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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 群青はまた柵まで歩き、それから灰白を振り向く。

「ここに来たら、まずクレープ屋の小麦の匂いを嗅ぎながら、街を見るんです。…極彩様にも見せたくて…わたくしの好きなこの風景を…」

 クレープを頬張る口が止まる。群青の穏やかな声はいつもと違う。同じであるが、違って聞こえた。いつも目にし、耳にするのは柔らかく静かながらも洗練された仕草とはきはきと指示を出す芯のある声。だが今は年相応よりいくらか幼く感じる。見てはいけないようなものを見てしまったような、聞いてしまったような気がした。クレープの中身は冷たい乳製の甘味が冷たい果物を包んでいたが、顔は温かくなっていく。

「それは…嬉しいな…」

 群青が見られなくなった。クレープに集中する。柔らかな風が甘い匂いの中に群青の香りとその中の薄荷の清涼感をまた運ぶ。邪魔になれば斬り捨てねばならない存在だ。珊瑚よりも、山吹よりも、紫暗よりもその可能性が高い立場にいる。秤に掛けねばならない。四季国のこと、紅への誓い、縹の協力、朽葉の遺志。両手に真綿で出来た枷を幾重にも巻かれている気分だ。だが断ち切らねばならない。

「今度は、紅葉が美しい時期に…いいえ…出来るなら、ここで一緒に打ち上げ花火を…」

 小さくなっていく声。聞こえない。聞こえないふりをした。その頃には決着しているだろうか。その時、この男はいるのか。

「このお寺、何ていうの?」

 食べ終わったクレープを包む紙を畳む。淡香(うすこう)寺だと群青は説明した。機会があるならまた来たいね。軽々しく言った。また来てみたいけれど。だがこの場所は仇の国だ。街を見つめている群青の横顔を見つめた。輪郭を辿るように。仕事ならば人を殺める男だ。仕事だ。群青の意思ではない。だが自身は私怨で人を討つ。群青を視界から外すが、優しい風が薄荷の香りを鼻腔にまとわりつかせる。



 裁縫店に注文品を取りに行く頃にはすでに空は濃い紫を帯びていた。昼よりも行き交う人々が多い。

「群青殿」

 不言(いわぬ)通りは特に人が多い。呼び止めて群青を庇う。胸元に軽く何者かの掌が当たる。掌を押し付けるようにも思えたが、ただぶつかっただけのようにも思えた。性的なものは感じなかった。灰白は動きを止めてしまった。見上げると白髪が人混みに消えて行く。風に靡いていく溶けそうな長い髪。

「どうかなさいましたか」

 首を振る。四季国の面影が遠くなっていく。

「ううん。はぐれないように、気を付けなきゃね」

 群青は、はい、と返事をする。行き交う人たちを1人ひとり眺めてしまう。また現れるはずがない。すでにすれ違ったのだ。また現れたならそれは不審者だ。分かっている。だが期待が消え切らない。武芸の師。初めての恋。ある日突然姿を見せなくなった。人違いだ。分かっている。遠くへ行ったと聞かされていた。もう帰ってこないとも。

「失礼、します」

 遠慮がちに、だが有無を言わさず群青は灰白の手を掴む。ふわりと薄荷の香りが淡く散る。

「この時間の不言(いわぬ)通りは混雑するということを忘れていました。要望書が来るほどに」

 酒屋が開き、飯屋が盛り上がり、八百屋も忙しくなる頃。灰白の歩幅に合わせているのか足首が痛むのか歩みは遅い。同じ場所へ帰るのだ。いつか敵になる男と。今この場で後ろから刺し殺すことは出来ないが、繋がれたら手を振り解いて首を折ることなら出来る。だが。指が熱い。

 城へ続く長い坂に着く頃には人通りは少なくなっていた。手を繋いでいたことも忘れていた。時折群青が強く手を握った時に思い出す。筆記用具を握り、指先に滑り止めを着け書類を捲る手はしなやかだが固かった。だが紅や紫暗とはまた違う。武具を手にする固さもないが、弾くような肉感もあまりない。

 離れ家まで送られ、そこで握られた手は離される。高くはなかった群青の手から伝わっていた熱が下がっていく。

「今日は本当にありがとうございました。何も面白いことも言えず…退屈な思いをさせたかも知れません」

「そんなことないよ。白玉もご馳走さまだったし、クレープ…だっけ?すごく美味しかった。それに群青殿と話せて良かったよ。城で歳近いの、多分群青殿だし」

 群青の顔が強張った。そして眉を下げて静かに笑む。気に障ることを言ったかと灰白は自身の発言を反芻する。思い当たる節はなかった。気のせいか。

「群青殿、わたしのほうこそ、ありがとう。楽しかった。じゃあ、また明日」

「いいえ…お世話になりました。改めてまた明日からどうぞよろしくお願いいたします…」

「ちゃんと休んでね」

 灰白が離れ家に入るまで群青は戻らないらしく、灰白は室内に入る直前で振り返った。手を振る。群青は手を振り返さず、頭を下げた。休暇でも群青はやはり群青だった。性分ならばとやかく言えない。離れ家に入って服を脱ぐ。紫暗があれがいいこれがいいと言ってあれこれと組み合わせ、それからこれだと決めた衣服だった。乾いた音がした。脱いだものが落ちる音とはまた異質だった。紙が落ちている。覚えがない。二つ折りの紙。文字列が見えた。手紙か。拾い上げ、広げる。宛名はない。明日の夕方に洗朱通りの鴨跖草(つきくさ)という場所で待っているという旨の一方的な文面だった。

 人違い。武芸の師。確証はないが今日出会った白髪の青年が脳裏を過る。あの者か。あの人だったら。しかしいつ渡されたのだろう。覚えがない。盗みの子ども。混雑。胸元に触れた掌の質感。そこで見上げた貂のような白い毛。

「お帰りなさいませ」

 紫暗が軽く頭を下げて離れ家へ入ってくる。灰白は紙片を隠す。洗朱通りのことなら縹に訊いてみれば何か分かるかも知れない。

「紫暗、ただいま」

「ふふ、楽しかったですか」

「うん、とっても。服選んでくれてありがとうね」

 紫暗はそれは良かったです、と笑って灰白が脱いだままの服を拾い上げる。

「群青殿が休みとってもらえて良かったです。少しは健康的な暮らししてくれるといいんですけどね」

「今日は城の様子はどうだった?」

「縹様が昼にお茶会を開いてくださったんですよ。だからもう昼過ぎにはみんなお仕事終えられて、実質午後は休みでした」

 縹は雑務の指示は苦手だと言っていた。下回りたちの労いもあるのだろうが実際のところはどうなのだろう。灰白は縹の飄々とした態度を想像して苦笑する。

「お茶会を?」

「はい。リンゴの皮でお茶淹れてくださったんですよ。それから異国のお菓子作ってくださって…」

 縹が料理をしている姿は想像出来なかった。洗朱通りに住んでいた時の荒れた部屋がむしろ色濃く印象に残っている。

「山吹様は?」

「それが…暫くはお茶会に出ていらしたんですが…三公子の体調が優れないとかで…縹様が今三公子の部屋の前で待ってはいるんですけど…」

 紫暗は灰白に言おうか迷っている様子でちらちらと視線を泳がせる。

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