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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 雨期が終わりに近付いているが雨の日は少なかった。風の強い日が続き、落ち着いた日に極彩は外へ出た。包みを渡されたその日に行きたかったが、門番に今日はやめておくようにと懇願され引き返してしまった。

 決まった時間に城の近くを巡回する牛車を偶々見つけられ、牛車に揺られる。車窓から街を眺める。行き先は洗朱地区だとは伝えられず不言通りの終点停留場だと告げた。着くまでに老婆と青年が乗って、老婆は長春小通りの入口付近、青年は不言通りの特に栄えた地で降りて行った。終点で降り、洗朱に向かう。甘酸っぱい香りを纏わせた芸妓と歩いた道。だがその時の形跡はない。煤けた(むしろ)や焦げた布が散らかっている。暗かった廃屋は屋根を失い、黒焦げになった家具が日に照らされている。珊瑚と見た風景は白昼夢ではなかった。地面に撒かれた硝子の破片を踏み締める。包みを握り、生温い風が季節外れの白梅の香りを拡散していく。彼女のことを深くは知らない。知ろうともしなかった。だが顔を知っている。声も、喋り方も。この地の者だということも。長く―目的を果たすまでなら、ゆっくりと育まれていく関係だと思っていた。当然のように。明日も明後日も顔を合わせ、他愛ない会話で浅く、狭く少しずつ知り合っていくものだと。

 瓦礫の少ない場所をあてもなく探し、小さな空間を見つける。空き地だったか、小道だったか。近くの炭と化した木材を拾い、土を掘る。黒く焼け土を黒く焼け焦げた木で削っていく。裂け、捲れ上がった木材の繊維が掌の皮を擦っていく。目的を忘れ掘り続けた。何を入れるつもりなのかも頭から消えていた。包みは十分に埋まるほどの深さと幅になってもまだ腕を振り上げた。師の胸を貫く薄い鉄板。振り下ろされた木が土を飛ばす。師の腹に落ちる剣先。土が抉れ、穴が深さを増していく。波打つ胴体。削って盛り上がった土が穴に少しずつ転がっていく。虚空を凝視した、この国の旭に似た瞳。掌の痛みに力が入らなくなる。飛び散る血。木材を投げる。両手に穴を伸ばし、土を掻き出す。何を埋める気だったのか、誰を埋める気だったのかも分からなくなった。空の色が変わっていった。風の流れも変わっていった。薄くなった白梅の香りが溶けていく。背後から聞こえる足音もどうでもいいことだった。彼女は誰に討たれたのか。師か、紅か。土を掘る手が止まる。忙しくなる時間帯に入る、不言通りの喧騒が微かに届く。座り込んだまま尻餅をついて空を見上げた。指から小石や土が落ちていく。

 近くで土を踏む音がした。後ろへ倒れる。両腕を広げる。赤みがかった空に対抗する風月国の空の色。昼にはなかった掠れた雲。視界の端に人影が入った。無防備な腹に何かを投げられる。掴んで近付ける。木綿の布だった。起き上がる。

「ここは危ないぞ」

 鼻から下を布で覆った、肌の色が濃い男。金箔の混じった化粧が目元に小さく施してある。頭皮に沿うように幾つも髪が編み込まれている。極彩は木綿の布を広げて見つめていると、強引に奪われ、後ろから布を当てられた。後頭部が締め付けられる。鼻と口を薄い木綿の布で阻まれた。

「弔いが済んだなら帰れ」

「…どなたですか」

 敵意や悪意は感じられず、一度布に手を伸ばしたが外さずに宙で迷う。

「ここに居るやつは誰でもない。亡霊だ」

「……みんな大事なこと、知りたいこと、教えてくれないんだね」

 極彩は空しく鼻で笑った。縹は何も言わなかった。師にも言う機会はあったはずだ。

(あんず)だ」

 見知らぬ男がそう言って、極彩は首を傾げた。

「杏の名前。名乗るほどの者でもないが、もったいぶるほどの者でもない」

 天気の荒れる気配を纏った空気と風。杏と名乗る男もそれを感じたのか空を見上げた。

「わたしは…白梅(しらうめ)です」

 どちらを名乗ろうか迷った。杏は「白梅か」と復唱し確認する。返事は小さくなってしまった。

「粋な弔い方をすると思った。梅の香りがするから」

 まだ埋められずにいた包みを振る。これの所為です、と付け加えて。

「だがすぐに帰った方がいい。ここは良くない空気が漂っている」

「それ、他の人にも言われました」

 杏は意外そうな目で極彩を見る。

「ならば、杏からはもう何も言わないでおこう」

 極彩はのろのろと大きくなった穴に包みを放り投げた。初めて会った姿。暗い中で逆光する湯上がりの姿。困って笑い、淑やかに去る仕草。仄暗い表情。冷めた声。荒々しく切られた毛先。思っていたよりも様々な顔が脳裏を過る。手が伸びた。だがこの地に帰ってくるはずだったから。

「また…、新緑まぶしい季節に」

 土を掛けていく。包みが隠れていく。白梅の香りが薄れ、土の匂いと焦げ臭さが勝る。

「ここが出身だって、聞いていたんです」

 杏はそうか、と言った。立ち上がって、むずむずとした顔を拭う。

「血が出ているぞ」

 杏に言われ、擽ったく思っていた顔に手の甲で触れた。ぬるついた。

「縫合しないのか」

「形見みたいなものだから…」

 杏は表情を崩す。呆れたように笑ったのが何となく布の下からでも見えた。おかしなことを言ったかと思った。

「出口まで送ろう」

「杏さんの用件は済んだんですか」

「あってないようなものだ。気にするな」

 杏は行くぞと言った。極彩は最後に、色の変わった地面を振り返ってから杏を追う。

「これからここはどうなるんですか」

「風任せだな。風月王の仰せのままだ。不言通りを広げるか、また別の地名となるか」

 杏は瓦礫を足で除けていく。そのため極彩は歩きやすくなった。

「もともと略奪された土地だ。報いと言われたらそれまでだが…民は関係ないだろうに」

 不言通りの威勢が段々と大きくなる。汗を拭うように流れてくる血を拭う。傷が開いているようだったが痛みはなかった。

「ごめんなさい。布、汚してしまいました」

「構わない。一度使ったら捨てなければならないからな。洗わず捨てろ」

 それから、と続いて身構える。ここには来るなと続くのだろうか。

「服も帰ったらすぐに脱げ。また来るつもりなら気候が安定してからにするといい」

 不言通りの入る前に杏は鼻と口を覆っていた布を外した。極彩もそれに倣う。初めて見た杏の素顔。口角に斜めに傷が走っていた。元の皮膚に戻りきれず、その部分だけ肉の色をしている。極彩の視線に気付いたのか杏は朗らかに笑った。見た目から与えられる威圧感と冷たく落ち着いた印象が崩れ、人懐こくなる。

「これも、形見みたいなものだ」

 杏の日焼けした指が傷をなぞる。短く切り揃えられた爪は淡い色をしていた。

「…すみません」

 顔を逸らして謝れば、ゆるゆると首を振られる。

「気にするな。むしろ同じことを言える相手がいて良かった」

 朗らかな笑みが治まり、それから互いに違う方向へ歩いて行った。


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