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「受け皿だったのよ。弱者が弱者にされた輩に紛れ込むにはもってこいの…まぁ、少数派が弱者とは、言わないケド…」
苦しげに息を詰まらせる珊瑚を、琥珀ちゃん、琥珀ちゃん、と何度か呼び掛ける。
「まだ油断出来ないわ。暫くここに近付いてはダメよ」
綺麗に残された不言通りに出て、柘榴は馬車を呼ぶ。鹿毛が照る。蹄の緩やかな音が近付く。車内に乗り上げ、柘榴は膝に珊瑚を乗せた。灰白は柘榴の対面に座る。車窓から柘榴は行き先を城と告げた。柘榴の顔を見ると冷えた目を向けられた。珊瑚の正体に気付いているのか。
「見えないものが蠢いているのよ。あなたはとにかく、この子には毒だわ。あの土地は…見えないものが蠢く土地なの」
珊瑚は服に爪を立て、小鳥はその手の周りを跳ねる。意識は朦朧としているようだった。
「恨んでも仕方ないわね。相手が悪すぎる。圧倒的な力に屈するしかないのよ。弱いっていうのは…非力っていうのは選べないから」
まぁ、恨ませていただきますけどねぇ?と言いながら珊瑚の毛先を指で擦る。
「まぁ、力だの強さだの弱さだのなんて、強者の傲慢と余裕よね。そんなことより食うに困るんだから。その次は着る物。今日どうにかなっても明日は分からないし」
柘榴は苦笑する。馬車が揺れ、珊瑚は真っ白い頭を揺らす。真っ白い額を押さえて汗を拭う。
「まぁ、アテクシはただの移住者だし…結局は余所者だけど。余所者だけど、居場所だったの。たとえ肥溜めと嗤われてもね」
思い出にはなってたから。長く濃い睫毛が伏せられた。柘榴は何か言葉を続けようとして、続いていなかった。よく喋ると思っていたがこれが柘榴のそういった感情の容だったのだと灰白は相槌だけを打った。そのうち珊瑚の覚束ない腕が灰白へ伸ばされ、その手を握った。節くれだった細く固い指が甘えるように灰白の指をくぐっていく。形は良いが色の悪い唇から幾度かに分けてくぐもった息が吐かれていく。柘榴は表情を失った顔でその様子を見ていた。
「白梅ちゃん」
低く底冷えする怒気を感じた。そしてそれが抑えられているということも即座に理解した。
「はい」
「ワルいオトナがいっぱいいるってコト、教えてあげてちょうだい。たとえ本人に何の罪がなくてもね。その内を巡るものが同じなら…」
多くの言葉は浮かばなかった。威圧感に口も動きそうになかった。大きく黒く縁取られた目が射殺さんばかりに珊瑚を睨んでいる。
「手の届かない鷹を屠るより、目の前の雛を葬りそうになるオトナがね、いっぱいいるの。そこに何の意義がなくともね…」
強張り震えた力づくの笑みを見せられ、灰白は珊瑚へ逃げる。白い顔からはさらに血の気が失せ、唇は痣のようで、歯を鳴らしている。服を強く握る手が痛々しく、灰白の指を何度も掴み直そうとする。
「柘榴さん、」
「怒りに呑まれちゃダメよね…得体の知れない感情に呑まれちゃ…。白梅ちゃんはこうなっちゃダメよ、怒りで自分を知っちゃ…何かが棲みついちゃうから」
柘榴は御者を呼び、城に着く前に降りた。何か声を掛けようとして、だが柘榴は何も言うなという雰囲気を纏っていた。動き始めた車窓から何か言おうとして、名を呼んでみるもその大きな背に届かなかった。対面に残された珊瑚の傍に寄り、膝を着く。汗ばむ額や首、胸元を拭きながら馬車に揺られる。わずかだが珊瑚の調子は良くなっているように思えた。緩やかな長い坂を感じるとしっかりした目が灰白を捕らえる。
「……城に…?」
「はい」
「…、……帰って…来ちまったのか…」
声が掠れている。青白い苦笑が汗ばんで光っている。
「仲直り、出来ない?」
「…ばか言うなよ…出来るにきまってんじゃん」
馬車が止まる。御者が到着を告げた。動こうとした灰白の衣服を珊瑚が摘まむ。つらそうに動く胸。息が整うのを待つ。喋るのも容易ではないようだ。だが目を開き、しっかりとした眼差しで、言葉を発するまでには回復している。
「あん・・・た、はッ、もういいの、かよ…」
目元に腕が寝た。色を取り戻してはいるがまだ青い唇を噛んで珊瑚は問う。
「嬉しかったよ、どっか行こうって言って、連れ出して、叱ってくれて」
長く息を吐く珊瑚を一瞥して馬車を降りる。御者に代金を払おうとして、柘榴から払われていることを告げられた。車内で起きられる状態ではない珊瑚に誰か呼ぶ旨を伝え、御者に頭を下げると城門の兵を呼びに向かった。
戻ってくるつもりはなかった。だが戻ってきてしまった。珊瑚を抱える兵と城へ入り、医務室に行こうとした兵に自室に連れて行くように頼み、灰白は縹の元へ向かった。通り慣れた執務室までの道のりが違って見えた。行き交う下回りの顔ぶれも違う。好奇や驚嘆の視線を浴びながら執務室へ入る。山積みにされた書籍は消え、実際は思っていたよりも広い部屋だった。一度顔を合せて挨拶をしたのかも怪しい官吏たちが忙しなく働くこの空間もやはり知らないものだった。縹の居場所を尋ね、厄介なものが帰ってきたとばかりの態度や視線を振り切り教えられた部屋へ向かう。今までは閉ざされていた廊下を歩く。窓が等間隔に設けられ、日差しが床に形を作る。通る者も灰白以外にいなかった。小さな蜘蛛の巣や隅に溜まった埃に掃除は大して行き届いていないようだった。縹は怒っているだろうか。扉を叩こうとしたところで、空咳が聞こえる。続く空咳が治まるのを待ってから指の骨を分厚い木の板にぶつける。名乗ると入室許可が下りた。
「調子はどうだい」
口元を拭った腕を慌てて下ろし、立ち上がると座っていた椅子に派手なローブを掛ける。普段と変わった印象は受けなかった。無言で出て行ったことに対し、腹を立てていないのだろうか。灰白に静かに歩み寄って、頬に触れられ上を向かされる。
「傷は…残念だけど、ここまで深いと消えないだろうね」
洗朱地区で見た空に似た色をした瞳が間近にあるが、どこか遠くを見ている。
「縹さん、あの、」
「紫暗嬢から聞いているよ」
壁と向かい合う机と椅子が日当たりの悪い窓際に置かれただけで、部屋はやたらと広かった。埃が浮いて白く見える。
「君が謝ることは何もない。…何も」
投げやりに笑う。そして軽く咳をする。
「縹さんはあの刺客が…わたしの先生が群青殿に罰せられた話は知っていますか」
「知っているよ。彼から水晶が採れるかも知れないと噂になってね。四季国から連れて来られたと、聞いているよ」
縹は灰白から2歩ほど離れて背を向け、また小さく咳き込む。ひとつの地を焼かれたとは思えないほどの清々しい天気が縹の後ろ姿の奥に見えた。
「彼が処罰されるよう仕向けられてね。大した罪状ではなかったよ。でも右耳を削ぎ落とされてね。その時に分かっていたはずだ。…水晶を零す人間などいないってね」
手に触れ、床に転がり散らばっていった赤く光った石。
「紅はどうなりましたか」




