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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「ふふふ、まぁ、泊まるなら好きにするといい。けれど……ここは診療所だからね」

 千草は若い2人を見比べて意味ありげに笑う。

「そういう関係じゃないヨ!」

 榛は顔を真っ赤にした。

「そうなのかい。ごたいそうなものを嵌めているからてっきり……」

 彼は冷やかすように笑って極彩の両手にある木板を一瞥する。

「これ!外してもらおうと思ってたの!千草くんこういうの得意デショ?」

 榛は彼女の腕を引き、さらに千草のほうに突き出した。

「それはそれは。野暮なことをしてしまったね」

千草は口元に手を当て優雅に笑う。縹よりも柔和だが、ひとつひとつの仕草はよく似ていた。「貸してごらん」と言って枕元の抽斗から工具を用意する。その間もまた極彩は寝台の上の人物に目を奪われていた。

「貸してごらん……どうしたのかな」

 眼前で掌が上下し、やっと彼女は我に帰った。ばつが悪くなって俯くが、そうする必要はなかった。千草は手錠を外すのに集中していたのだ。

「さっきの話だけれど、宿直室を使うといいよ。使っていないからね。ここは私の妻や娘が来たりするから」

 未婚のまま獄中死しした叔父とは反対に、彼によく似たこの男には妻子がいるらしい。妙な心地がした。極彩はこの者を真っ直ぐ捉えることができなかった。

両手を束ねていた頑丈な木板が呆気なく外される。しかし彼女は宙に両腕を据えたままだった。

「どしたん」

 敏く気付いた榛に顔を覗かれる。

「別に……わたしは平気。戻らないといけないところがあるから、ここには来ない」

 また椎鈍(しいにび)町に戻らねばならない。長旅だ。弟を迎えにいく必要がある。

「どこ行くん?」

「錫さんに誘拐されたところ。それよりあなた、わたしが脱け出して、あの人がまた不言通りを焼いたりしないでしょうね」

 千草は何の話だとばかりに飄然として交互に2人を見遣った。

「しないヨ。もう警戒の度合いが全然違うジャン。それにまた焼いてもイミないシ。ちゃんと説明しとく。行き違っちゃって。だからあんたは城の人たちに守られてたほうがいいヨ。錫くんは、報復のためならぼくのコトもすぐ斬り捨てると思うから」

「じゃあ、あの爆破には意味があったというの」

 極彩のきつい語気に榛はいくらか機嫌の悪そうな顔をした。

「群青とかって人、錫くんのコト覚えてなかった。それを知れた。多分そういうコト」

「あなたは何か思うところはないの」

「多少はあった。おきにのお弁当屋さんあったもん。でももうナイ。だってぼくには知らん人たちの暮らしトカ、どうだっていいんだもん。死んじゃった人はお気の毒」

 言い終えてから彼は千草へ首を曲げた。

「また来る!」

「いつでもおいで」

 千草はまったくこの悍ましい話を聞いていない様子だった。榛に腕を引かれ、極彩は病室を出る。廊下でその手を振り払った。彼女の知る者とは異なる眠気のない、かえって清爽とした円い目がいくらか驚きを示した。

「次に会ったら命はないから」

「今日も見逃してくれるんダ。ありがとう。優しいネ」

 揶揄なのか本気なのか分からない。榛はただ締まりのない表情を浮かべている。

「どういう経緯があったにせよ、不言通りを焼いたということは絶対に赦されるはずはないんだから……」

「赦さない、赦されないと思い込んでるのは、そちらさんたちだけだヨ」

 彼は特に気分を害した様子はなかったが、ふいとそっぽを向いた。

「ふざけないで」

「ふざけてないヨ。真剣。だからぼくの知らない人がどうなったってぼくにはどうでもイイ。ぼくに服買って、ごはん食べさせてくれたのは錫くんだけだもん。ぼくに価値がなくなれば錫くんはぼくのコト捨てるケド、それまではごはん食べられるし服も着れる。不言通りの有象無象どもがぼくに何かしてくれた?」

