる者の前に進むと屈み込み、話しかけ始める。調子はどうかと。老いた手が銀灰に縋る。誰かいるのかと銀灰に迫り、縹の姪御だと幾度も教える。白梅の香りじゃ…、白梅の香りじゃ…。叫びに似ていた。珊瑚も言っていた。杏も言っていた。季節は全く外れている。香油も身に覚えがない。あの藤の花の簪を揺らす芸妓から移ったとでもいうのか。背を丸める老人を撫でながら銀灰の傍に寄る。皮と皺に覆われた、おそらく老婆だ。歯が抜け、唇を揉むように喋る。

 藍銅(らんどう)様か。

「違うよ、婆ちゃん。縹サンの姪だって」

 極彩に両手を合わせ、拳を片方の掌に合わせると、1本ずつ指を折っていく。変わった作法だった。銀灰は困っている。

藍銅(らんどう)様?」

「洗朱の芸妓さんでさ。白梅(しらうめ)ちゃんと同じ匂いするんだよ」

 薄くごわごわと乾燥した手が震えながら極彩の手を握る。関節を揉み、指の背を撫で、掌の相をなぞっていく。指先が止まり、老婆は小さく唸った。

「婆ちゃん…」

 銀灰は老婆の肩を抱いて顔を覗き込む。藍銅という者は知らないが掌の感触や手相で別人だと察したらしかった。安否の確認だったのだとすれば、ひとつの希望を不本意に裏切ってしまった申し訳なさがある。

 お銀の(さい)にならんか。縹様が離れんうちに…

「ちょっと、婆ちゃん、何言ってんすか」

 こんなことしとっても何の得にもならん。何の得にもならん…ならん…まだ独り身なら、お銀の(さい)になっとくれぇ…

 縹は得で動いているわけではない。

「婆ちゃん、縹サンの姪御じゃ、野良犬のオレとは身分が違うから…」

 縹が養子に迎えたがっているのは安寧のためか。小さな。欲のない。だが大きい。楔になれと周りから固められ、銀灰は身動きがとれるのか。雁字搦めにされ、ただ父親の故郷というだけで。気丈夫に見えたがまだ若い。好いた者は或いは恋仲の者はいないのか。天藍や珊瑚や山吹とは違う。決められた相手とでなくたって許されるはずだ。縹と銀灰が親子関係になれば、もしくは自身の婿になれば。極彩は気に入らなくなった。弱者は立場を選べない。弱者はその中で優しさを見せた強者に縋るしかない。弱者が囲った強者を押し潰すしかない。

「叔父上はあなた方を見捨てたりなどしません」

 ただ伴わないのだ。荒げそうになる声を抑える。

「見捨てたりなど…」

 焦るのだ。縹の姿に。先を匂わせることに。風邪をこじらせている咳ではなかった。素人目にも分かってしまう。肺か心臓を病んでいる。自身や場内に感染は見られない。複雑な病だと縹自身が口にした。

白梅(しらうめ)ちゃん」

 銀灰は老婆から離れ、極彩を社から出した。晴天しか似合わないその面は曇天だ。

「気、悪くしたすか、ごめん」

「…縹さん、顔出せてないんでしょ。忙しいみたいだから」

 病のことを言おうとして迷う。言ったらどうなるのか。銀灰の返事は決まるだろうか。あの意地張りはどうなる。あの男が自身の情けなさに苦く笑うのは許せない。

「縹サンがわざわざ洗朱に住んでここのことも手配してくれてたの知ってるし…ちょっと多分、腹減ってるから不安なんだと思うんす、ほんと、ごめん。あまり気にしないで」

 2人が社から出たため桜も外へ出てきた。

「どうか、したんですか」

「いんや、ちょっとな…婆ちゃん、ちょっとオレに甘いから」

 この地に銀灰と自分の婚姻を経て縹を縛りたいどころかむしろ銀灰を放したいのではないか。社に戻る前に柔らかく頭を撫でられ囁かれた言葉に新たに浮かんだ可能性。真意は分からない。

 寺には暗くなるまでいた。縹から預かった小切手を換金してきたらしい杏が米や漬物や干物、味噌などを買い込み、病棟を柘榴に任せて寺まで運んできた。動ける者たちで米を炊き、汁物を作っていた。桜は炊いた米をさらに煮詰めて柔らかくしていた。

 社の中で生活している人々の中に、変態好色館で働いている娘がいた。片肘から腕が2本に分かれているためよく覚えている。胡桃という娘だった。明るく清楚な印象を受けた。年齢が近い同性ということもあってか胡桃とはすぐに打ち解ける。握り飯を作りながら、味噌汁を器に割りながら他愛のないことを話した。天気のこと、杉染台に移ってから気付いたこと、味噌汁の具のこと、銀灰や杏や柘榴のことなどを。作業が一段落し外で2人並んで握り飯を食べていると、後片付けをしていた銀灰がやって来る。

「胡桃ちゃん、もう暗いからそろそろ」

 洗ったばかりで水滴を垂らす鍋を持ちながら銀灰は、極彩の隣に座っていた胡桃へ声を掛ける。胡桃は指に付いた米粒を全て平らげ、立ち上がる。食後もゆっくりできないのだろうかと思った。

「仕事に行きます」

 鍋を片付けてからまた銀灰は胡桃の元へと戻ってきた。色町に行くというのなら誰かと共にいたほうがいいというのは身を以って経験している。

「東なら方向一緒っすよね。4人で途中までどうっすか」

「桜、もう少しいるみたいだから」

 社の中で、まだ桜は老婆の世話をしていた。言えばすぐに切り上げ、帰宅の準備を始めるだろう。だが桜に(かこ)けただけだ。途中までとはいえ、色町だ。胡桃は嫌なのではないか。余計な忖度であるのならそれでよかった。

「分かった。…それとも泊っていくっすか、狭いけど」

「ありがとう。でも待ってる人、いるから」

 分かったっす。屈託なく犬歯を剥き出し、銀灰は背を向ける。胡桃と何か、親し気に話していた。社の明かりを借り、不便というほどでもない境内で、暗くなった視界に溶けていく2人の姿を暫く見つめていた。

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