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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 彼は不器用そうな外観に反して率直に返す。思わず極彩は苦味を帯びた微笑をこぼしてしまった。

「紅のことは心配です。できることならわたしが一生添い遂げたいくらいですから、それはありませんよ」

 真意を見極めようという眼差しに極彩は応えた。彼は嘆息する。そして二公子にそう伝える旨を口にした。

「それから桜花(さくら)を愛でる会のことで若様がお呼びです。明日の昼頃、迎えに参りますので、ご支度のほうをよろしくお願いいたします」

「では留守の間、紅を看る者を遣わせてください」

「承知しました。天晴組から2名ほど手配いたします」

 淡藤は揖礼し帰っていった。極彩は玄関まで見送ることもなく、庭を凝然と眺めた。二公子に会わねばならないとなると頭が鈍く痛んだ。


 胃痛を覚えながら迎えの車が城に着く。ひどく憂鬱だった。足取りは重い。桜花(さくら)ならば車窓から飽きるほど観ることができた。わざわざ大々的に会を開く必要はない。城下には各々で愉しむに十分なほどの桜花の木があり、綺麗に花開いていた。天晴組に連れられながら二公子の私室へ向かう。相変わらず必要最低限の照明で、隅まで光が届いていなかった。濃い影を落とす天藍は長椅子に座り、その隣には女がぐったりと背凭れに身を預け眠っていた。二公子は極彩を認めると揖礼する腕を鷲掴む。

「よく来てくれたね。久し振り…かな?さ、座って」

 屈託なく若君は極彩を2組が相向かいになっている長椅子のもとへ連れて行った。貴人を前にして無礼にも深い眠りに入っている女の足元には何者かがおり、床に座していたが照明が照明として必要程度に機能していないため衣服の色さえも判別がつかなかった。その者は跪き、極彩と同じ顔立ちをした女の裸足を救うように持ち上げ、爪先から足首にかけて舌を這わせていた。まったく来室者に構う素振りもなく、熱心に女の足を舐めていた。拒絶した求婚者のように、ある種の執着と熱情を感じる。

「いいよ、群青。挨拶しなよ」

 女の足を舐めていた者は徐に首を曲げ、控えめ過ぎる明かりが青白い頬を照らす。いくらか疑うような目で彼は極彩を見た。不快感を隠さずに表情に示すと、相手の疲労の浮かぶ顔に活気が戻り、見本のような美しい礼をして儚げに笑む。

「見てよ、彩。よく出来てるだろ。君だよ」

 天藍は人形のような女の隣に座り、極彩はその対面に座るよう促した。

「群青も、本物の隣に座ったら」

 柔らかな態度で二公子は奴隷のように扱っている青年にも着席を勧める。まるで親を見つけた迷子のように彼の纏っていた雰囲気は朗らかなものになった。

「失礼します」

 群青は長い睫毛を伏せ、主と隣になる女へ恭しく会釈をすると腰を下ろした。天藍は対面に座す男女2人を見比べ、そして自身の隣の目を覚まさない女の華美な衣装を摘まんだ。淡い色合いばかりで重ねられている。

「この衣装ね、毎朝、毎夜、群青が選んでるんだよね。オレとしてはちょっと甘ったる過ぎるかなって思ってるんだけど、彩はどう思う?」

「他者の服装に意見を言う立場にありません」

「教えてよ、君に意見を求めてるんだから。群青だって本物に近付けたいでしょう?」

「…(わたくし)は…」

 極彩は顔面に傷もなく、毛先も巻かれていない以前の姿そのままの女を直視できなかった。

「あまりこのような色は選びません」

 隣に座る男の若妻ならばよく似合いそうな春の花々を思わせる色調は優しく穏やかで、温かみがあった。彼女の回答に天藍は声を出して笑う。

「ほらやっぱり。彩は暗い中に紛れそうな色が好きなんだもんね、でもこれはこれで良いんじゃない?本当の彩が群青の理想じゃなかったのはちょっとオレとしても心苦しいものがあるけどさ!ま、この彩を理想の彩にしちゃえばいいじゃん、そうしたらそれが群青にとっての理想で本物の彩なんだし。…一緒に暮らしてるんだもんね?」