 それは恨み辛みを訴えたものではなかった。無邪気な眼差しに射抜かれ、極彩は目を泳がせる。

「人には自分以外見えないこともあるはず」

「うん。そうだネ。ぼくと錫くんだネ。だから止めようって気にも、やめようって気にもならなかった」

 同様に彼も栗の蜜煮みたいな眼を彷徨させる。

「どれだけ身勝手なことを言っているのか分かっているの」

「う、うん。ぼくのじゃないケド、復讐だもん。身勝手だなんて最初から分かってるヨ。どう悪怯(わるび)れて、どう反省したらいいのか分からないくらい」

 榛に微かな戸惑いが生まれている。だがそれは極彩が彼に促し、また期待しているものとは大きく違った。ただ自分が何故問い詰められているのか理解できていないという類いのものだった。

「もしかして、お友達、ケガしちゃったの?……死んじゃった……トカ?」

 彼女は眉間に深い皺を寄せた。それを彼はどのように受け取ったのだろう。

「そっか。ぼくのコト、次会ったら殺すんでショ?でもぼくは殺さないからネ。義妹(いもうと)ヨ、キミはカワイソウな人。錫くんが必要としてるからネ。殺さないヨ」

 険しい表情の極彩に彼はやはり無邪気に手を伸ばしてその髪を撫でる。

「狂ってる」

「狂ってないヨ、全然。じゃあネ、ぼくもう行かなきゃ。お仕事あるカラ。錫くんには見つからないでネ。絶対だヨ」

 榛は自分が咎められていることも結局のところ分かっていないようだった。ただ意地悪をされたと思っているのだろう。あっけらかんとして去っていく。極彩は追いもせずその場に取り残された。扉一枚隔てた入院患者が気にならないわけではなかったが、しかし彼女は出会わなかったことにした。


 極彩は牛車を拾うため繁華街のほうへ出なければならなかった。この時間に予約もなく椎鈍町へ直行する車はおそらくないだろう。乗り継ぎを要するに違いない。錫という厄介なことしかしない人物への悪態を噛み殺す。

 夜遅い時間帯だというのにまだまだ活気づいている不言通りの喧騒を掻い潜り、牛車の停留所へと辿り着く。行先を告げると案の定、御者は小難しい、渋い態度をとった。乗り継ぎは避けられなかった。降りる駅を教わり、車に乗り込む。

 激しい疲労が疲労感を麻痺させた。宿に着く早朝まで彼女は異様な活力のなかにあった。空が白ずみ、小鳥の囀りを聞きながら牛車から降りたとき、目を開けたまま眠っているのかと思うほどの浮遊感に陥った。身体は不思議と軽く、釣銭を受け取るのも拒否して弟のもとへ駆けていく。

 銀灰の寝ているはずの部屋へと転がり込んでまず目に入ったのは布団ではなく華美な着物だった。艶やかな黒髪と、大ぶりな蝶帯だった。小さな顔が振り返る。

「三公子……」

 極彩は怪訝な表情を浮かべる。呆れたような低い声が漏れた。

「ご無事でよかったです。ですが、弟に何か用がおありですか」

 実は女の身であった三公子は男同胞には似なかった吊り気味の大きな目を瞬かせるばかりである。銀灰という義弟の実の父は、彼女の兄に殺されたも同然である。また義父にしても複雑に絡み合った(しがらみ)がある。兄に逆らえないこの娘を咎めるつもりはない。しかしかといって平静でもいられない。

「こちらで身を隠されているのですか。誰にも知らせず脱け出してきたのなら至急、城下にお戻りになることです」

 弟を見下ろしている少女の華奢な肩に手を伸ばす。ところがその瞬間、潰れるほど強い力で制された。

「オレの娘に何か用か」

 娘とは別の人物に肘が可動域を越えて捻られる。急激な加圧に関節が跳ねる。痛みに顔を顰める。見覚えのある髭面の男に冷たく見下ろされている。酒気が薫った。

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