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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 暫く荒れた天気が続き、強風で外通路を渡るのも大変だった。風が吹くだけ吹いて、その後は大雨。四季国はそうだった。山吹の部屋に向かうため風に煽られた衣類を整える。山吹の教育課程を管理する役目は群青ではなくなった。山吹は群青ではない担当者が部屋を訪れるたびに会話を止めてしまったり、笑みを消したり、落ち着かない態度をとる。山吹様は群青殿が大好きですからね。馴染んでしまった世話係の当番がそう言っていた。きっとまた戻ってきますよと慰められ、不満ながらも頷く山吹を極彩は眺めていた。群青と縹が忙しく働く光景はもう城の中にはなかった。そうでなくても縹とは顔を合せていない。

たどたどしく山吹に読まれる古書の複製に読み方を書いていると大きな足音が聞こえ、扉が乱暴に開かれた。縹が倒れたのだと報せが這入(はい)った。息を切らし、入室の合図も忘れ一目散に伝えに来た若い下回りの男とは裏腹に極彩は従容(しょうよう)としていた。他の世話当番たちに縹の元へ向かうよう急かされてもその場を動く気配を見せず、古書の複製から読み方が必要な箇所を探していた。隣の山吹が力任せに極彩の腕を掴むと無理矢理に立ち上がらせ、報告に来た下回りごと部屋の外に放り出し扉が閉められる。縹が運ばれたという部屋へ案内される。医務室から離れ、厨房や大浴場、洗濯場など下回りが主に出入りする場所でも、執務室からも随分と離れた果ての部屋。まだ嫌疑は晴れていないのか。入ろうとする前に止められ、下回りだけが中へ入っていった。扉越しに、大袈裟だな、と聞こえた。

「極彩、入りなさい」

 扉が重いと感じた。厚みはない。大広間の扉のほうがずっと厚かった。だが難なく開く。寝台で上体を起こし、額を押さえる縹が笑った。

「お加減は」

「すまなかったね。少し立ち眩んだだけだよ」

 咳き込む。喘鳴(ぜんめい)。縹がしまったとばかりに腕に沈めた顔を上げる。

「喘息ですか。それか結核か…」

「そこまでのものではないよ。季節の所為だ」

 また(しわぶ)き、嗄声が掻き消える。寝台の近くに置かれた、青粉(あおこ)が浮かんだ池の水のような薬茶は口を付けた形跡がない。

「何か腹に入れますか」

 淡い色の毛が揺れる。また腕に口を当て、幾度か小さく咳をした。

「極彩」

 極彩は室内にいた者たちを下がらせる。咳嗽(がいそう)が和らいだ縹が苦しげに極彩を見上げる。

「洗朱地区に行ってきました」

 長く息を吐き、縹は数十秒ほど無言だった。答える気が無いのかと思ったほど。

「それなら、もう知ってしまったか」

「隠すには無理があります」

 背を丸め、繊維の粗い掛け布に投げた手をじっと見ている。

「朽葉様のご遺志に従うつもりだけれど…いつになるやら。瓦礫の撤去、区画整理、住人の確認…違うね、違うよ。そういうことではないよ…そういうことでは…」

「そうですね」

 死んだ人たちは戻ってこない。項垂れて小さく呟く姿から目を逸らす。

「分かっているんだよ。ボクらの意向で人が死んでも罪に問われないことも、殺人には当たらないことも。むしろ政策だなんて呼ばれる。そこには失政か善政しかない」

 喉を擦り切らす音に身体を跳ねさせ再び激しい咳をする。上下する肩に触れようとして思い留まった。

「国の1人を尊ぶことが役人のすべきことのはずで、その実、やってることは虐殺だよ。今更だ。朽葉様に合わせる顔がないよ」

「…そうですか」

 薬茶に手が伸び、一気に呷る。いつかの洗朱で見た酒缶を呷る姿よりも弱々しい。

「今更だね。本当に。どうか忘れてほしい」

「忘れられたら、忘れます」

 微かに甘味を帯びた草っぽい苦い香りがする。

「君はひとりは平気かな」

 薬茶が苦いと戯けながらそう零す。血色の悪い唇が緑に染まっている。

「深い意味はないよ。そういえば包みは届いたかな」

「はい。洗朱に埋めました」

 活気のない上っ面だけの笑みが固まった。それから、そうかい、と返される。

「せめて物品くらいは」

「すまない、ありがとう」

 飲み切れなかった薬茶の器に口を付ける。

「縹さん」

 陰険さを忘れた態度は気味が悪い。嫌味のひとつも言えないのかと思いながら。

「何だい」

「あなたが朽葉さんに顔向けできないならわたしがしますよ。彼の厚意には応えられませんでしたが」

「君…」

「死に損なった身です」

 縹は咽せ、胸を押さえる。高い喘鳴(ぜんめい)。季節性の咳気(がいき)とは思えなかった。前屈みになり掛け布を潰す、骨の浮いた手の甲。言いたいことは飲み込んだ。まるで薬茶のように苦い。

「洗朱は救えなかったわたしの故郷です」

「っ、お待ちなさい」

 焦っているのか、咳き込みながら縹は話す。喉が焼き付くような乾いた音を立て、咳自体が緩和しても浅い呼吸の中で小さな空咳が混じった。

「杉染…っ、杉染台……洗朱の北西の、小さな村…」

 掠れ、高い音が漏れる。咳に阻まれ、縹は「杉染台」「北西」と説明を諦め、単語だけを繰り返す。

「そこに…、今洗朱は、」

 過ぎた威嚇をする猫に似た息を深く繰り返し、丸めた背がさらに丸まった。

「分かりました。それなら杉染台に行きます」

 厄介げに縹は頷いた。乱れた呼吸を整えているらしかった。

「旧病棟…っ、小さな村だからすぐ、分かると思う」

「はい」

 中身のなくなった薬茶の器を握る手が震えている。

「縹さん、何も腹に入れられないのなら、わたしが何か作ります」

 返事を待たずに部屋を出た。足を付けたところから床が抜けていくような感覚がした。目の前に迫った美しく輝く寒色の瞳に後退って、閉めた扉が背に当たる。天藍だった。揖礼しようとして制される。

「やぁ。どう、“叔父上”の様子は」

 天藍は砕けた態度で極彩の顔を変わらず覗き込む。縹の部屋の世話当番たちが引き留めていたらしかった。

「特にどうということもございません」

「特にどうということもなかったら、突然血反吐(ちへど)吐いたり倒れたりしないよ」

 天藍の陽気な表情はわずかに強張ったが、それが嘘のように消える。

「血反吐、ですか」

 縹はそうは言っていなかった。

「尽力するよ、安心して。縹には世話になったからね」

 肩を軽く叩かれる。天藍は極彩が出てきたばかりの部屋へ入っていった。

「血反吐…」

 気まずそうに俯く下回り。

「量はどれくらい」

 茶碗2杯ほど。躊躇いがちに答えられ、極彩は床を見つめる。縹殿には内密にするように仰せつかりまして…。狼狽しながら語尾が消えていく。

「知らないフリしておくから」

 山吹の部屋へ戻る。天藍が尽力すると言った。この国の頂点に近い者がそう言ったのだ。極彩には為す(すべ)がなかった。世話当番たちが心配そうに縹は大丈夫だったかと問い、極彩は大したものではなかったと返す。山吹が曇った顔をして抱きついた。

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