 群青は躊躇いがちに、羞恥を秘めながらも肯定した。

「話の腰を折って申し訳ございません。わたくしは本日、どういったご用事で…」

 震える隣の男の唇を見て、極彩はふいに口を挟んだ。

「ははは、いつもは本題、自分からは切り込んでくれないくせにどうしたの?群青と一緒に暮らしてる自分そっくりのお人形に嫉妬しちゃった?だとしたらオレも妬いちゃうんだけど」

 見せ付けるように天藍は人形の肩を抱き寄せる。

「いいえ…」

「寝る時も起きる時も、食べる時も湯浴みも着替えも、全部群青がやってるんだもんね」

「はい」

「どう思う?」

 二公子の形の良い手が人形に腹に添えられる。含みのある口元がさらに吊り上がった。

「ご結婚されている思っておりましたので、驚いております」

「別居だよ、別居。だって嫁さん、娼婦だよ。生活する時間が違うよ、ねぇ?」

 群青の静かな返事は聞こえない。

「それに結婚したのは群青でも群青じゃないんだよね?」

 この問いにも返答は聞き取れなかった。天藍は群青を捉えたまま小首を傾げた。極彩はいくらかいらいらとしながら再び口を挟む。

「二公子、あの、それで…本題について…」

 若君は頻りに人形の下腹部を撫で摩り、思わせぶりに極彩へ麗らかな双眸を映した。瑞々しい輝きを持つ瞳から彼女は反射的に目を逸らす。悪戯じみた笑みの声が相手から漏れた。

「ねぇ、もしこの腹に子が宿っていたらさ…誰の子だと思う?」

 そして二公子は群青を回答者のとして選んだ。彼はすぐさま「(わたくし)の子でございます」と口にする。極彩は耳鳴りの中でそれをぼんやりと聞いていた。

「それはオレの子種(こども)なら自分の子同然って意味だよね?本当に群青は取り入るのが上手いなぁ。有事の際は兄上のことも平気なカオして斬れるのに。どう?この人形は彩と同じ具合だった?」

 極彩は耳鳴りと吐き気を抑えた。目を瞑って耐える。

「あれ?曲がりなりにも夫婦だったんでしょ?それなりの営みはあったはずだと思うけど?だって妻は夫を守って袈裟斬りされるほど。夫は夫で妻を庇って蜚蠊(ごきぶり)を喰らうほど愛し合ってたんだもんね?それともそこに愛はなくて、世間を欺くための夫婦ごっこを徹底してたってわけ?勿論、君等夫婦の詐称だらけの嘘九百の書類は無効になるわけだけど、悲しいね?それでもオレは、てっきり夫婦だなんて偽る以上、そこに偽りなりの愛を信じていたんだけどな」

 隣の青年の様子がおかしく、極彩は横を向いた。ただでさえ血色の悪い顔は青くなり、暗い室内に浮いて見えた。

「愛は試練だよ。それとも、君は律儀に一緒に暮らす好きな女そっくりの人形に手も出せてないってわけ?」

 群青は前屈みになり、口元に手を当てた。極彩は丸まった硬い背中に触れながら本題を促す。

「それとも言えない理由でもあるのかな」

「群青殿は既婚の身です」

 背骨がくっきりと浮いている。拒食はまだ治りきっていないのかも知れない。

「既婚でも何でも、男は男だからね。結婚してるか否かなんて社会的理性の問題で、男の肉体の場に於いて関係ないよ。でも素敵だな、彩。そんな考え方があるだなんて。オレはもう種無しだけど、君の夫になった暁には、オレをケダモノにしちゃうこの証を切除すると誓うよ」

 本題にはまだ入らないらしかった。彼女の中では()うに話しを終え、今頃は帰途に就いているつもりだった。

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